2010年7月18日日曜日

閑中俳句日記(41・最終回) 永田耕衣句集『泥ん』・・・関 悦史

閑中俳句日記(41・最終回)
永田耕衣句集『泥ん』

                       ・・・関 悦史


 最後に何を取り上げるかで迷い、耕衣の第14句集『泥ん』を引っ張り出してきた(以前第16句集『自人』を取り上げた際に姫路文学館のパンフを元に耕衣の書誌を上げたが、そこでは平成2年となっていた『泥ん』の刊行年、現物の奥付では平成4年となっていた。ただし耕衣本人による後記の日付は平成2年。刊行までになぜ2年も間が空いているのかは不明)。
 句集タイトル『泥ん』は後記によると、急に姿をくらます意の「ドロン」と《近時≪泥≫なる可視物質の実在ぶりを、カオス即存在の根源と拈弄観念して怠らぬ私感の≪泥≫一字を、的的に代用して恥じぬ妙体とした》造語である。


大晩春泥ん泥泥どろ泥ん


 この表題句は90代に入った耕衣の晩年意識、観念、体感が一体となった作として有名。「晩春」が「大晩春」となったことで人生の大晩年と「春」の駘蕩が重なり合い、不定形のうちに泰然たる自足を示す「泥」が肉体・実感を伴いつつ、「ドロドロ」のオノマトペへの変容を通じて、忍術の呪文よろしく「ドロン」と消滅するに至る。この泥を単なる物質と見てはなるまい。無論ただの観念でもない。
 この後平成7年に出た第16句集『自人(じじん)』には《云うたら然(そ)やろ季語もみな人類や》なる奇怪な一句がある。「季語」が「人類」と一視同仁となる視点とはいかなるものか。

 耕衣が禅問答に親炙したことはよく知られている。実際の参禅はあまりなかったらしい。
 禅は既成の主体を破砕し、融通無碍に拡張・伸縮させる。いわば世界全体が我であり、全体としての我が直接動かせる一作用点としての個我に的確な言動・判断をその都度自在生成させ続けるようになることで、結果的に個我が迷い、苦しみから脱することになる。それが禅の目的であるとひとまずしておくとして、その全体は物質からのみ成るわけではなく言語・観念からも成る。少なくとも耕衣における禅の取り込みには、そうした面がかなり強い。「季語」が「人類」と同質の連続性の中に投げ込まれるのはここにおいてである。

 耕衣は晩年テレビでのインタヴューに答え、自分の句の世界を「アニミズム」の語で語ったことがあったが、この広すぎる概念規定の内実が問題で、耕衣の場合まず相手が生命体であるか否かは問題にならない。それどころか物質であるか観念や単語であるかも問題にはならない。主体や言語的分別知が物質と同列に煮溶かされ拡散された禅的な土台がまずあり、「アニミズム」はその上に乗っている。つまり他の生きとし生けるものへの共感が起点にあるわけではなく、全ては禅的に(あるいは禅的な主体変容法の意図的な誤用によって)拡張された己の内のこととなる。いや、正確には内と外の区別が無意味になった領域というべきだろうか。そこで耕衣は世界としての己から個体としての己へと行動指針を集約させるのではなく、逆に個体としてのおのが身命の側から、世界としての己を五七五定型を以て言いとめようとする。その際にたち現れる巨大にして不定形な自足・湧出・往還運動の感覚こそが、耕衣の句のデモーニッシュな誘引力の正体であろう。


  対句 二品
流星や皆柄眼(へいがん)に写らむと
流星に柄眼(へいがん)の皆写らむと
   註*柄眼=蟹類の眼の如く柄をもつ眼のこと


 耕衣の句集にはこうした対句がしばしば姿を見せる。これは単に視点を相対化しているだとか、自他に跨ってその区別を渾然一体、無中心の世界を作り上げているといったことではない。
 この2句でいえば句の語り手は流星でもカニの眼でもどちらでもなく、その双方を認識することにより、半ば併呑しているわけである。
 ところが相手が「人類」となるとそう簡単には片付かない。己もその中に含まれてしまうからだ。


