■あとがき(第100号)
■高山れおな
仕事柄、勤め先にはいろいろな展覧会の案内状が来るのですが、三重県立美術館で開催される「異色の芸術家兄弟 橋本平八と北園克衛展」(八月七日~十月十一日)にはびっくり。橋本平八と北園克衛が実の兄弟だったとは存じませんでした。橋本はともかく、北園についての文章くらい幾つか読んでいるはずですのに。世の中、知らないことばかりです。
それから「前衛★R70展」というのは、銀座のギャラリー58からの案内(九月十三日~十月二日)。タイトル脇には「70歳未満出品不可・完全最新作」というコピーが添えられており、出品作家は赤瀬川原平(七十三歳)、秋山祐徳太子(七十五歳)、池田龍雄(八十二歳)、田中信太郎(七十歳)、中村宏(七十八歳)、吉野辰海(七十歳)の戦中派六氏です。いいなあこれ。わたくしもU-40とかU-50の企画に肩入れをしておりますし、今後ともするつもりですが、別に老人嫌いでもなんでもないことは先だってのゼロ年代百句選をご覧いただければわかるはず。後生畏るべしの真理を奉戴せぬ、嫉妬深い老人は(中年も)嫌いですが。金子御大も自分は前衛ではないなどと言わず(それともこれ誤情報?)、『アンソロジー 前衛★R70』とか出して欲しいものです。前衛は死んだ? つまらんよ、そんなの。もちろん、前衛/伝統の硬直した図式を超えてただひとつの「俳句」の中に全てが深化してゆくべきではあります。ハイク・イズ・ワン――而(しか)して前衛精神は永遠に不滅です。しかしそれもこれも、どちらにせよR70の世界では気にするには及ばんでしょう。
さて、予告通り、「―俳句空間―豈weekly」は、本号を以って終刊とさせていただきます。拙稿は、第“百”号にて“枕”をならべて討ち死にというシャレで、高橋睦郎さんの句集『百枕』をとりあげました。創刊準備号(第〇号)が出たのが二〇〇八年八月十五日ですので、正味丸二年弱。もともと少人数で大量に書けるだけ書こうというスタイルゆえ五年十年続けるなどとは思いもよらず、一年か二年のつもりでしたからここまで到達出来て上等上等といったところ。いたって淡々と料理だけを出し続けるだけの無愛想な店に、終盤には毎号千人からの来訪があったわけで、読者諸賢には厚く御礼を申上げます。また、小生の単なる思い付きから始まった企画にご援助を惜しまれなかった執筆者のみなさま、あまりたくさんでいちいち御名前を挙げるのは控えさせていただきますが、ほんとうに有難うございました。とりわけ、磐井師匠、トミタク、セキエツの常連執筆陣と、ひとり管理人の中村さんには感謝の言葉もございません。
当ブログのweeklyという形態(だけでなくシステムの大略も、ですが)については「週刊俳句」に倣ったものであること、開設当初に申し上げました。同誌創設者各位に改めて敬意を表します。しかしそれにしても、なんでこんなことを始めたのか……早くも曖昧になりつつある記憶を探れば、ひとつには俳句の世界では書評が貧弱というか、あることはあるがどういうわけかひどくタイミングが遅い。信じられない程、遅い。ゆえに、ジャスト・オン・タイムで、分量もあり、かつ社交辞令でない本音の書評に対しては需要があるのではないか、そんなことを考えたことは覚えております。で、実際に需要はあったのか。あったような無かったような、まあこんなものかな、というのが数字的な感想ではあります。それから俳句の世界があんまり平穏無事で退屈なので、ひとつ平地に乱を起こしてやるべしという気分もありました。創刊から程無い頃、「あとがき」か何かで、豈本城に対する真田出丸というような比喩を使ったことがありますが、最初からそういう斬り合い用メディアの性格がインプットされていたため、幕の引き際にまたしても騒がしい出入りがあったような次第です。個人的には大量に書くことで“俳筋力”を付けるという目的もありました。もともと異常俳筋力の持ち主である磐井師匠はともかく、わたくしのみならず冨田さんや関さんにしても相当にトレーニングの実があがったのではないでしょうか。
もうひとつ、このブログを始めた理由というか、暗示があったのを思い出しました。筑紫さんの『定型詩学の原理〈詩・歌・俳句はいかに生れたか〉』について、豈本誌(第三十六号/二〇〇三年初夏号)で著者インタヴューをした際、いろいろと話し込むうちに貞門の松江重頼が話題にのぼりました。その時、筑紫さんが力をこめて語ったのは重頼のエネルギーの凄さということでした。
