2010年5月3日月曜日

福田尚代の回文と美術

福田尚代、あるいは回文の本懐

                       ・・・高山れおな

福田尚代(なおよ)が制作しているのは主に本(古い文庫本など)を、切ったり折ったり刺繍したりとさまざまに加工した、いわゆるブックアートである。五、六年前に茅場町の小さなギャラリーでやっていた個展(*1で初めて見たのだが、その時は正直言ってピンとこなかったし、どんな作品がならんでいたのかの記憶もない。一方、福田は美術と同時に回文詩の作者でもあって、ギャラリーに何冊か置いてあった回文集を読んで、こちらの方にはすっかり感心したのだった。

それから少しあとの二〇〇六年、「俳句界」誌の巻頭グラビアに、「シリーズ100句選」というコーナーが設けられていたことがある。毎回異なる選者が、編集部指定のテーマのもとで選んだ古今の百句に写真を組み合わせるもので、一年ほど続いたはずである。その第一回の選を担当したのが評者で、与えられたテーマは「生きがい」であった。まさか生き甲斐という言葉が詠みこまれた句を百もならべることはできないから、苦楽にかかわらず、なんらかの意味で生きることの手応えを表明していると感じられる句を選んだ。当然、これ以上無いというくらい、主観的な選とならざるを得ない(*2。百句のうちに福田の

チタンから来るあれは黄金虫、

胸が壊れ歩く羅漢達

という回文が入っているのは、その主観的選の最たるものということになろうか。回文による短詩ではあっても俳句とは名乗っていない作品を俳句と一緒にならべる根拠は、それこそ、そこに俳句を感じるから、という超主観的なところにしかないのだから。

国立新美術館の「アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち」(*3には、福田も出品していて、これが以前の印象とは打って変わって、とてもおもしろかった。回顧展的な構成になっており、例えば《不忍 蜘蛛の糸》という初期作品は、幅四メートルを超える大きなカンヴァスを、無数の「蓮」の字で埋め尽くしたアクリル“画”なのだった。ブックアートではなくタブローである点がまず意外であるし、にもかかわらず言葉/文字こそがこの作者にとっての強迫観念であることがいよいよ露呈していて納得。本領のブックアートの方では、〈佇む人たち〉というのは、文庫本を仏像風ないしこけし風の姿に彫刻したシリーズで、言いたいことはわかるけれど今ひとつ好きになれない。本を切り刻むことへの本能的な反撥のためだろう。もちろん作者はそんなことは先刻承知であえてやっている、いわば自傷的な表現なのだけれど。同様に文庫本を素材にした〈翼あるもの/会話〉というシリーズでは、各ページを、これは切るのではなく折りこんで、扇状に広げた形に立たせている。本の真ん中あたりのページが一箇所、一行だけ文字が外向きに(つまり観客に正対する形に)なるように折ってあり、否応なしにそれが目に飛び込んでくる。それぞれの本――小説から選び出された、

今朝、あなたは熱心に祈っておられたと、お父様がおっしゃっていました。

とか、

何をいうつもりだったか、忘れないで。でも後ろを振り向いてごらんよ。

といった一行が、前後の文脈から切り離され、焦点化された断片であるというそれだけの理由で詩になってしまっている。もちろん、一般的に言っても散文の断片化は詩化の契機をはらんでいるが、この場合はその断片化が“物理的”なものであり、“全体”は読めないながらに全体として現前しているのでもある。そのスリル。

刺繍もまたたくさん。刺繍は現代美術の世界で近年わりと多く目につく手法なのだけれど、福田のそれはあくまで手段であって目的ではないように思える。〈巡礼/郵便〉シリーズでは、十代の福田が学校の友だちや従姉妹たちとやり取りした古い手紙の文字をなぞるようにして、刺繍が施されている。また〈巡礼/名刺〉では、同様にさまざまな人たちから貰った名刺の文字をなぞっている。色糸の丸い粒の連鎖が、線となり面となって紙面を覆うさまは、あたかも繁茂した苔あるいは黴のような風情。それらの作品は全体の姿からもともと手紙であり名刺であったことが判別でき、したがってそこに文字/言葉がある/あったことは確実であるのに、書線をなぞる色糸の連鎖はかすかに文字の形の面影をとどめながらも、それをしかと読むことをできなくしてしまっている。まるで、文字/言葉が自ら吐いた菌糸によって自らを見えなくしているような、自己の過剰の中に自己が消滅してゆくような、そのような姿にも見える。

