2008年8月23日土曜日

『鑑賞 女性俳句の世界』第六巻を読む(2)併せて池田澄子著『休むに似たり』について 高山れおな 

『鑑賞 女性俳句の世界』第六巻を読む(2)

併せて池田澄子著『休むに似たり』について

                    ・・・高山れおな

今号では、前号で予告した通り、『鑑賞 女性俳句の世界』第六巻所収の仁平勝による池田澄子鑑賞について検討したいと思うのだが、何の気なしに開いた『現代俳句文庫29 池田澄子句集』(一九九五年 ふらんす堂)にある「口語文体の魅力」と題しての坪内稔典の解説にそぞろ懐かしい気分に誘われてしまった。この選集が出た時点では、池田の句集はいまだ『空の庭』(一九八八年 人間の科学社)と『いつしか人に生まれて』(一九九三年 みくに書房)の二冊のみ。坪内は、〈池田はごく一部の人たちにひそかに高く評価されてきた。〉と言い、〈いずれにしても今はまだ池田の俳句を知る人はほんのわずかだろう。〉と言うのだが、現在の池田の人気ぶりを考えると今昔の感が深い。攝津幸彦のもとでの豈歌舞伎町句会で、評者が池田に出会ったのもまさにその前後だった。〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉なんかはすでに有名で、新進俳人中で一頭抜きん出ている感じではあったけれど、『ゆく船』(二〇〇〇年 ふらんす堂)や『たましいの話』(二〇〇五年 角川書店)に結実するその後のたゆまぬ制作によって、彼女は当時、評者などが予想していたよりずっとスケールの大きな俳人として発ち現われるにいたった。もちろん俳壇的地位とかそんなことではなく、表現者としての実質の意味で言っている。

さて、前号で評者は、仁平の鑑賞を『鑑賞 女性俳句の世界』第六巻における最もすぐれたケースのひとつに挙げた。と、同時に、〈文章のプロとしてのサービス精神を認めるにやぶさかではないにせよ、納得しがたいところも多い。〉と、その内容については留保をつけた。「多い」という言い方はしかし不正確だったかと今、反省している。個々の句の読み方について批判したいわけではないからだ。もちろん細かいことならいろいろとなくはない。例えば、〈先生の逝去は一度夏百夜〉の鑑賞で、三橋敏雄の〈夏百夜はだけて白き母の恩〉を踏まえた句だと指摘しながら、もうひとつの本歌である同じく三橋の〈日にいちど入る日は沈み信天翁〉について書き漏らしているが、もとよりささいなミスに過ぎない。問題なのはもっと根本的な俳句観の部分である。鑑賞の総論にあたる部分で、仁平は次のように述べている。

澄子の真骨頂は、なによりもディテールの卓抜さにある。俳句という形式は短いから、ディテールがそのまま一篇の作品になる。そうした俳句の特質に、澄子は自身のモチーフを重ね合わせた。そのモチーフとは、日常のなかで一見平凡に過ぎていく生活の時間を、俳句の場面として切り取ってみせることだ。(中略)なぜ澄子は、毎日同じようにくりかえされる平凡な生活の時間や、次の瞬間にはもう忘れてしまう些細な感情にこだわってみせるのか。それは彼女が、一見「平凡」で「些細」と思える場所に、わたしたちの人生にとって大事なものがあると認識しているからだ。この認識において、池田澄子の俳句はほとんど思想である。俳句は短いから、小さなできごとしか描けないのではない。小さなできごとを文学のテーマにするために、俳句という短い形式が必要なのである。

引用の最後、俳句は短いから云々のあたりはまさに仁平節全開で、うまいこと見得を切るものだと感心するが、しかし仁平自身が次の一節で、〈といっても、俳人がみなそのように俳句を考えているわけではない。〉と断っている如く、仁平式の逆説以上のものではない。こうした巧みな言い回しのケムに巻かれないように注意しながら、一文一文を仔細に見てゆこう。

