2009年6月13日土曜日

閑中俳句日記(10)

閑中俳句日記(10)
前号の拙稿についてのお詫び・訂正と眞鍋呉夫句の読み直し


                   ・・・関 悦史


前回の拙稿において、事実の誤認がありました。

前回の記事は、初出では「たぎりおちる月の潮や鯨の背」だった眞鍋呉夫の句が新句集『月魄』に収録には「たぎりおつる月の潮よひと戀し」と改変された形で収録されていたことに注目したものでした。

この句の異同自体はこれで正しかったのですが、初出誌の掲載号と初出時の句数・編成が間違っており、初出が掲載されたのは『俳句』の「2002年11月号」ではなく同年の「9月号」、また句数は全部で「8句」ではなく「21句」でした。

つまり作品発表から2ヵ月後の「合評鼎談」から打ち込んだファイルを、発表号から打ち込んだものと勘違いして用いたことによるミスであり、初出誌の現物を再確認に出向く手間をかければ防ぐことの出来たものでした。以上の点、心よりお詫びの上訂正し、再度読み直したいと思います。

ご指摘頂いた方、ありがとうございました。

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『俳句』の平成14年(2002年)9月号に掲載された眞鍋呉夫作品は以下の21句。

特別作品21句

     眞鍋呉夫

嘴太の光となりぬ走り露

戸袋の闇を濃くして虫すだく

月の前足をそろへて雁わたる

藪の奥へ死ににゆく猫月青し

銀の鰭ひしめき遡(のぼ)る良夜かな

ゆるやかにブーツ倒るる夜長かな

盆荒の海より喚(おら)ぶ声つのる

鶏小屋の貝殻光る野分かな

たぎりおちる月の潮や鯨の背

火の薪のはじけて屍(かばね)直立す

凩やにはかに増えし象の皺

地吹雪や駅なくなりしわが故郷

親も子も知らねどわれは雪女

巻くにつれ水飴いよよ白くなる

  戦歿画学生記念無言館
言霊はここに鎮もり冴えかへる

雹どれもさびしき翳(かげ)を芯に抱き

  壬午六月十二日 長男立彦の伴侶美佐子肺癌の
  ため他界 行年五十三 二句
紫陽花の今年の藍は見ずに逝く

二人子を残して逝きぬ梅雨晴間

そのかみの屍衛兵端居して
    屍衛兵は 旧陸軍において 戦死者の遺体の
    護衛を命じられた兵士の呼称

死者あまた卯波より現(あ)れ上陸す

身のどこか透いてゐるらし夜の秋


句集『月魄』にそのまま収録されたものが3句。

《銀の鰭ひしめき遡(のぼ)る良夜かな》
《鶏小屋の貝殻光る野分かな》
《凩やにはかに増えし象の皺》

微細な変更を伴って収録されたものが5句。

《戸袋の闇を濃くして虫すだく》は「虫」を「蟲」に変更。
《月の前足をそろへて雁わたる》は「足」を「肢(あし)」に変更。
《藪の奥へ死ににゆく猫月青し》は「奥」を「中」に変更。
《雹どれもさびしき翳(かげ)を芯に抱き》はルビ「かげ」を削除。
《死者あまた卯波より現(あ)れ上陸す》はルビ「あ」を削除。

収録されなかったものが11句。

《嘴太の光となりぬ走り露》
《ゆるやかにブーツ倒るる夜長かな》
《盆荒の海より喚(おら)ぶ声つのる》
《火の薪のはじけて屍(かばね)直立す》
《地吹雪や駅なくなりしわが故郷》
《親も子も知らねどわれは雪女》
《巻くにつれ水飴いよよ白くなる》
《言霊はここに鎮もり冴えかへる》
《紫陽花の今年の藍は見ずに逝く》
《二人子を残して逝きぬ梅雨晴間》
《身のどこか透いてゐるらし夜の秋》

そして大きな改変が施されて収録されたのが2句となる。

《たぎりおちる月の潮や鯨の背》
《たぎりおつる月の潮よひと戀し》
《そのかみの屍衛兵端居して》
《我はなほ屍衞兵(かばねゑいへい)望の夜も》

後者については左注も「屍衛兵は 旧陸軍において 戦死者の遺体の護衛を命じられた兵士の呼称」というシンプルなものから「『大東亞戦争』當時の陸軍には 戰死者を荼毘にすることが可能な場合には 晝夜をとはずその棺の前に衞兵を立てることがありこれを屍衞兵と稱してゐた」へと変更され、やや詳しくなっている。この変更で「荼毘」による火のイメージと「衞兵を立てる」による立っている兵のイメージが強固になった。