筑紫 蕉風が出来る絶対条件というのを挙げてみて、じゃあそれを誰が作ったのかと考えると、談林はつきぬけて重頼へいくんじゃないかな。やっぱりエネルギー持って、しっちゃかめっちゃかあれこれやってる人のところでは常に、新しい運動が起こる原因というのが生まれてるんですよ。それが現代俳句では見えない。
当時のわたくしたるや豈本誌の編集人を拝命しながら一向身が入らず、全然雑誌を出さずに同人諸兄姉に迷惑の限りを尽くし、自身の論作についても文字どおり五里霧中の状態でした。それだけにこの重頼についての筑紫さんの話がずっと脳裏にわだかまることになったのです。俳句界の天下泰平がつまらなければ、成算はどうでも自分(たち)でとりあえずしっちゃかめっちゃかやってみるべし、そんな思いに駆動された部分も大きかったのでした。新しい運動はさておき、自分の周りの空気の流れがよくなった実感はあります。その実感が他の人にも共有されていればなお嬉しいですが、そこまではわかりません。『新撰21』『超新撰21』の刊行などは全く思いも寄らないことで、当事者としてもヒョウタンから駒、なるほどしっちゃかめっちゃかあれこれやってみるに如くはないようです。
おりしも豈本誌はつい先日、第五十号が出たばかり。こちらはちょうど倍の第百号。ただの偶然とはいえ、なんだか良い感じに平仄も合っております。さて、次はいずこでお目にかかりますやら。ともあれみなさまお元気で俳句らぶ。
巡礼の棒ばかり行く夏野かな 重頼
■中村安伸
2008年8月15日の創刊準備号からはじまって、約2年のあいだ、基本的には裏方としてこのブログの運営にあたってまいりましたが、それもこの100号が最後ということになりました。毎週淡々とアップ作業をしながらも、個人的にはかなりいろいろなことがあった二年間でした。
失業や祖父の死などの事件があったり、昔の友人達のバンドに参加して演奏や作詞をしてみたり、ツイッターに短いフィクション作品を発表することに熱中したり、『新撰21』に参加させていただいたり、現俳協青年部でインターネットの勉強会を司会したり、賞をいただいたり、haiku&meやツイッター読書会をはじめたり、連句の会に参加させていただいたり、等々。また、俳句に対する情熱も盛り上がったり冷え込んだり。
反省したいことは山のようにありますが、やはりもう少し文章を書ければよかったという思いはあります。仕事をやめてからよりも、仕事をしながら書いていた初期のほうがたくさん文章を書いていたというのは皮肉ですが、さまざまな事情あってのことなので、まあ仕方ないですね。
なかでも、佐藤文香さんの句集『海藻標本』について書いたもの「澤」の田中裕明特集について書いたものは、質はともかく、書くことの手ごたえを感じることが出来た文章でした。
さて、筑紫磐井さんのメッセージにも触れられていますが、「海程」「豈」の若手を中心とした企画が進行中で、私もそれに関わっております。詳しいことは夏の終わりごろにでも発表できると思いますが、当ブログとはまた別のものになるだろうと思っています。今回掲載させていただいた拙文の続きは、もしかしたらそちらに掲載することになるかもしれません。
最後に、コメントをいただいたみなさま、読者のみなさま、ご執筆いただきました冨田拓也さん、外山一機さん、藤田哲史さん、山口優夢さん、中西夕紀さん、仲寒蝉さん、原雅子さん、深谷義紀さん、窪田英治さん、尾﨑朗子さん、佐藤文香さん、江里昭彦さん、湊圭史さん、相子智恵さん、神野紗希さん、福田基さん、野村麻実さん、筑紫磐井さん、大井恒行さん、関悦史さん、青山茂根さん、堀本吟さん、恩田侑布子さん、救仁郷由美子さん、大橋愛由等さん、堺谷真人さん、岡村知昭さん、裏表にわたり苦楽をともにしてまいりました高山れおなさんに深く感謝いたします。
いずれまたお会いできますことを楽しみに、この場はお開きにさせていただきたいと存じます。
すばらしい試みだったと思います。執筆陣の、とりわけ高山さん中村さんの集中力と持続力に感動しました。まだ読んでいないエントリも多く、このブログ型「雑誌」はこれからも私にとって楽しみな存在です。お疲れさまでした。
返信削除みなさま、お疲れ様でした(^^)。
返信削除読者にとって、とても楽しい2年間(最初のほうは読んでいなかったのですが)でした。それからほんの少し、勇気と元気をいただきました。生きていく上でとても大事なものでした。ありがとうございました。
いつも欠かさず記事をあげられていらっしゃった冨田さまは、本当にがんばられたなぁと思っています。記事のほうにもありましたけれど、最初のほうの俳人ファイルなど「この連載方式は絶対持たない!」と思っていたにもかかわらず、よくも40名近くの方々を続けたものだと感心します。(しかも週刊で!)