人類を泥とし思う秋深し
人類の泥眼
(でいがん)の秋深みかも
泥魂
(どろたま)の秋も深みの眇かな
泥の機の眼光に耐ゆ秋の暮



 人類を単に不定形の物質と観念している1句目はまだしも、2句目3句目では「人類の泥眼」「泥魂」なる変態の過渡形態じみたものが現れる。この泥=人類はおとなしく死に安らっているわけではなく、他者の区別と実存が溶け残っており、4句目《泥の機の眼光に耐ゆ秋の暮》となると、たまたま泥の状態でいる人類の誰かに見つめられてもいる。
 禅的な主体の拡張・拡散なしには視えない光景だが、にも関わらずその相克を無葛藤へと受け流す仏教的実践者の境地からは少々外れる。耕衣のおそらくあまり模範的とは言えないのであろう禅の受け入れ方の特徴があらわに出た、我執と大悟のはざまに現出する魔界的滑稽の景である。

 主体の拡張・拡散という要素は、端的に連作の多さという形でも現れる。
 以下の秋風の7句は、流星とカニの眼の正対ぶりとは違い、微妙にずれあいながら種々の要素を交換し、繋がりあり、「秋風」「翁」「老松」といったものたちが年齢・時間・性別を受け継ぎあい、全体として泥=人間的重合を示す。


秋風の辞儀に六歳翁応ず
翁行くまだ六歳の秋風と
藻に沈む二十歳
(はたち)前後の秋風ぞ
秋風や卵燒でも出來んか喃
(のう)
撫で斬りの秋風をわが女体とす
老松を秋風発す嬰として
秋風六歳にして老松を囲めり



 耕衣には先に《少年や六十年後の春の如し》の名吟がある。
 耕衣特有の視点、己の人生を時間の流れの中に定位しながらも、その時間全体が拡張した主体の支配下に置かれているかのような視点がここで既に獲得されていて、この句では「六十年後の春」という、ほぼ人生を走破した後の大晩年の駘蕩を身に帯びた少年が、珠のような永遠の円相へと昇華させられている。この「少年」は他人を外から見ているとも耕衣的主体自身が過去を振り返っているとも定め難い。おそらくそういう問いを立てること自体が適切ではない。先述したように、自と他、個と全、物質と観念の差異を、均すことなくその全域に拡散して跨るのが耕衣の句の特徴だからである。外から見ているだけ、あるいは私語りをしているだけでは、視点がどこにあるのかわからないようなこの主体の遍満感は出てこない。

 「秋風」の7句は「六十年後の春」に至るまでの内実を、いわば伝奇的に展開したものとでも言えようか。
 1句目の「六歳翁」は「六十年後の春」の輝きを身に帯びつつもそれを自覚していたとは思えぬ(またそれゆえに魅力を発していた)「少年」とは位格がいささか異なるようで、「六歳」にして既に「翁」の自覚を得ている。というよりも「翁」となるまでの記憶全てを既に閲した「六歳」であろう。無生物たる「秋風」の「辞儀」に感応することが出来るのも、そのリニアーな時間の流れを平然と跨いだ奇怪な主体のありようによるものだろうが、反応した途端、2句目でこの「六歳」という属性は何と「翁」から「秋風」へと移ってしまう。「翁」はもはや「六歳翁」ではなくただの「翁」だ。
 3句目、「翁」と別れた十数年後の「秋風」は風でありながら「藻に沈」み、何やら鬱屈した風情である。風とは普通動いている空気を指す。水に沈んで停滞しているのではアイデンティティクライシスもいいところだが、それでも「秋風」は「秋風」であり続けてはいる。この「秋風」は物質性とは無関係ではないものの、切れてもいる。これが禅的拡張を土台にしての耕衣の「アニミズム」の一例である。
 さらにいえばこの「秋風」の在り方は寓意的でもある。寓意的なキャラクターがアニミズムに直結する必要は本来はない。イソップ童話に現れる「キツネ」は「狡猾」という性質だけを体現している符号に近い存在であり、現実のキツネへの共感を土台に成り立つアニミズムとは別の次元にいる。しかし耕衣の「アニミズム」はこの相違をも踏み越える。つまりこの「秋風」は「爽やか」であったり「冬を予感させて物思いに誘ったり」するという寓意性と、擬人法的に意思と生命を付与された怪しげな何かであることの双方を、同時に担うものとして登場している。

