角田登美子句集『鉾稚児』
・・・関 悦史
今回は近くの古本屋の閉店セールでたまたま入手した全く未知の人の句集、角田登美子『鉾稚児』(ふらんす堂・1990年)から句を少し紹介する。
波乗りの青葉潮より立ち上る
白湯飲んでひと日紫陽花いろの息
うすずみの夢の端にゐて明け易き
競了り牛のにほひの時雨くる
凧上げて枯野いづこか覚めてをり
他人めく声の遠より昼寝覚
ひとつ家に別の息ある螢籠
感覚の冴えとそれを実体感のある静けさの中に安置してぎらつかせない、臈たけた距離の感覚が窺われるこうした句を立ち見して購入を決めた。ピアノでいえばクララ・ハスキルに近い、音そのものの凄みと気品とが奥深いところで一つになっているような作風なのではないかと。
角田登美子は奥付によると昭和2年(1927年)京都生まれとあるから、この『鉾稚児』は63歳のときの刊行。勘の良い読者ならば上記の数句だけからも見当がつくかもしれないが「沖」の同人で、句集には能村登四郎の序文と林翔の跋がつく。
《能村登四郎先生の句に魅せられて、沖に入会して以来十五年。最初、句集は遺句集でいいと決めていましたのに、俳句人生に一くぎりを付けたく厚かましく出版を思い立ちました》(あとがき)という性質の句集なので見た人もあまり多くはないのではないか。この短いあとがき、《幼い頃から活字が好きで、学校時代は乱読の日々でした》と始まっているのが目を引いた。ものを見て句を作るばかりでは到達できない領域があるという認識と自負をここに感じたからである。
具体的な読書傾向が窺い知れるような句はほとんどないのだが、例えば家族や自分を詠んだ句の、感傷や自己愛の過多にも、また逆に非情な突き放しにも陥らないしなやかさの裏には、相応に鍛えられた審美性がありそうだ。
稲の香の記憶どこかに母のゐて
まぶしさの子の掌に余る雪うさぎ
シャワー浴び身ぬちに走る魚ごころ
透明な過去しか持たず青葡萄
遺句集に深入りしたるおぼろの夜
《傍観に似て夏痩せの夫とをり》という句もある。ベタベタと世話を焼いて見せはしないが、能村登四郎の序文に指摘のある通り「似て」とあるから傍観しているわけではないのだ。
その愛情と批評性が、家族というものが持つ深淵じみた恐怖の感覚をも諧謔のうちにおのずと掬い取ることになる。
毛糸玉どう転んでも母の域
燕子花当世は夫のやさしくて
夏掛の乱れぬ父を怖れけり
「燕子花」は伊勢物語を踏まえているらしい(これはリーフレットで島谷征良が指摘)。
咲き初めを白しぶきして藤の空
押入に用あるごとく無月なり
白魚食み腑の薄明を思ひゐる
生水に藻の香のまじる半夏生
冷夏にて疑ひ深き鳥けもの
レース編み波の構図に揺れてをり
新小豆ずしりと故郷光りだす
柚子冷えて情念奥へ奥へかな
享保雛朱唇といふも黝ずめり
現し世の眼を洗はるる箱眼鏡
流しさうめん貴船の冷を加へけり
忘年会手拍子どこか醒めてをり
プール開き蒼天乱れはじめかな
秋風にすこし口あけ写されし
群れ離れせる藁塚をさびしめり
水餅を焼くの煮るのと濁しけり
ワープロの文字濡れて出る半夏生
杜深く鉾稚児位享けてきし
人の渦の芯で回せり鉾回し
白ワインに明日の透けゐる秋意かな
割勘の付合ひ通し水澄める
「故郷」「情念」「現し世」「明日」といった概念露出に陥りやすい語を用いた句も感覚の鮮度と結びつき、作者の想いの押し付けではなく、逆に生きられる世界の持続性と開放感を呼び起こすことに成功している。
角田登美子…昭和2年4月26日京都生まれ。昭和50年「沖」入会。昭和59年「沖」同人。俳人協会会員。
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