「俳筋力」無理やりつけさせられた、というところかもしれませんが、(ここって体育会系だったんですね(笑)。)お疲れ様デス!今、某所で連載中の一句観賞も楽しみにしておりますので、コメントがつけられない(←素人なので、変なこと書きたくないんですもん)日も読んでますから頑張ってください。
関さまもいつも濃い文章、ありがとうございました。結構、ひょうきんなところのある(ブラックユーモア?)文章で、それから某レポートは遠くの方まで行っていただきまして、本当にありがとうございました。
耕衣に始まって耕衣に終わる。しかもドロン!これからも頑張ってください。
藤田さま、外山さま。
素敵な文章をありがとうございました。
他にきっとお仕事などありつつ、続けるのは大変なことですけれど、ぜひ書き続けていってくださいませ。
れおなさま。磐井さま。
色々ありがとうございました。
ご面倒もおかけしました。
お体大事になさってください。
今後のご活躍をお祈りしています。
最後に何より縁の下の力持ち!
中村さまが一番大変だったかと思います。
(わたしもブログ管理などしていたことがあります)見えないところの仕事が一番大変ですよね。
賞をおとりになられたこと、実はとても喜んでいます。
それから(関係ないけど)「俳筋力の会」の本!あれ。もっと売っていただいていいと思いますので、もっと宣伝してください。もったいないです~。
みなさま、長い間お疲れ様でした。
それからこれからもどうか活躍し続けていってください!
俳句ラブ!あなたも。
千野帽子様
返信削除ご無沙汰しております。コメント有難うございました。
あとがきで思わず“俳筋力”という言葉を使ってしまいましたが、もうひと昔ですね。あの頃はまだ、関悦史も冨田拓也も髙柳克弘も佐藤文香も山口優夢も影も形もなかったわけで(神野紗希はいましたが)、ずいぶん風景が変わった気がします。
「毎日が日直。『働く大人』の文学ガイド」、楽しみに拝読しております。シュティフターの『晩夏』とか買いましたよ。どないせよというのでしょう(笑)。先日の「わかってる/わかってない」のお話ではちょっとひやりとなんかもして。
御愛読、重ね重ね御礼申し上げます。
野村麻実様
返信削除いつもコメント有難うございました。
不思議の御縁、ひとことでは言い表しがたい感謝の念でいっぱいです。
小生は、これからしばらくは作品づくりに精を出したいと思っております。
ついては「鯨ベーコン作戦」は休止、新たに「名古屋嬢の風雲作戦」を発動する所存。
ブログも二年やりましたが、これも二年がかりになるでしょうか。
長らくの御愛読、重ね重ね御礼申し上げます。
コメントも最後になりましたが。発起人のお二人ご苦労様でした、関さん、冨拓さんには負うた子におしえられ、でした。外山さん藤田さんその他、あたらしい書き手が登場しましたので、「俳句空間—豈」は、新しい展開をもつでしょう。
返信削除関西の人が、このメディアの事件性、実験性の意義を判ってもらってもっと関わってほしかったのですが、
今後の可能性の芽はできたようですから、また、いろいろ交叉するとおもいます。
れおな、安伸両氏の、現代的なタレント性には感心しました。れおなさんのケンカ言葉にははらはらしましたが、早口でてんかいしながら、問題の所在を内容的に引きだしてくる、・・みごとなてぎわで、一個のさいのうだと思いました。
「桑薔賞」のことでは、この論争はあまり生産的ではアリませんでしたが。しかし賞なんて、人がきめるものなのに気に入らないとまると、本筋とはすこしずれたところで、このようにケンカや議論で盛り上がるものなのでしょう。
さいごに磐井さんたちの「遷子読み」清涼剤のようにたのしかったです。
しかし、まあ、ネットに投稿するって、こんなにスピードが必要で、入力ミスに気を遣わねばならないとは思わなかった。若い方々、これだけでも尊敬します。では、スタイルや場所をかえて、またおあいできそうですから、たのしみにしています。(堀本 吟)