2009年3月21日土曜日

豊里友行句集

「の」の字の詩学
豊里友行句集『バーコードの森』を読む


                       ・・・高山れおな

韓国の比較文化学者・李御寧(イー・オリヨン)の正岡子規国際俳句賞スウェーデン賞受賞が、当ブログ前々号、関悦史の「極私的『国際俳句フェスティバル』レポート」で報告されていた。一九八〇年代にベストセラーになった『「縮み」志向の日本人』(*1)などに見られるすぐれた俳句論が評価されたわけであるが、評者が同書で興味を持ったのは直接俳句に触れた部分ではなく、日本語の助詞「の」についての考察の方。第二章「『縮み』志向 六型 1入れ子型――込める」で李は、

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

をはじめとする石川啄木の短歌や、上田敏によるヴェルレーヌの「落葉」の翻訳、

秋の日の
ヸオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

などに見られる「の」の重複使用を、日本語の顕著な特徴として指摘している。語順やテニヲハの使用など統辞法的によく似ているとされる日本語と韓国語だが、韓国語でなら「ホシ/ヒカリ」「ムシ/コエ」というふうに名詞を直接複合させてしまえば済むところを日本語では「ほし/の/ひかり」「むし/の/こえ」という具合に二つの名詞の間を「の」で繋ぐ例がはなはだ多い上に、啄木の歌のように「の」を重複させるに至っては韓国語では全く見られない現象だという。さらにヨーロッパ語では、ドイツ語は名詞を直接的に連結させる傾向が非常に強いし、英語でもofの重複使用は稀れ、フランス語ではdeの重複使用がまま見られるものの出来れば避けるべきとされているのに対し、日本人が「の」の重複使用にむしろ積極的に美を感じているらしいことに、李は奇異の目をみはっているわけだ。

「の」を重畳させることで、東海→小島→磯→白砂→蟹というふうに、大景から小景へと焦点をしぼりこんでゆく、前掲啄木歌に典型的に現われた叙法を、李は日本人の「縮み」志向が統辞法の上に現われた例として、自らの論点に引き寄せてゆく。それはそれでよいとして、「の」による語の結合には、大から小へと凝縮してゆくばかりではない、もっと曖昧で多義的、場合によっては拡散的な要素さえあるのではないかと、いちおう俳句の実作者である評者は経験から感じていて、例えば歌人の樋口覚が李の考察に刺激を受けつつ「の」について論じた『「の」の音幻論』(*2)の場合、その行論自体がそうした「の」の曖昧性と拡散性に深く浸されていることが疑われるのである。

やや脱線気味に述べれば、江戸の町が「の」の字型、つまり千代田城を中心に、カタツムリの殻のように渦巻きながら無限に拡大してゆくプランに設計されていたとする説があり、事実、江戸から東京への発展はそのようにしてなされたわけだが、我々の首都の「の」の字なりの茫たる拡がりにも似て、博引傍証がとりとめもなく拡散し、ついに元来の主題さえよくわからなくなるような傾きが樋口の批評文にはそもそもあって、『「の」の音幻論』なる魅力的なタイトルを持つこの本も、そんな一冊に違いない。同書に収録された諸論考中では、「『の』音考 岡井隆への手紙」が比較的コンパクトに纏まっており、そこで樋口は、岡井作品のうち「の」の重複使用が見られるものを〈アトランダムに引いて〉から、次のように述べている。

もちろん「の」を全く使用していない歌もありますが、助詞以外の「の」(△印)を含めると、「の」の応和は著しいと思います。これら(例示された岡井の短歌四首……引用者注)の「の」は英仏語なら一切ofやdeを使わずに表現できるはずです(朝鮮語も然り)。

