2008年10月26日日曜日

あとがき(第11号)

あとがき(第11号)



■高山れおな

大本義幸氏の第二句集『硝子器に春の影みち』を書評しました。この人の俳句世界において、故郷である愛媛県の佐田岬半島の存在は決定的ですが、なにぶん地図とウィキペディアからの知識だけでは我ながら隔靴掻痒の感をまぬがれませんでした。そこへ送られてきたのが、「失われた風景」第四回用の原稿。なんと青山茂根氏は佐田岬半島を旅したことがあるというのです、それもかなり濃厚な旅を。急遽、第三回と第四回の原稿を入れ替え、はからずも大本義幸小特集となりました。それにしても佐田岬半島なんて、関東の人間がまず行くこともない場所へ、彼女はなぜ出向いたのか。それはもちろん本編を読んでのお楽しみ。

冨田拓也氏の「俳人ファイル」が始まりました。それもいきなり下村槐太とは嬉しい。連載終了後に、「選は悪夢なり」と悩める選者によるどのようなアンソロジーが出現することになることやら、早くも眼がはなせない雲行きになってきました。

佐藤文香氏の「俳人的な何か」との格闘に共感しました。というか、じつは当方は「俳人的な何か」をほとんど持っていないらしいことに、改めて気づかされた次第です。俳人のふりはしているが僕はほんとうは俳人ではない、とかなんとかどこかで聞いたような科白を思いつきましたが却下。

俳句界のウィトゲンシュタイン、筑紫磐井氏は「評論詩」という爆弾で、俳句の秘伝化(?)をもくろむ輩を木っ端微塵に粉砕する。なぜウィトゲンシュタインかは本文を最後まで読めばわかります。長大な論考ですが、「評論詩」なので意外に読みやすい。よろず中毒症状に効能あり、磐井堂謹製毒消しあほだら経でございます。

江里昭彦氏の「身体俳句曼陀羅」は、短期集中連載。七回にわたっての掲載を予定しております。緒言にあきらかにされているように、夏石番矢氏の『現代俳句キーワード辞典』(一九九〇年)に範をとったもの。ただし、その同じ緒言では、番矢氏が同書に自分の句を大量に採録していることに批判が向けられてもいます。これはなかなか悩ましい問題。選者の作品の入集が多くなるのは、古今集から三省堂の『新歳時記』いたるまで、アンソロジーの伝統でもあるからです。なにしろ選者に立てられるのは当代随一の作者なのですから、そうなって当然なのです。例えば立風書房の『女流俳句集成』(一九九九年)には、編者である宇多喜代子・黒田杏子両氏の句は載っていませんが、これはこれで違和感を禁じ得ませんでした。番矢氏の場合は、いかに立派な業績をあげていたとはいえ、三十代半ばの若さで第一人者風にふるまってしまった戦術眼の欠落をこそ指摘すべきなのでしょう。真の大転換期であった、明治後期とはわけが違うのです。それで江里氏のような支持者を失ってしまってはなんにもなりません。アンソロジーとは単に良い作品を選べば済むというものではなく、一面においては非常に政治的な産物であることを肝に銘じるべきでしょう。もちろん冨田氏のアンソロジーだってその例外ではありません。



■中村安伸

発熱でダウンしてしまいました。今回執筆はお休みさせていただきます。



▲▲▲▲▲▲▲▲▲「豈」発行人からのお知らせ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
■「―俳句空間―豈」47号発行予定:11月中(予定よりややおくれます)
■イベント:
 豈忘年句会:恒例の忘年会を兼ねた横浜吟行句会を「蛮」と共同で11月22日
(土)に予定。
  句会:波止場会館1F多目的室(大桟橋入り口/海岸通1-1)
/12時受付開始・1時出句締切、会費1000円
  懇親会:中華街「廣東飯店」/18時より/7000円
■同人の出版:
 高山れおな『ウルトラ(新装版)』(沖積舎)10月20日/3000円
 大本義幸『硝子器に春の影みち』(沖積舎)10月30日刊/2800円
 貞永まこと、長岡裕一郎句集近刊予定。

0 件のコメント: