■あとがき(第64号)
■高山れおな
関悦史さんによる小川春休句集『銀の泡』の書評と、山口優夢さんによる岸本尚毅句集『感謝』の書評が並びました。小川さんは「童子」の同人だそうですから、辻桃子主宰を通じて波多野爽波の孫弟子、岸本さんはもとより爽波晩年の直弟子、というわけではからずも爽波系の二作家についての書評が揃ったことになります。
『銀の泡』については冨田拓也氏も「俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクルⅥ」で触れていています。関さん、冨田さんが挙げている作以外から興に入った句を引きますと、
世話役は飴配りをり農具市
つんのめり孕雀が水飲めり
列車今春の海へとかたむきぬ
夏シャツをずらりとクリーニング店
鷺草をわつと出てくる子どもかな
悼 三上冬華
ちんちろりんちん嘘のよな訃報かな
乾杯や月の座に客増ゆるたび
茸狩の人やリムジンのぞき込み
トラックに濤描かれて冬ざるる
足跡の先より罅や枯蓮田
上手な人は次々に現われてくるものだと感心します。まあ有季定型、花鳥諷詠の人はたいていそうであるように、平淡で楽天的で気持ちの良い世界が広がっています。……と、十把ひとからげにしたような口をきいた舌の根も乾かないうちになんですけど、比べると岸本尚毅という人の不気味さが際立ちますね。
句集『感謝』についての優夢氏の書評でとりわけ水際立っているのは、この句集における「現れる」という語の頻用ぶりから、岸本俳句の世界観を炙り出しているところ。優夢氏は、偶然性のうちにおける何者かとの邂逅、何者かの現われと、それに伴う意識の流れを掬いとろうとする態度を岸本俳句に見て取っていますが、読みながらこれは夢幻能の構造そのものではないかと感じました。能といえば、岸本氏には虚子における能楽の重要性を指摘した文章があったはずで、優夢氏の文章ははからずも岸本氏の虚子学習の深まりを言い当てていることになりましょうか。ところが、優夢氏自身は、岸本氏にそのような文章があることを知らず、俳句作品そのものの読み込みだけからそのような観点を得たらしいのですからいよいよ驚きます。
岸本氏ほどの作者でも、そう丁寧な読みを施される機会があるわけのものでもなく、巧い巧いと褒められるか、ご隠居趣味とけなされるか、案外そんな調子で片付けられて来ているのではないでしょうか。その点、こんどの書評は岸本尚毅論としても格別に秀逸なもののように思いました。なお、『銀の泡』『感謝』は、それぞれ著者から贈呈を受けました。ここに記して感謝申し上げます。
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