しかるにこれほど多いのは、李の言うように所有格以外に「の」は極めて豊富かつ多義的であり、その鼻(舌)音noのつらなりに日本人は逆に美的韻律をおぼえ、等時拍音の日本語で綴る(歌う)短歌において、リズム形成因子、あるいはこの膠着語たる日本語の文字通りニカワやトリモチとして、「の」が働いているからではないでしょうか。俳句では十七音のうち一回くらいの使用が妥当なところでしょうし、切れ字との問題からも興味深いことです。

他にも、〈古代には、恐れ畏むべき対象には「が」ではなく「の」を用い、「が」は一般に自己ないし自己が心を許す対象に使われた(「わが君」、「あが君」)ということです。〉という国語学者の説やら、

天飛(だ)む 軽嬢子
いた泣かば 人知りぬべし
波佐の山の 鳩の
下泣きに泣く

という記紀歌謡における「鳩の」が、〈現代語でいえば「鳩のように」と直喩的に使われている〉との吉本隆明の所説やらが紹介されて、はなはだ魅力的なエッセイである。もっとも、〈俳句では十七音のうち一回くらいの使用が妥当〉とした一節は、三十一音に対する十七音という算数のやや安易な適用であろう。たとえば、手元の『ホトトギス雑詠選集』(*3)で当季の句をちょっと覗くだけでも、

母の忌やその日のごとく春時雨  富安風生
恋猫のいくつも飛べり月の溝  白楢
猫の恋太古のまゝの月夜かな  宇野端
岡本の梅の茶店の暖簾かな  虚吼

といった調子で、短歌ほどではないにせよ複数の「の」の応和を利かせた作例は、少しも珍しくない。ただし、〈切れ字との問題からも興味深い〉との指摘は、評者も大いに共感する。拙句に、

衛星写真の葛のあらしの光源氏

というのがあるが(*4)、これなどは文法的に啄木の「東海の…」の歌における「の」の使用に準じたものでありつつ、吉本隆明が指摘した比喩的用法にも近いところがあろうか。しかもまた、成否はともかく、作者の頭には狭義の切れ字を使わずに、「の」を媒介にした転調によって切れ字的な効果を出そうとする意識もあったのであった。

豊里友行の俳句を紹介しようとして、ずいぶん長い枕をふったのは、もちろん豊里が「の」の使用ぶりに顕著なところを見せているためだ。一九七六年九月の生まれというからまだ三十二歳のこの沖縄在住の新鋭は、すでに二〇〇二年、二十六歳の時に第一句集『バーコードの森』(*5)を出版している。同書が二〇〇七年に再版された際に一本を恵まれ、一読感心したが、このたび必要があって読み返してやはりおもしろかった。

教室出る夢探しの入道雲

これは、高校時代の作だという巻頭句だが、「の」の使用によってもたらされる詩的曖昧さが、魅力になっていると思う。つまり、「教室出る」のが「入道雲」であるという文脈では、「入道雲」は作者の寓意ということになろうが、同時に「夢探し」のために「教室出る」と彼方に「入道雲」が見えるという実景に即した解釈もあり得るし、また「夢探し」する混沌としたエネルギーはさながら「入道雲」が湧き立つようだ、という比喩的な受け取りも可能であろう。

糸蜻蛉とどまれば月の眼球

この句の場合、空中でホバリングする「糸蜻蛉」の「眼球」が「月面」のようにクローズアップされているイメージの他、見上げた「糸蜻蛉」の彼方に浮かぶ昼の月がまるで「眼球」のようだと言っているのかも知れない。「月の眼球」という圧縮された表現が、このような多義性を生んでいる。