 4句目《秋風や卵燒でも出來んか喃(のう)
 これは一体、いきなり誰が何を言っているのか。
 3句目で「藻に沈」んでしまった「二十歳(はたち)前後の秋風」の鬱屈を、何とも素朴な料理の「卵燒」が茶化しつつ生活と日常の刻印を帯びた実体の方向へと転じているようだが、卵は生命の発生源であり、同時に卵を焼く過程で現れる溶き卵の形状は泥そのものでもある。「ドロン」の呪文とともに消滅する生命は、別の旨味と実体へと転ずる可能性もあるわけだ。
 5句目《撫で斬りの秋風をわが女体とす》で、「われ」が現れる。4句目で「卵燒でも出來んか喃(のう)」などと突然言っている発話主体もこの「われ」なのかもしれぬ。「秋風をわが女体とす」で秋風に性別と異性性が与えられ、それが6句目では「嬰として」「老松」から出て行くことになる。ここから遡ると4句目の「卵」は、5句目の「女体」や6句目の「嬰」へと変容する生命の産出性を導くために介入してきた物質であるとも見えてくる。7句目では6歳になった「秋風」が「老松」の元に帰ってきたようだ。
 まとめて見ると「翁」=「われ」=「老松」という束と、「秋風」=「女体」=「嬰」という束との、変容を重ねつつの交歓と生殖が描き出され、その一連の過程が「六歳」で繋ぎとめられることで螺旋的円環性を帯びていると捉えることが出来る。出発点となる「六歳」だが、「六歳」といえば芸事の稽古を始めるのがその年頃のはず、「秋風」「翁」「老松」といった登場人物(事物?)たちからは能舞台の雰囲気も漂ってくる。耕衣の句の、二重性を保持したままの自他の越境(融合や一体化ではない)の働きは、能楽とその演者たちからも少なからぬ滋養を得ているのかもしれない。

 以下はその他の句から。


うぐいすの返り晩年主情哉
薄氷が写さんとしき綾晩年
老翁の腐れ乳房も桜かな
熱燗も茄子のミイラも弦の如し
春水の柄杓古典と思うなり
空蝉のかなたこなたも古来かな
モツアルト写しにぞ鳴く藪蚊哉
夏の雨自身の無韻濡れ惚
(ぼ)れぞ
死者の総勃起を西日銘記せり


泥場以て月をし誘う泥鰌かな
泥水に泥吐く泥鰌ぬめり哉
泥を吐く貌美しき泥鰌かな
媚態脱落の泥鰌の凝視哉
葱も死を競いたるらん泥鰌汁
ユマニテをこそ学ぶべし泥鰌汁
泥鰌汁瓶
(かめ)の泥鰌の浮見する

くずおるる墓参無底の翁かな
而して泥上
(でいじょう)にある泥鰌哉
鶺鴒を直観のたび我は死す
噫完全破壊の田螺都度の虹
春風や巨大放屁の物化はや
人柄を以て文様とす夏の風
大白桃塵の積もらむ思い在り
蛇臭き天よと思う齢かな
(じき)も虚仮(こけ)(あで)青苔も時間哉
はずかしや野分草木総女神
千九百年生れの珈琲冬の草


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 体調の問題で最終回まで遅参して迷惑をかけることになってしまった。
 41回という半端な数字で終わることになったが、偶然ながらこれは私の数え年と同じである。

 高山さん、中村さん本当にお世話になりました。ご多忙の中の編集作業ありがとうございました。
 読んでくださった方、ひとまずこれにてドロンすることになりますが、遠からずまたどこかに似たようななりで顔を出すことになるかもしれませんので、そのときはまたよろしく。

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1 件のコメント:

  1. 鳴戸奈菜さんから『泥ん』の初版発行年月日についてご教示いただきました。初版は「平成二年六月二日発行」であり、姫路文学館のパンフも正しいそうです。「平成四年十月二十一日発行」というのは再版の日付なのですが、再版である旨が奥付に明記されていないということでした。
    鳴戸さんありがとうございました。

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