■あとがき(第36号)
■高山れおな
前号の「あとがき」で中村さんが述べているように、先週はずっと東京を離れておりました。出雲国の神社&古墳めぐり六泊七日の旅です。仕事の旅ではありますが、最終日の四月十九日日曜日に雲南市大東町の須賀神社に参拝できたのは、個人的にも意義深いことでした。この神社の御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)。古事記などの表記と少し違いますが、要するにスサノオノミコトとクシナダヒメの夫婦に、その子ヤシマジヌミノカミを配しているわけです。
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、宮を造る場所を求めてこの地にやって来ます。でもって、「吾この地に来まして、我が心すがすがし」と言って宮を建てる。この“すがすがし”がすなわち当地の名の“須賀”の起こり。さらに宮殿から美しい雲が立ち上るのを見てスサノオが詠んだのが、かの「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」だったというので、この神社は「日本初之宮」「和歌発祥之遺跡」を称しております。
神社そのものはどうということもないたたずまい。でも、そこから二キロほど先の須賀山の中腹にある奥宮がすごかった。車を降りてさらに四百メートルほども山道を登った先に、夫婦岩と通称される巨大な磐座が鎮座しているのです。大中小の三つのこんもりと丸い巨石が寄り添うさまは、まさに夫婦親子のごとくに見えます。これまで磐座もいろいろ見た中で、最もインパクトの強いもののひとつでした。こちらも和歌の一種にたずさわる者のひとりですから、せいぜいお賽銭も奮発してお祈りしてきたことです。
■中村安伸
祖父の満中陰と祖母の十七回忌の法要をあわせて行うことになり、奈良に帰省しております。
祖父の遺品の中より「句帳」と記された大学ノートが発見されました。まだ詳細に目を通したわけではありませんが、若い頃、相当力を入れて修行していた様子が見て取れました。
経年劣化や癖字のため判読しづらい部分が多いのですが、可能であれば今後どこかにご紹介させていただければとおもっています。
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