2010年5月16日日曜日

続・私自身のための羅針盤(1) プロローグ、あるいは「詠む」と「書く」と「作る」・・・中村安伸

続・私自身のための羅針盤(1)
プロローグ、あるいは「詠む」と「書く」と「作る」


                       ・・・中村安伸

今号に「Ani Weekly archives」として掲載させていただいた拙文「私自身のための羅針盤」は、2004年に「夢座」という同人誌に掲載され、その後私のホームページに転載していたものだが、ホームページそのものがなくなってしまった。

思えば、私が俳句についての考察を総合的にまとめようとしたのは、この文がはじめてのことである。そして6年経過した今も、私の考えは基本的にはそれほど変わっていない。

もちろん問題がないわけではなく、検討が不十分なまま強引な結論を導いている等、訂正したい箇所も少なくはない。また、触れていない重要な問題も多い。

それでもあえてこの文をそのまま再掲したのは、これをたたき台として、次の「羅針盤」を作ろうと思っているからである。そもそも「私自身のための羅針盤」は、いずれ改めて再検討を施し、上書きされるべきものとして書かれたのだった。末尾に「いつの日か、新しく作り直した羅針盤を発表する機会があるとしたら、それがより精度の高いものとなるよう(後略)と記した通りである。

とは言え、書き換えのタイミングとして6年間というのは、漠然と考えていたスパンよりやや短い。しかし、このたび残り10回をもって「豈weekly」が終了の運びとなったことは好機と言えば好機である。10回というのは分量、期間ともに適当であろう。この6年の間に私自身にも、俳人として、生活者としての大きな変化があったことも理由といえば理由である。

新企画のタイトルは、前作を踏襲し「続・私自身のための羅針盤」とする。
「私自身のための羅針盤」というタイトルは、とりあえず全部を盛り込んでやろうという気負いのようなものが感じられて、今となってはやや気恥ずかしいが、それも含めて引き継ぐことにしたい。
ちなみに「私自身のための」というフレーズは、高橋睦郎著『私自身のための俳句入門』を意識したものであった。他にも類似の前例はある。また、「羅針盤」という語は、小川軽舟著『現代俳句の海図』を連想させるかもしれないが、もちろんこちらは一昨年発表された書籍なので直接の関係はない。

具体的な検討に入るのは次号からとするが、上に引用した「私自身のための羅針盤」の末尾部分は以下のように続いている。「俳句を書き、読み、論じることをバランス良く自分に課してゆきたいと思っている。」

今回の企画は、俳句作品の作者、読者としての私自身を対象とする考察を可視化することを目的にしている。つまり、上記の引用に従えば俳句を「書き」「読む」私を、私自身が「論じる」ということである。

しかし、上記の引用を検討したとき、読者として俳句作品を「読む」というのはともかく、作者として俳句を「書く」という表現には議論があるだろう。

たとえば、作者が俳句作品を生み出す行為について「詠む」という動詞を用いることがある。この動詞は、俳句よりもずっと古く、和歌やそれ以前の原始的な詩歌とともにあったものである。そして「詠む」が「読む」と同音であることは、もともとそれら二つの行為が分化されずにあったことを思わせる。したがって「詠む」主体である作者と「読む」主体である読者の境界線をも曖昧になってしまう。
また「詠む」という動詞からは、それが書き言葉として記述されるのでなく、口誦されるものというニュアンスを強く感じる。

作者としての私は、口誦するのではなく記述することを意識して俳句作品を生み出している。そうした自覚からも、また、作者と読者を、便宜的ではあっても、まずは明確に区別するところから検討をはじめたいという意図からも、「詠む」という語の使用は避けておきたい。

では、上の引用で用いられている「書く」という表現を採用するのかというと、こちらにも違和感がある。
私が作者として俳句作品を生成するにあたって「書く」すなわち記述するというのは最終段階での行為である。
つまり「書く」という動詞は作者の行為の一部しか示していない。
記述に至る以前から頭の中で繰り広げられる作業を含めて、作者の行為の全体を示すものとして「作る」という表現を採用するのがふさわしいと思う。

さて、次号からは、俳句作品を「読者として読む」こと、「作者として作る」こと、これらをめぐってのトピックを掬いあげ、そのひとつひとつ検討していきたい。そして、「豈Weekly」最終号にあわせて終了することを目標とする。

付け加えると、この企画もまた、いつか次の新しい「羅針盤」によって上書きされることを前提としたものであり「終了」が「完成」を意味しないことは言うまでもない。

なお、当企画の文中では「私自身のための羅針盤」からの引用は紫字で、他の文献等からの引用は通常通りオレンジで表示することとする。

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