数式のビルの目盛りを泳ぐ目高

「ビル」は物理的にも経済的にも多くの「数式」に基づいて生まれるのだから、「数式のビル」という表現は有り、だろう。しかし、「数式のビル」は「数式のビル」だからこそ強い喚起力を持つのであって、「数式から生まれたビル」でもないし、「数式のようなビル」でもないのはもちろんのことだ。さらに「目盛り」。これは「数式」の縁語として現われたのであるが、窓枠をはじめなるほど「ビル」自体が「目盛り」に見立て得るさまざまの要素に満ちてもいる。「目高」は、ビルに出たり入ったり、右往左往して生きている我々自身の暗喩ということになりそうだが、同時にそれは暗喩になりきることなくあくまで具体的な「目高」として「泳ぐ」存在であり続けてもいる。この句の錯綜した映像性もまた、重複使用されている「の」の効果に多くを負っているだろう。

煩悩の釈迦の目になる三日月

「釈迦の目」すなわち仏像のいわゆる半眼と、「三日月」の形態的アナロジーから発想された句。しかし、「釈迦」の頭に付いた「煩悩の」なるフレーズが、一句をはなはだ謎めいたものにしてしまった。そもそも「煩悩の」の「の」が、所有格なのか主格なのかが評者には決定できない。主格なら例えば、清らかな「三日月」を見ると「煩悩」に満ちた自分の目も浄化されて「釈迦の目」になるといった解釈が可能であろうか。所有格なら、まるで仏像の「目」のような形をした「三日月」の妖しい美しさが、「煩悩の釈迦」という瀆聖的なイメージを喚起するとでもいうことになろう。

用言の使用が最小限に抑制され、名詞が多用される豊里作品の韻律はかなり剛直な感じがするにもかかわらず、それが大味にならないのも「の」による接続が生み出すニュアンスの豊かさのゆえだろう。もちろん「の」によって、どのような語を結びつけるか、そこに作者のセンスが問われるわけだ。それにしてもこれらの句を見ると、『短詩型文学論』(*6)にある、金子兜太の次のような記述を思い出さないわけにはゆかない。というか、金子的命題のかなり忠実な実践であることに驚くのである。

具象性と韻律の伝統的内容(肉体)と抽象への志向(精神)との葛藤場面が深く激しく現出することによって、具象は抽象操作を経たあとの具象(新具象とでもいうべきか)として、描写段階の素朴と単調から脱し、さらに韻律に乗って、それは力強く表出されるものなのである。逆にいえば、抽象への志向と営みは、具象と韻律に定着することによって、最短詩型として、他の形式では望めないような完結した秩序を示し得るのではないかと思う。

豊里は現在でこそ「海程」に投句しているとはいえ、句集刊行の時点では地元沖縄の「天荒俳句会」のメンバーだった。その頃までに金子の所論を果たしてどの程度読んでいたものか興味深い。高校時代からの作品の展開を見る限り、たぶんに独行的かつ早熟にみずからの文体を確立してしまった作者のように思えるのだが。

豊里友行の生業はカメラマンであり、沖縄の基地問題から自然保護運動、住基ネット反対運動などにいたるまでさまざまな社会運動に幅広くかかわっているようだ。若者一般に通有の感傷や“煩悩”(要するに性欲であろう)を沖縄ならではの自然の世界に結びつけて詠む一方で、そのようなフォトジャーナリストとしての活動や関心のあり方を豊里はダイレクトに作品に反映させてもいて、それが現在の俳句界では稀有な個性をかたちづくっている。先ほどの金子兜太の引用に、「新具象」という言葉が出てきたが、「新社会性俳句」とでもいうべき相貌がそこにはあるのだ。あるいは柳田国男の方言周圏論とのアナロジーで考えるならそれは「新社会性俳句」などではなく、中央ではとうに滅んだ(?)社会性俳句が、中央から最も遠い同心円上にある沖縄に生き残った姿なのかもしれない。

樹のラインに湧き立つ雲は十九歳
人生の実を捥ぐにきびのクレーター
青バナナむけば炎の鮫になる
飛魚のごと甘蔗を行くティーンエイジ
シャワーになるネオンを弾くコザのビート
ふりむけば源氏とロミオ葉桜か

まずこれらは、豊里の青春俳句的な方面を代表する作品ということになる。一句目、「十九歳」の翳りも照れもない誇りがまぶしい。「樹のライン」というビジョン(もちろん沖縄の亜熱帯の森が生み出すスカイラインである)の端的さが嬉しい。二句目、「人生の実」も「にきびのクレーター」もそれ自体いささか安直な表現と思えるが、両者が結びついた時、絶妙なバランスが生まれ、一句としての受肉がなされたと判断する。三句目の「青バナナ」や「炎の鮫」は、あるいは男性器の暗喩だろうか。ペニスをバナナに譬えているとすればやはり感心したレトリックではないし、「炎の鮫」なるフレーズもいささかベタすぎる。にもかかわらず、この場合もその二つのイメージの結合が、思いがけない飛躍を生じ、新鮮な俳句になっている。四句目の「甘蔗」は、他の使用例から見て「きび」と読ませるようだ。これほどはつらつとした青春謳歌も、少なくとも昨今の俳句では見たことがない。言葉の切れ味も申し分ないだろう。五句目の「コザ」は沖縄市コザ地区。嘉手納基地を抱える商業地区・歓楽街として、沖縄の中でも独特の文化を持った町として知られる。豊里は県立コザ高等学校出身だから勝手知ったる地元であると共に、米軍の占領によって生まれた町という点でフォトジャーナリストとしての問題意識にかかわってくる。この句は、「シャワーになるネオン」を「コザのビート」が「弾く」とも、「ネオンを弾くコザのビート」が「シャワーになる」とも読めて、例によって意図的に文脈を錯綜させたとおぼしい。躍動感あふれるイメージに、一九七〇年代の森山大道や中平卓馬といった写真家たちの「アレ・ブレ・ボケ」の手法を連想した。なお、評者は、「弾く」を「ひく」ではなく「はじく」と読んでいる。六句目には、光源氏とロミオ(もちろんシェイクスピアの)が登場する。光源氏は壮年まで生きるが、この場合は、永遠に若いロミオと同じく紅顔の光源氏である。下五の「葉桜か」の急激な転調が、ぶっきらぼうなようでいて的確だろう。

轟音の鼠となり空齧るフェンス
魚眼のままに洞窟裏返す初日
  ⇒「洞窟」に「ガマ」とルビ
缶詰電車ストローから吐く白い影
原発の家電の鮫が泳いでら
さみしい鮫の背鰭で来る電子音
蛙鳴くついに阿摩和利の岩を吐く
  ⇒「阿摩和利」に「あまわり」とルビ
神の槍か海蛇の笛か滑走路
  ⇒「海蛇」に「イブラー」とルビ
皆収奪のランプ点く片降り
  ⇒「片降り」に「カタブイ」とルビ
軍鶏の首捻じる方言札
  ⇒「軍鶏」に「タウチー」とルビ
捨て石の戦火を泳ぐ亀甲墓
慰安婦絞る蛙の声紋の井戸
  ⇒「井戸」に「カー」とルビ
退屈な歩幅コンビニ星人でいる

