西澤みず季句集『ミステリーツアー』
・・・関 悦史
西澤みず季『ミステリーツアー』は1951年生まれ、「街」同人の作者の句集。略歴にそれ以前の著書名はないからこれが第一句集らしい。同じく「街」同人の小久保佳世子『アングル』と同様、現代都市風俗や時代批判の要素が際立つ。結社共通の特徴だろうか。
あとがきによると《幼い私を捨ててまで、社会運動に没頭していった母》に対し《私の中にある母の束縛を解き離ちたい》という動機が句集制作にあたってあったようで、全体は「縄文の穴」「母の居た街」「途中下車」「方舟」「プールの底の部屋」の5部から成り、そうした句は「母の居た街」の章に纏められている。
雪の中少女のままで二百年
縄文の穴から遠足の足音
人形のための席ある夏館
素裸の集まつてゐるシャンデリア
ヒロシマの手足の長き子供たち
橙やそこは信長の席ぞ
どれも時空を超えてあらわれる何物かの怪しみをさらっと言いとめた句で、気配や内面に踏み込むよりは怪しげなものの表面を明快に定着する作風。《素裸の集まつてゐるシャンデリア》も耽美や背徳の世界に語り手自身が没入している気配はないし、《ヒロシマの手足の長き子供たち》もその無念に霊媒的に共振するというよりは、どこにも片のつかない消化できないものが意識に入り込んできたときに、その外形をごくニュートラルに言いとめたといった句である(「手足の長き」が痩せたということの鮮やかな修辞というにとどまらず、光に押し包まれて消え入りそうな姿のまま歴史と現在の間をさまよっている者たちのよるべなさに不意に出くわし、デジカメで定着したような感触がある)。
アメリカの嫌ひな母や秋の蝉
朧夜の玩具に弟の匂ひ
日雷ジャグジーの母人魚めく
オリーブの切断面に父の顔
秋の雲母といふ名の少女ゐて
花辛夷納骨あとの土匂ふ
以上は「母の居た街」から。《日雷ジャグジーの母人魚めく》が「日雷」の乾いた激しい愛憎と、「人魚めく」のユーモラスな赦しとがごく散文的・即物的なジャグジーにあっさりと媒介されていて面白い。おそらくもう若くはない「母」が「人魚」ぶりはどちらかといえば人魚のモデルになったジュゴンに近いものであろうし、さまざまな思いと歳月をともに積み重ねてきた「母」が浴槽の水流にあおられてたゆたっているさまが何とも融和的。しかしここでも語り手の目はその全体はごく外形的に描出するにとどまっていて、この冷淡とも見える距離感は母との関係よりは作者の特質によるものだろう。似た感触の句に《マッサージ機に腹揺れてをり十三夜》というのもある。
大正のガラスの歪み春日差
総芽吹きの斑尾高原散骨す
地下室に蜂の焼酎漬け匂ふ
大西日ミステリーツアーのバス連なる
表題となった《大西日ミステリーツアーのバス連なる》の柄の大きさが良い。商業企画に過ぎないいかにも浅薄な「ミステリーツアー」との対比で「大西日」のなかに連なる「バス」の大振りな量感がざっくり掬われ、そこはかとなく虚無も漂う参加者たちの気分の浮き立ちが下塗りのように透けて見えて、これは現代ならではの旅情を描いた佳句ではないか。
方舟に乗せるとすれば男と蛇
少年はパセリ唇赤すぎて
百日紅満開鬱の出口なし
冬芽立つ過食とリストカットの痕
ここまでの句にはなかった情念に直に向かい合った作。特に《方舟に乗せるとすれば男と蛇》は外形の提示ではなく、思惟の内容そのままの句である。男と女だけならばエデンの園の平安が保たれるものを、敢えて失楽園の因となった蛇まで同乗させてしまう。無意識に成長はなく、過ちは繰り返す。過ちの反復を覚悟を持ってわが身に引き受けるというほどのことでもなく、これも大西日のバスやジャグジーの母と同じでそういうなりゆきを辿るものとしての《私》を淡々と視認しているかのようだ。
ハンモックの下機関車の散乱す
トラックのタイヤの溝に櫟の実
鮟鱇の口の迷路に入り行けり
春隣森にピアノの捨てられて
夜のプール底に私の部屋がある
コインロッカー閉ぢ少女等の長き夜
内界に一度踏み込んだ目が冷ややかに捉えなおし、定着させた事物たちの句が並ぶ。《鮟鱇の口の迷路に入り行けり》《夜のプール底に私の部屋がある》といった象徴性があらわな句よりも、遠近感の狂った明晰な眩暈とでもいうべきものの中で死物を改めて死体に変えてみせた《ハンモックの下機関車の散乱す》《トラックのタイヤの溝に櫟の実》《春隣森にピアノの捨てられて》といった、重量級の名句というわけではない句たちの、小味な即物性がそのままシュールさに転じた姿が面白い。
以下、その他の句を引く。
芥にも名前のシール寒明くる
自動ドアから真つ白な祭足袋
蟷螂の入り行く真夜のネットカフェ
コート着て今テロップに誤爆報
屋根裏にユニコーン棲む春隣
冷蔵庫の中の明るき祭かな
ひんやりと掌認証青葉潮
モーニングサービス窓にバッタの腹
アリスの鏡梟の眼の中に
春の雨三日続けて靴を買ふ
建国記念日マッコリ飲み干せり
春の虹ビル崩落の瞬間に
朧夜やフランスパンの凶器めく
夕虹やワイングラスの中に森
敗戦忌ピエロの口の中の口
秋草に金のマイクの置かれたる
バッテリーの放電雪野からガザへ
極月の万の携帯万の飢餓
(『ミステリーツアー』は著者からお送りいただきました。記して感謝します。)
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1 件のコメント:
関さん、こんばんわ
この 「俳句空間ー豈」を一週分きちっと読むとしたら、やはり今日までかかりますね。
以下、貴文の引用句よりの印象。
「現代都市風俗や時代批判の要素が際立つ。結社共通の特徴だろうか。」、これ、同感です。一長一短だとは思いますが。
社会性的テーマが、前面出でているのに風物詩的になっているのが目立ちました。それから一句の中の語彙が多いのに、それほど煩わしくない。
観察者の立場を決めているからかも知れません。
ヒロシマの手足の長き子供たち
建国記念日マッコリ飲み干せり
春の虹ビル崩落の瞬間に
朧夜やフランスパンの凶器めく
敗戦忌ピエロの口の中の口
バッテリーの放電雪野からガザへ
極月の万の携帯万の飢餓
西澤みず季
など、さりげなくて余人がきづかぬところをみていて、意外性があり感覚のユニークさを楽しめる句集だと、関さんのこれを読んでの感想です。
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