2009年11月7日土曜日

閑中俳句日記(16) 小川春休句集

閑中俳句日記(16
小川春休句集『銀の泡』

                       ・・・関 悦史


これは先月作者からお送りいただいた句集。収録句数はやや多めで、おおよそ四百数十句ほどか。

産まれさうなれば急いで梅の坂

産まれるを待つ着膨れてうろたへて

陣痛がはじまればもう寒さなど

手も足もふやけて雪に産まれし子

未知の人なので冒頭に陣痛の句が並んでいるのを見、女性作者かと思ったが「着膨れてうろたへて」待っているので夫の立場の句だろう。

ご家族の逝去を詠んだ一連もある。

春炬燵買うて程なく逝かれしよ

冷酒で薬飲み干し通夜の衆

弁当を増やせ減らせと雨蛙

母を焼く煙かぼそし藤の雨

母逝けばこの家は燕住まふのみ

祖父の訃のあとはふくろふばかりなり

切干の乾きて軽し祖父は亡し

全部よくわかる。そこに違和感がある。つまりこれらの句、通念的なところでまとまりすぎで必ずしも実体験が必要ではない作りになってはいまいか。

句集全体としては身近な事物を明快に描いた句が多く、家族を詠んだ作が中心になっているわけではないのだが、通念的明快さという特質が、題材が題材だけにこの辺は際立つ。「物の微」や「情の誠」(どちらも「赤冊子」のキーワード)といったものの表出とは別なところをこの句集の句たちは目指しているように見える。

まぶしきはむかうの岸も萌ゆるらん

春寒し新聞に紐食ひ込みて

鶯に覚めず大きな犬である

よく萌えて雨樋の水吐くところ

畳まれて顔ばかりなり鯉幟

新緑や手品に拍手まばらなる

山蚕よりさみどりの糞うまれけり

扇風機新聞一枚づつめくれ

印象的だったところを幾つか拾った。むしろあまり上出来でない句を選んで並べた方がはっきりはするのだが、安西水丸でもわたせせいぞうでも誰でもよいが、質感・量感の感覚的再現を目指さず、奥行きを欠いたスマートな平塗りの色面に全ての形態を還元した上で構成した(つまり場合によっては現物を見なくても描ける)イラストレーションにも似た単純明快さの印象が句集全体を覆っており、それが限界にも長所にもなっているのだ。感覚的・感情的なリアリティを伝えるという点では弱く、表層に封じ込められたような密閉感もあるが、様式的には統一性があるということになる。

銀の泡まとひて桃が水の中

表題となった句がまさにそういう作で「銀の」と審美化をほどこされつつ、「が」で直結させられることでモチーフ全部が同一平面上に位置させられている。

こうした様式は句の中に理屈が通ってしまいやすい。

例えば《風吹くや春水の皺のびちぢみ》は風が吹いたので波が立ったという因果関係の中で「波」を「皺」と言い換える非常に近い暗喩のみで成立している句だし、《足指の間ひをとほれば水涼し》の「とほれば」の条件法も気になる。また《つばくろの出払つてゐる醤油店》《囚われのざりがに同士いさかへる》などのおかしみは、人界の都合や人間中心の尺度で他の生物の行動を割り切ったことから生ずるものである。事態が合理性・合目的性の見地からして反転しているところが面白みになっているわけで、日常意識に立脚した分節基準自体は全くゆるがない。要不要や合理性といったものとは別な、いわば不気味な分節の仕方が立ち現われてきてしまうのが、写生句の一つの醍醐味なのではないかと私は思う者だが。

世界観(ひらたくいえば言い表したいもの)の固着は容易に言い過ぎにも繋がる。《籠手の紺濃く仕る神楽笛》の「仕る」や《暖房の利いて粘土のにほひ甘》の「利いて」などは、果たして句中にあった方がよいか。

秋の蠅杉玉に分け入りしまま

これも「入ったら出てくるのが当然なのに出てこない」という理が潜んではいるのだが、秋の蠅が入ったままの杉玉というオブジェの妙な存在感が出てやや面白く、

初空や無きがごとくに窓硝子

松過の塵吸ひよせてゐるテレビ

など生活圏のどうでもよさそうなものを詠んだ句がむしろ情緒や理との密着の度合いが薄れ、その分句の姿が楽々としている。

小川春休…昭和51116日広島生。平成10年「童子」入会。平成15年「童子」同人。童子新人賞、童子編集長賞、童子賞、童子評論賞受賞。平成21年「澤」入会。

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俳句九十九折(53)七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也   →読む


2 件のコメント:

小川 春休 さんのコメント...

拙句集を採り上げていただき、ありがとうございます。なかなかに手厳しい御指摘もありますが、ここまで拙句集を読み込んでいただけたことにまず何より深謝いたします。
高山れおな氏のあとがきにも「有季定型、花鳥諷詠の人はたいていそうであるように、平淡で楽天的で気持ちの良い世界」と評されていますが、所属している結社の中を見渡しても私と同程度、もしくは私以上の書き手はたくさんいる訳で、この度の句集を一つの区切りとして、「平淡な世界」から一歩前に進みたいと思う次第です。
今回の閑中俳句日記の内容は、様々な示唆を与えてくれているように感じました。折に触れ、読み返させていただこうと思います。ありがとうございました。

関悦史 さんのコメント...

小川春休様
レス遅くなって失礼しました。
この稿、今まで豈weeklyに載せてもらった句集紹介のなかでは私としてもおそらく一番難渋したもので、示唆というふうに受けていただけると本当に幸いです。
句集を一冊まとめるというのは区切りをつけ、前進するための大きな経験にもなるのだろうと思います。
今後の小川さんの御活躍に注目しております。