これらは、「新社会性俳句」的な相貌を見せる作品。沖縄戦の記憶(二句目・十句目・十一句目)や米軍基地の存在(一句目・七句目・八句目)など、本土の都合に翻弄され、苦しめられてきた沖縄の歴史と現状に対するこだわりが強く出た作が多い。もちろん中には、より一般的な文明批評的な着眼から作られている句もある(三句目・四句目・五句目・十二句目)。言葉がきびきびと転調する、イメージの飛躍に富んだ筋肉質な韻律ゆえに、総じて重い内容であるにもかかわらず胸にもたれない。つまりそこには、紛れもなく俳句を読む快楽がある。これまでの鑑賞で示してきた「の」の多義的運用であるとか、文脈の錯綜といった読み方を意識して貰えれば、解釈に困るような句はほとんどないと思うが、一、二、補足しておくと、三句目〈缶詰電車ストローから吐く白い影〉は、高校卒業後、日本写真芸術専門学校で学んだ一九九七年から二年間の東京時代の作らしい。鉄道の無い沖縄育ちの作者の目が捉えたラッシュアワーの光景ということになる。この「ストロー」は石鹸玉を吹くためのものだと思うが、石鹸玉の語は出さず「白い影」といっているのは巧みだろう。ただただ目的駅へ到着して解放されるのを念じているすし詰めの乗客たちのうつろな時間を言い当てると同時に、人いきれで白く曇った窓ガラスのイメージなども重層する。また、ストローの細長い形状そのものが、空間的と時間的の両面で、ラッシュ時の電車の暗喩にもなっていようか。同じ一九九七年には、〈影のない藻になる煩悩の電車〉という作もあってこちらも好句だ。六句目〈蛙鳴くついに阿摩和利の岩を吐く〉については、句集巻末、豊里の最初の師・野ざらし延男(天荒俳句会代表)による解題「俳句の鮫」にすぐれた鑑賞があるので引用しておこう。

彼の表現の特徴には比喩法の駆使があげられる。
この句は比喩の醍醐味とドラマ仕立てが魅力の句である。阿摩和利は勝連
(カッチン)の按司(あんじ)で沖縄の戦国武将の名である。蛙が地を占領するほど鳴いている。小石から岩に膨れ上がっていくような鳴動音。この驚くべき蛙の鳴動を「阿摩和利の岩を吐く」とメタファで表現した。蛙のように頬を張り、大口をあけて絶叫している戦国武将、吐き出された恫喝は岩となって敵の頭を砕いたか……。

そういえば句集本体には採られていないながら、野ざらしの解題中に、

とんぼ舞うちぎり絵の中の通学路

という句が引かれていた。これも高校時代の作らしい。無数のとんぼの羽のきらめきを「ちぎり絵」に見立てた可憐な作。自身、その通学路を往来する高校生でありながら、未来からの回想ででもあるかのようななつかしさにけぶって見えるのも、「ちぎり絵」のノスタルジックな語感のゆえだろう。

仮にも「新社会性俳句」などと呼称することが可能であるような性質を豊里の句が持っている以上、彼の句にもまたかつての社会性俳句が批判されたような、図式性やコード化の欠点が見られるのは事実である。

史の尾消す道しるべ銃剣改竄
九条の首狙う太刀鯉のぼり
流星のスライディング歓喜の海

などといったあたりは、そうした無残な失敗作であろう。しかし、だからといって豊里の作品世界を、単なる素材主義でありエキゾチズムであるとして退けることはできないと評者は考える。というよりそもそも、素材主義やエキゾチズムを過度におそれる必要はないのではないか。素材主義を過度におそれた結果が、現在の中堅若手の、洗練されてはいるが痩せ痩せに痩せた俳句の姿なのではなかろうかと、これは自省を込めての感想である。

二十六歳での句集刊行からすでに七年がたっており、豊里はその後も盛んな制作を続けているようだ。近作から興に入った句、若干を引いて擱筆する。

鳴き通す沖縄戦の空蝉よ
逃げ水がテロも戦争も孕んでる
自転車に永遠のように蛾がとまる
西行も芭蕉も綿毛の旅人
ケータイの螢烏賊とぶ街は楽器
死者も僕らも甘蔗穂波のマラソン
  ⇒「甘蔗」に「きび」とルビ
戦没のカモメカモメが傷をぬう