句本体も、端居して往時を偲んでいるだけの、過去と現在とがはっきり切れ、内部と外部とが安定したパースペクティヴを保っていた《そのかみの屍衛兵端居して》《我はなほ屍衞兵(かばねゑいへい)望の夜も》と変えられることによりモチーフが内面化、他人の様子を眺めているようにも見えた初出形が明確に「我」に引きつけられた。「望の夜も」の「も」が恐ろしい。句集『月魄』において月の光は概ね死者と生者の境を溶かすような働きをしていたが、この句では満月の夜だけではなく「我」はいつまででも、ほとんど永遠に近い時間、戦死者の脇に立ち続けざるを得なくなっている。初出と句集に収録された形とでは時間意識が異なっているのだ。ここでは屍衛兵として己が立つ夜の光景が内界を制してしまっている。

《たぎりおちる月の潮や鯨の背》から《たぎりおつる月の潮よひと戀し》への「鯨」の消失という大きな変更は、やはり『月魄』の世界に健常な鯨が介入する余地がないためと見る。

句集『月魄』の世界にはかなり明確な原理または傾向性がある。月及びそれと一心となった作者により、その内奥に取り込まれたものたちはいずれも生死の境を無化する方向へと動く。死者は甦り(《死者あまた卯波より現れ上陸す》《月を背に遺骨なき兄黙し佇つ》)、死物・無機物は突如生気を帯び(《鶏小屋の貝殻光る野分かな》《古蓆立ちあがりたる野分かな》)健常な者は衰滅の相を現す(《凩やにはかに増えし象の皺》《月魄や片足萎えし蟇》)。

「雹」21句の中にもこうした方向性は既にかなり見えてきている。

改めて初出時のこの句付近の並びを見ると

盆荒の海より喚(おら)ぶ声つのる
鶏小屋の貝殻光る野分かな
たぎりおちる月の潮や鯨の背
火の薪のはじけて屍(かばね)直立す
凩やにはかに増えし象の皺

と、「盆荒」「貝殻」「屍」と死者または死物の賦活のモチーフが読者に刻み込まんとするかのように続けられ、「象の皺」が生者の衰滅のモチーフとなる。この「鯨」はどちらかなのか。『月魄』には他に、群体の動きがそのまま霊体に転じたような作も幾つもある。《銀の鰭ひしめき遡(のぼ)る良夜かな》《月魄や出入りはげしきけものみち》等だが、しかしこの鯨、「月の潮」に背を這われてもそれが「衰滅」とは見えず、かといって「霊体」ととるには巨鯨の身体の統合性・構造性が邪魔になる。

前の句集『定本 雪女』から「鯨」のモチーフを探ると一句のみ《われ鯱(しゃち)となりて鯨を追ふ月夜》というのがある。同じ『定本 雪女』に《いのち得て恋に死にゆく傀儡(くぐつ)かな》《夜干して男を刺しにゆく女》等々、恋と死・刃傷が直結する句が幾つもあり、この鯨を追う鯱も恋情の句なのかもしれないのだが、単独で見る限りそうしたモチーフはさまで明瞭ではない。

眞鍋呉夫の俳句世界において「鯨」は未だその明確な位置付けが定まっていない対象であり、『月魄』の世界観において定位がし難かったがための消失だったのではないか。

他に落とされた句の中で目を引くのが《親も子も知らねどわれは雪女》である。言うまでもなく「雪女」は眞鍋呉夫の代名詞のようなモチーフだが、自分が雪女になっている句は他に見当たらないのではないか。

『定本 雪女』から拾える「雪女」の句は以下の5句である。

  序句
   M――物言ふ魂に
雪女見しより瘧(おこり)をさまらず
雪女ちよつと眇(すがめ)であつたといふ
口紅のあるかなきかに雪女
雪女溶(と)けて光の蜜となり
うつぶせの寝顔をさなし雪女

