■あとがき(第94号)
■高山れおな
アンソロジー作り、はっきり言って好きです。数号前に書きましたように、「俳句界」で“生きがい”という奇妙なお題で百句選をやったことがありますし、頼まれてプチ・アンソロジーを二つ、三つ作ったこともあります。『新撰21』の編者役も、そういう意味では適任だったのでしょう。アンソロジー作りの醍醐味は異物をこき混ぜるところにあります。ひとつひとつの俳句も言葉の取り合わせによって新しい世界を生み出すわけですが、アンソロジーもまた取り合わせにこそ妙味がある。雑詠の選とはそこが異なります。
それにしても一週間で、コメント付きで百句を粘弄するのはきつかったですね。これではまるで暇人みたいですが、月火は十和田に出張でしたし、水曜には笠間に丸一日出掛けていました(暇人ではないといいたいのです)。十和田もさることながら、笠間が佳いところなのに驚きました。緑がね、素晴らしい。京都に似た盆地だったのにも初めて気づきました。
『新撰21』の編集をした際に痛感したのは、アンソロジー編集は本当は複数でやった方がいいということです。二十一代集の大部分は、時の第一人者と目された歌人による独撰ですが、『古今和歌集』『新古今和歌集』は例外的に編者グループによる撰でした(他に『後撰集』『続古今集』も)。この二つの集が圧倒的に魅力的なものになった要因は、ひとつには時代の流れ、タイミングの問題がありますが、もうひとつ複数選者による編集だったせいも大きかったはずです。もちろん単なる烏合の衆では駄目で、古今における紀貫之、新古今における後鳥羽院のようなキーパーソンの存在が必要なのですが。『猿蓑』がすばらしいのも、芭蕉を中心に、去来・凡兆の三名で編んだからで、芭蕉といえども一人でやってあれ程のものになったでしょうかね。
今回は髙柳克弘さんの百句選を使って、勝手にかつ気楽に遊ばせていただいたわけですが、例えば千句か二千句くらいの規模のゼロ年代俳句撰集を、四、五人程のメンバーで、徹底議論しながら編んだらどうなるだろうかとか、いろいろ想像したことです。ともあれお楽しみいただければ幸い。記事が長すぎてうんざりだといわれそうですが。
■中村安伸
「現代詩手帖」6月号の髙柳克弘さんによるゼロ年代の100句選も、高山れおなさんによるアレンジバージョンもそれぞれ興味深かったです。10年間の100句に選ばれるためには、作品として優れているというのは当然ながら、選者がその句を選ぶ必然性というか、理由づけが必要となるようです。
3 件のコメント:
中村安伸様
いつも有難うございます。今回、下書きが済んでからアップまで時間がかかっているようだったので、まさか今回もあれをやるのかと半信半疑でおりましたら、本当にやったのですね。60冊以上あるのでは? 新記録でしょう。びっくりしました。お疲れ様です。
アップまで時間がかかってしまったのは他の理由もあったのですが……。
「私にもこれならできる!」という感じでやりました。句集の表紙の小さいのが並ぶのも楽しいですし。
ニーズがあるのかどうかわかりませんが。
高山様、中村様
読み応えも波及力もある長大な記事、楽しませていただきました。ご多忙の中、お疲れ様でした。
アマゾンのリンク先の「ニーズがあるのかどうか」についてですが、われわれ共通の知人である某女性俳人が、豈weeklyを見る度にリンク先に行ってしまってついつい注文してしまうとこぼしていたので、多分今週はえらいことになっていると思います。
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