ここで回文の話に戻る。回文とはもちろん、始めから読んでも終わりから読んでも同じ音になる文字列で、かつ或る程度意味が通る文章のこと。

竹藪焼けた

の類の言葉遊びであり、回文の和歌、回文の発句も昔から作られてきた。現在でもかなり広範な愛好者がいることはインターネットで少し検索してみればわかるが、ともあれ評者は、茅場町のギャラリーで福田の回文に出会うまでは、特に関心を持つこともなかった。せいぜい、「豈」に発表される次のような宮﨑二健の回文俳句を読んでいたくらいである。

耽読よき最果ては潔く飛んだ

しゃかりきよ舞うぜ痩せ馬夜霧が野次

旦那言えんぜ前衛なんだ

これは二〇〇三年秋の「豈」三十七号に載った、ドン・キホーテを面影にした一連のうち。次は二〇〇八年冬の「豈」四十七号より。

蚊帳よ死の魂と外股の初夜か

奪胎大王の魚偉大だった

その艾咬み汝は天使死んで花実が咲くものぞ

赤紙の来て魔笛の身がかあー

「蚊帳よ死の」や「赤紙の」はとてもいいと思うが、ともかく詩的回文とはこういうものだと思っていたところへ(それも世間が狭すぎるというものだけどね)、福田の回文と出会ったわけである。ちなみに、宮﨑の回文は俳句を意図して作られているゆえに一行棒立ちの姿をしているが、そうした制約のない福田の回文には一行のものもあれば、最初に紹介した「チタンから来るあれは……」が二行であったように複数行にわたるものもある。最も長いものでは十行前後に達していて、超絶技巧ぶりを見せ付けている。まず、一行のものを五つ。

果てしない明日 愛なしでは

善き祈りは終りの息よ

銀河の中に仮名の歓喜

大団円 深遠抱いた

エゴなき大きな声

宮﨑のそれと比較して気づかされるのは、回文もまた個性の表出たり得るという事実だ。これが福田の回文を知った時の第一の驚きではなかったかと思う。俳句もまたその形式上のさまざまな制約にもかかわらず、個性の表出は可能である。可能であるが同時に、どのように強い個性であっても、定型に矯められ、撓められる形で表出されることも、実作者であれば誰でも知っている。回文を作った経験がないゆえの勘違いなのかも知れないが、回文の形式性は俳句よりもはるかに徹底した容赦のないもののように思われる。にもかかわらず、宮﨑の回文と福田の回文はこれ程にも違うのである。こうなると、回文を言葉遊びの一語で片付けるわけにはゆかなくなってくる。次に五行からなる作品。

言葉?

見たことは、聞いたことは、ない

名はどこ?

大気はどこ?

民はどこ?

この喪失感はただごとではない。そして、名→大気→民という脈絡の無い、飛躍のおもしろさが、回文の形式性から生まれているのであろうことにも思いが至る。次は行数は六行。各行あたりの字数も非常に多い。