3、4句目が主格が不鮮明とはいえ、概ね雪女は他者として見られる存在である。

『月魄』には「雪女」の句は13句あり、数としてはこちらの方が多い。

雪女來たか葦毛が竿立に
雪女うしろに吹雪く闇を率(ゐ)
雪女その夜の月のすさまじく
雪を來て戀の軀となりにけり
雪女あはれ鵠(くぐひ)の頸を秘め
雪女「鬼ひと口」と馬乘りに
雪をんな打身のあとのまだ青く
雪をんな水晶岳を越えてくる
雪女いま魂(たま)觸れ合うてゐるといふ
雪女あはれみほとは火のごとし
雪をんな裏階段をのぼりくる
心中がいちばんいいと雪女
(ながら)へてわが爲に哭け雪女

こちらでも自分が雪女になっている句はないが、『定本 雪女』と並べるとその扱いに違いが出てきていることに気づく。

畏怖の対象としての雪女(《雪女見しより瘧(おこり)をさまらず》《雪女來たか葦毛が竿立に》)、愛惜の対象としての雪女(《うつぶせの寝顔をさなし雪女》《雪女あはれ鵠(くぐひ)の頸を秘め》)の他に、雪女との恋というモチーフが浮上してきているのだ。

そこで時期的にはその中間に位置する《親も子も知らねどわれは雪女》だが、これは雪女との合一・漸近・内面化を探る過程で現われた作なのではないかと思われる。「親も子も知らねど」の逆説が引っかかる。「親も子も知らぬゆゑ」であれば、通常の生命継承からも係累からも離れ、孤立した実存であるがゆえに私は雪女なのだと取れるがここでは逆説である。句意は「通常の係累はないが、私は雪女であることにより全ての生ける者たちとその生死に於いて繋がりあっている」といったものとなるだろうか(他に、文法上は「親も子も私の正体を知らないが私は実は雪女なのだ」という読解もあり得るが、これでは常凡な生活者の奇矯な自己意識の句になってしまう)。つまりこの句は雪女を直に「我」化することで幽明の境そのもののような『月魄』の世界へと我を散開・遍在させようとしながら、その方法的な短絡によって不成功に終わった句であり、再度別方向からの内的合一を図ったのが『月魄』後半に於いて現われた雪女との恋・心中というモチーフだったのではないか。雪女との一対を成すことにより「我」は《眞夜中に起きて刺しあふ傀儡かな》(『月魄』)の「傀儡」と同じ、うつろな死物でありながら生命の寂しさそのものに関わるひとつの物件へと化すことが出来るのだ。

他に「雹」21句から『月魄』へと編入されなかった中で、明確な特徴を持つ句が3句ある。

  戦歿画学生記念無言館
言霊はここに鎮もり冴えかへる

  壬午六月十二日 長男立彦の伴侶美佐子肺癌の
  ため他界 行年五十三 二句
紫陽花の今年の藍は見ずに逝く

二人子を残して逝きぬ梅雨晴間


1句目は無言館に佇む語り手が戦死者の言霊と完全に分離してしまって、それを外から哀悼するのみに終わっている。2、3句目も同様だが、こちらはさらに作者の実生活上の人間関係までが直に介入してしまっている。

こうした前書きのついた身近な人たちへの追悼句は、『定本 雪女』では幾つも散見されていた。

  昭和丙辰一月二日 檀一雄氏他界
茎の石さびしや天馬空をゆき

  不慮の事故により大学卒業直前の史朗(ふみあき)
  君を失ひし堀江紀美江さんへ みだりに「子持鱈
  口閉ぢ雄鱈口開く 暮石」をふまへて
口ひしと閉ぢてせつなや子持鱈

等がそれだが、こうした句は『月魄』ではほぼ消えてしまい、戦死者、祖霊などは現われるものの、個人名が特定されるような死者は最早現われることはない。

『定本 雪女』から「雹」21句を経て『月魄』までの歩みを辿りなおすと、様々なスタンスの句が混在し、雑然としているがゆえに相応の豊かさをもあわせ持った『定本 雪女』の世界から、幽明の境そのものを己の内部に沈め込み、比較的シンプルな構成原理でその深みへ至ろうとする純化路線の『月魄』へという道筋が浮かび上がってくるように思われる。

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