(*1)李御寧『「縮み」志向の日本人』 二〇〇七年 講談社学術文庫/原著:一九八二年 学生社
(*2)樋口覚『「の」の音幻論』 一九九一年 五柳書院
(*3)豊里友行句集『天荒現代俳句叢書④ バーコードの森』 初版:二〇〇二年/再版:二〇〇七年 天荒俳句会
(*4)高濱虚子選『ホトトギス雑詠選集 春の部』 一九八七年 朝日文庫/原著:一九三八
(*5)高山れおな句集『荒東雑詩』(二〇〇五年 沖積舎)所収
(*6)岡井隆・金子兜太『短詩型文学論』 復刻版:二〇〇七年 紀伊國屋書店/原著:一九六三年 紀伊國屋新書
(*)豊里友行のブログ「とよチャンネル」では、豊里の俳句作品・写真作品を見ることができる。http://toyoanneru123.ti-da.net/

--------------------------------------------------

■関連記事


極私的「国際俳句フェスティバル」レポート・・・関 悦史   →読む

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。




7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
月と太陽(ティダ)俳句会(代表=豊里友行)の幽霊会員です。

月と太陽(ティダ)のエイサー太鼓島うねる   友行

の句に見られる感性のきらめきを作句者は忘れないでいてほしい。

時事詠ばかりだと高山氏の指摘する、かつての社会俳句の壁なのですが、豊里が写真を写真家の『ヒロシマ』によって本格的に始めている。

http://toyoanneru123.ti-da.net/e751906.html

その土門拳の提唱したリアリズムも壁にぶち当たってしまい終焉を向かえた・・・。
そのあたりをかなり豊里は研究しているのだが、果たして現在の師匠である金子兜太氏の俳句道をしっているかはかなり怪しい・・・。

私の気になる点は知っいないとしても新社会性俳句の観念的な坩堝に陥らないことを願って止まない。

匿名 さんのコメント...

金子兜太先生の本は最近から読んでいます。

これからもがんばります。

書評(豊里俳句論)ありがとうございます。

これからもどうかよろしくお願いします。

なな さんのコメント...

こんにちはー。

あの木村伊兵衛と土門拳みたいな写真家の豊里友行さんですよね?
「辺野古」の全国巡回写真展を見ました。
俳句もなさるとは驚きです。

沖縄の基地の現状を詩的に表現されているのは写真にも通じるものがあるのでしょうね。

逃げ水の基地がぶつかる邪馬台国   友行(『バーコードの森』再販本より)

リトル東京 さんのコメント...

処女句集の『バーコードの森』豊里友行俳句集はすごい高い評価があるようですね。

私も一冊注文したいのでがどこで販売していますか。

高山れおな さんのコメント...

リトル東京様

豊里友行句集『バーコードの森』は直接、著者の豊里さんにお問い合わせいただくのがよいかと存じます。豊里さんのブログ「とよチャンネル」をご覧ください。
http://toyoanneru123.ti-da.net/d2009-04.html
ブログタイトル下に説明書きがありますが、そこに彼のメールアドレスが表示してあります。そのアドレスに直接購入希望の申し入れをなさってみてください。残部はあると思います。

れな さんのコメント...

はじめまして!

野ざらし延男氏の改題を読みました。
詩的広がりを重視した豊里俳句の開拓者として第一人者ですね。

高山れおな氏の豊里俳句論も別の切り口で楽しませていただきました。
客観的で詩的感受性を受け止めることのできる高山氏の評論にも注目してみたいです。

また豊里俳句の解読者としては異例の採り上げかただった新報文芸(浦田義和・佐賀大学教授)も面白いですよ。

彫刻家の金城実、小説家の池宮城秀一、『俳句年鑑』での「沖縄の新しい風など」など期待の新鋭俳句作家として鮮烈なデビューをされた豊里俳句の自作を楽しみにしています。

喜屋武 さんのコメント...

はじめまして。
懐かしい名前に目を見張りました。
豊里友行は沖縄を代表する俳人で写真家だと思います。
今度「21人新鋭アンソロジー句集」に豊里さんも主品されるようですね。
『バーコードの森』豊里俳句集から6年過ぎての第2弾作品集でもありますね。
楽しみにしていますよ~。

それにしても高山れおな氏の豊里友行俳句論お見事です===3