対岸で 幹竹編みと ひらがな描き 得るふみの

救いを与えて 我が身が黙す 湿原か

今めくる歌留多は水芭蕉よ

詩は澄みわたる 軽く目眩

寒月 雫 最上川で得た蒼い薬 飲み震え

着替えながら瞳あけたら 歌天が居た

とりわけ最後の二行の美しさは絶品であろう。

なぜ回文なのかという問いは、なぜ俳句なのかという問いと同じではない。五七五の韻律や季語といった規則は一定の効果を伴っており、その効果は作る側にも読む側にも認識されている。規則が受け手に及ぼす効果に期待して、作り手は規則を受け入れている。なぜ俳句なのかという問いをどこまで突き詰めていっても、定型が持つこの効果への合意は最後に残るだろう。俳句がそこにあれば、それが俳句であることは大抵の場合は自明なのだ。回文はそうではない。回文の規則は作り手を拘束するが、読み手が感受するはっきりとした効果というものはない。だから回文は必ず「回文」という表示と共に読者の前に置かれるし、そうしないとそれが回文であることはほとんどの場合、見過ごされてしまうのではあるまいか。もちろん、回文が純然たる言葉遊びである限り、このことに特に問題があるわけではない。読者に与える効果などとは無関係に、純粋に作り手としての技術の高低を競えばよいのである。しかし、福田尚代や宮﨑二健のように、純然たる言葉遊びとはみなしがたい、感情表現としての作品を作る場合、読者に効果を持たない規則に拘束されることにどのような意味があるのだろうか。と、考えてゆけば答えはもう半分出ているようなもので、つまり拘束されること自体に意味があるのであろう。

宮﨑はさておくとして、福田の回文には言葉や詩歌そのものがモティーフとして遍在している。そこで詩や歌と名指されているものの内実を、なんならもっと端的に、「私を忘れないで!」という表現一般の原基であるあの渇望、と言い換えてもよい(と、彼女の作品が言っている)。「私を忘れないで!」という渇望は、その望みが達せられないことを自ら知っており、ゆえにニヒリズムに道を開く。そのニヒリズムの強度が彼女をして、自由詩でも短歌でも俳句でもない回文詩を要請させる。ここでは俳句を例にすることとして、俳句定型の規則とは要するに歴史的に形成された共同体の合意事項である。それに過ぎない、とも言える。これに対して、回文の規則というのはもっと純粋に、あるいは絶対的に形式的なものであり、しかもそれは読者に対して効果を持たないのである。共同体に参与することの充足ももたらさなければ、享受における功利的な寄与も期待できない空しい規則。それはまるで人生のように空しい。

回文には、五七五の韻律や季語の効果に相当する効果はないと述べた。それで間違いないが、にもかかわらず福田の回文詩は、回文の空虚で厳格な規則に従うことによって、存在する感情をあたかも存在しないものであるかのように差し出しているという印象を与える効果をあげており、その矛盾した身振りが感動をもたらすのである。そして、それは〈巡礼/郵便〉や〈巡礼/名刺〉などの造型作品において、文字/言葉が存在しているにもかかわらず存在していないかのように差し出され、それによって逆に自らの存在を喚起しているのと、パラレルな関係にあろう。回文と美術が、福田において一体のものとして追求されている所以である。

最後に口直しとして、福田の「黒し雲の黙示録」と題された全二十二章の連作から、第三章、第四章、第十九章、第二十二章を引いて終わる。第三章は、全体ではなく、各行が回文になっている。

  第三章

神の都 闇のみか

神の御名は波のみか

御使いが罪(密会が罪)

  第四章

呼ぶと虹が 無心でいなづま

碧玉に硬い赤めのう

空の目が開いた果肉よ木々へ

待つな遺伝子 昔に飛ぶよ

  第十九章

龍が神を崇めまつり

妻 目が青みがかった

  第ニ十二章

長い夏と火に納屋は燃え

もはや何ひとつないかな

(*1おそらく、「西村智弘企画vol.12 現在性の美術 福田尚代」 GALLERY MAKI 二〇〇四年六月十五日~七月七日

(2)「発句なり芭蕉桃青宿の春 芭蕉」とか「乞食かな天地ヲ着たる夏衣 其角」とか「またせうぞ午後の花降る陣地取 攝津幸彦」とか「坪内氏、おだまき咲いて主婦を抱く 坪内稔典」とか――まあ、この辺はまだそれほど無理のない選でしょうが。

(*3「アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち」 国立新美術館 三月三日~五月五日 参加アーティストは、福田尚代、石田尚志、桑久保徹、アーノウト・ミック、南野馨、O JUN、斎藤ちさとの七名。

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