2009年2月1日日曜日

あとがき(第25号)

あとがき(第25号)



■高山れおな

先週の土日の日記。
豈weeklyの入稿は前夜のうちに済ませ、土曜日の朝、新幹線で京都へ向かう。
京都国立近代美術館で「上野伊三郎+リチ コレクション」展を見る。伊三郎は、ウィーン分離派のヨーゼフ・ホフマンが主宰するウィーン工房で学んだ建築家。同工房で、資産家のお嬢さんだったリチと出会い、結婚した。伊三郎が中心になって京都で発行された「インターナショナル建築」は、建築史の方面ではつとに名高い幻の雑誌だが、伊三郎の名はすっかり忘れられているようだ。リチの壁紙やプリント服地のデザインは、動植物への愛に満ちたすばらしいものだった。身近なところでは、たとえば日比谷の日生劇場地下の喫茶室の内装はリチが担当したのだという。今は改装されてしまいましたが。

近代美術館から徒歩一分のところにある星野画廊で「三上誠」展を見る。星野さんにお目にかかるのは、十年ぶりくらいである。近美には時々来ているのだから、もう少しお訪ねせねばと反省。タクシーで富小路六条にある長講堂というお寺へ。法印院尊作の阿弥陀三尊像を拝観する。院尊は、運慶一門が制覇する直前の時期、斯界の第一人者だった。仏象は半丈六仏で、さほど大きいわけではないが、さすが名品也。ご住職の話では、中尊のお尻に焦げあとがあるとか。蛤御門の変に際して、間一髪で救い出されたということのようだ。

電車で山崎へ。アサヒビール大山崎山荘美術館で「山口晃」展を見る。山崎という場所をテーマにした新作展である。天王山の戦いで負けた明智光秀が、長浜に落ちのびようとして家臣たちと腹ごしらえをしている場面を描いた絵が秀逸だった。題して《最後の晩餐》。

電車で芦屋へ。芦屋市立美術博物館で「大阪の文人画」展を見る。残念ながら、これは退屈だった。大阪へ戻り、大阪駅の駅ビル内のホテルにチェックイン。大相撲十四日目の最後の四番をテレビで見たあと、地下鉄御堂筋線に乗る。淀屋橋駅で下車し、至峰堂画廊へ。わけあって挨拶しておきたかった画廊であるが、主人は留守で、若いスタッフとしばし歓談する。長谷川利行と須田克太の良い絵があった。

ホテルに戻り、『オリエンタリストの憂鬱』という本の続きを読む。芦屋市立美術博物館の食堂で、カレーにトーストまでがっついたためか、なかなか腹が減らない。九時を廻ったあたりで、ふと鮨が食べたくなり、大丸百貨店上階の鮨屋へ。はっきり言って大した鮨ではございません。しかし、精算となってびっくり仰天。当方の予想の二倍近くもするではありませんか。品書きに値段のついていないお鮨屋さんの怖さを、久々に味わいました。それにしてもあれは暴利だね。

日曜日は八時起きのつもりが気づくと十時近い。あわててシャワーを浴び、チェックアウト。タクシーで中之島の国立国際美術館へ。「新国誠一」展を見る。コンクリート・ポエムの詩人である。よって気に入った詩があっても引用もできないのであるよ。この時点ではまだ出ていなかったが、「現代詩手帖」の二月号がこの人の特集を組んでいる。

大阪駅から電車で伊丹へ。駅前のインド料理屋でブランチ。伊丹市立美術館(柿衞文庫と同じ建物)で、「山下清」展を見る。修復家の方の講演会も聞く。日曜の午後とはいえ盛況なること驚くべし。山下清人気健在を確信する(これは仕事の話)。学芸員の藤巻和恵さんに数年ぶりでご挨拶。とって返して、新大阪から新幹線に。

十九時三分、東京着。八重洲ブックセンターへ行く。思うところあり、新潮文庫で三島由紀夫の『青の時代』を買う。岩波文庫の新刊で『李商隠詩選』が出ているのに一驚してこちらも購入する。日本橋桜通りの鶏肉料理屋へ行く。八時から佐藤文香・上田信治・中村安伸・青嶋ひろの各氏と会食する約束なのだ。文香さんとは初対面である。中村夫妻は、幹事であるにもかかわらず道に迷い、二十分余りの遅刻。初めての店とはいえ、あの辺の道は碁盤の目状でたいへんわかりやすいのに、なぜそんな深刻な迷子になったのか謎也。

文香さんは、「週刊俳句」に書く原稿でたいそう忙しいという話をしていた。当ブログより半日早くアップしている「週刊俳句」第九十三号は、その予告通り、「B.U.819まるごとプロデュース号」である。作品やらエッセイやら対談やらてんこ盛りだが、「さきちゃんへの手紙」はとりわけ読み応えあり。発表された時点ですでに俳句史上の必読文献というおもむきである。石原ユキオの漫画とのコラボレーションも面白いな。これはどういう手順での制作なのかしら。「ケーコーペン」九句は、豈本誌第四十七号掲載の「鳩サブレー」十二句と同様、文香さんの日常生活に素材を汲んだ連作形式である。しかも、いわゆる境涯詠とはまったく別種の新しみの花ひらきつつあり、反撥する人も多かろうが、高山は断然支持する也。この調子で句集一冊分を巧く構成したら、壮観ならん。というわけでまた来週。



■中村安伸

上の高山氏のあとがきにあるとおり、幹事であるにもかかわらず大遅刻をしてしまいました。言い訳はいたしません。というより、自分でもなぜあんなことになったのかうまく説明できなません。関係各位にはご迷惑をおかけしました。

さて、先日鈍行をのりついて仙台まで行って来ました。常磐線に乗っていると、一面の刈田の向こうに太平洋が広がっているだけといった荒涼とした風景に出くわしました。がらんとした空間にぽつんと大きな箱と塔があって、それはおもちゃみたいに清潔なパステル色をしていましたが、いわゆる原発なのでした。

原発を借景にして毛糸編む 山口東人

これは「週刊俳句」90号に掲載された山口東人氏の30句の中の一句です。高山氏のあとがきにもある「週刊俳句 B.U.819まるごとプロデュース号」にて、この句を含む数句の鑑賞を「句の中の人びと」というタイトルで、佐藤文香氏が書いておられます。

その佐藤氏ですが、豈ウィークリー今号にも「日常生活動作」の番外編「非日常生活動作」というタイトルで、小川軽舟氏との交流についてご寄稿くださっています。

また、佐藤氏は本日BS日テレにご出演とのこと、詳細はB.U.819をご参照ください。


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