2008年12月21日日曜日

あとがき(第19号)

あとがき(第19号)



■高山れおな

12月20日の土曜日、原宿の積雲画廊で故長岡裕一郎さん(第7号拙稿参照)と、藝大の同窓生・岩本行雄さんの二人展を見たあと、近くの居酒屋でひらかれた長岡さんを偲ぶ会へ。澤好摩氏は、長岡氏の短歌・俳句について「由緒正しき星菫派」と評したそうであるが、絵画でもそれは同様であった。岩本氏によれば彼らが在学した頃の藝大では、抽象表現主義が真っ盛り。長岡氏のように、ある意味古風な具象絵画が好きでその道に進んだ人には裏切られた思いもあったことと推察する。より大きな美術史の枠組で言えば、抽象表現主義を最後に絵画そのものが終ってしまったというか、すくなくとも美術の王座を下りてしまったわけで、本来的な絵画を愛する人たちにはなんとも居心地の悪い時代なのだ、現在は。もっとも、俳句なぞは御一新このかた居心地が良かったためしがないのだから、洒落にもなりません。

偲ぶ会では筑紫磐井氏、中村安伸氏、そして当ブログの幻の創刊同人・生野毅氏ともゆっくり話が出来ました。生野氏からは、今後書く予定の記事の一覧が示されました。

1 飯田龍太と或る死刑囚 『俳句三十三講』(龍太著)の序をめぐって
2 俳句の体力
3 トイレでワシも考えた 星新一 安井浩司 高山れおなにおける「厠」
4 シリーズ「攝津さんがこの映画を観ていたら」
5 句集評 志賀康『返照詩韻』 恩田侑布子『空塵秘抄』 八木忠栄『身体論』等
6 書評 茂木健一郎と黛まどかの俳句と脳についての本 等
7 月のアペニン山のように 深沢七郎の短編と俳句の人への目線について
8 現代俳句は上方歌舞伎である
9 飯田龍太と水上勉 短編『壺阪幻想』を中心に
10 幻想としての季語

映画と現代文学に博大の知識を有する生野氏が乱入してくれれば、ブログもいよいよ活気づくことは間違いありません。みなさま乞う御期待。




■中村安伸

諸般の事情により一部記事のアップが遅れますことをご了承ください。

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