まず、〈澄子の真骨頂は、なによりもディテールの卓抜さにある。俳句という形式は短いから、ディテールがそのまま一篇の作品になる。〉の部分だが、端的に言葉の論理としてこれはおかしい。当たり前のことであるがディテールとは常に全体に対する部分のことである。フェルメールの小さな絵には小さな絵なりのディテールがあり、ルーベンスの巨大な絵には巨大な絵なりのディテールがある。フェルメールの絵は全体でもルーベンスの絵のディテールほどの面積にしかならないが、それでも全体は全体である。俳句作品のディテールとは、テニヲハの運用や語彙の斡旋、描写や比喩やリズム感といった修辞など、一句を分析的に見た場合の個別の要素のことであって、俳句といえども〈ディテールがそのまま一篇の作品になる。〉などということはない。

じつは仁平はここで巧妙なすり替えを行っているのだ。最初のセンテンスにおけるディテールの語については評者が上に述べたような意味で使い、二番目のセンテンスでは〈わたしたちの人生〉の中の〈一見「平凡」で「些細」と思えるその場所〉の意味でディテールと言っている。なぜ、そんなことをするのかと言えば、〈澄子の真骨頂は、なによりもディテールの卓抜さにある。〉という一文の真実性によって、以下の自説を保障するためである。なるほど、池田澄子の俳句のディテールが卓抜だと言われれば、たいていの人は首肯する他ない。その肯定がそのまま、以下の論旨に対する読者の肯定を引き出してゆくというあたりが、いつもながらの仁平のレトリックであり、テンポよく展開するこの偽論理に快く身を委ねることができる人は仁平の良い読者になれる。さらにもうひとこと絡んでおくと、本来の意味でのディテールに卓抜なのはすぐれた俳人の必須条件みたいなものだから、そもそも〈澄子の真骨頂〉の指標にはなり得ないだろう。

さて、仁平の池田澄子論の核心は、〈なぜ澄子は、毎日同じようにくりかえされる平凡な生活の時間や、次の瞬間にはもう忘れてしまう些細な感情にこだわってみせるのか。それは彼女が、一見「平凡」で「些細」と思える場所に、わたしたちの人生にとって大事なものがあると認識しているからだ。〉という部分に尽くされているわけだが、はたして池田澄子とは仁平がここに述べるような作家なのだろうか、というのが評者のそもそもの疑問である。いや、はっきり言ってしまおう。ここに述べられているのは、池田澄子の「思想」なんかではさらになく、仁平のセンチメンタリズムの生んだ幻想の池田澄子に過ぎない。その幻想の池田澄子像に沿って仁平は、

定位置に夫と茶筒と守宮かな          『空の庭』
朝涼のゴムの乳首を五分煮る
          
湯ざましが出る元日の魔法瓶
          
蔵うのに大きい麦藁帽子かな
          『いつしか人に生まれて』
春は名のみの三角巾をどう干すか
        『ゆく船』
震度2ぐらいかしらと襖ごしに言う
         『たましいの話』
春日遅々男結びの場合は切る
          

といった句を掲出してゆく。もちろんこれらの句はみなおもしろいもので、評者とて佳品として挙げるのにやぶさかではない。しかし同時に池田は、周知のように

いつしか人に生まれていたわ アナタも? 『いつしか人に生まれて』

という人であり、さらに

太陽は古くて立派鳥の恋 『ゆく船』

という人であり、あまつさえ

人類の旬の土偶のおっぱいよ 『たましいの話』

という人でもある。仁平の案に相違して、池田澄子は「平凡な生活の時間」になんか実は大してこだわりを持っていないのだ。『ゆく船』の巻頭句に、

考えると女で大人去年今年

と、あるように池田はもう何十年来「女で大人」なので、当たり前のこととして「平凡な生活の時間」を大切にしてきた。それは、最近ようやく大人になった(?)らしい仁平が「平凡な生活の時間」なるものに対して妙に感傷的になっているのとは、いささか異なった事態であると言わねばならない。

仁平のように予見を持たずに池田の句に向き合えばすぐにわかることだと思うが、池田にモチーフがあるとすれば〈いつしか人に〉の句に最も典型的なように、自分が「在る」こと世界が「在る」ことの驚異であり、彼女がこだわっているのはそのことを忘れないように常に思い出し、自らの精神の火をいきいきと掻き立てておくことではないだろうか。かつて村井康司が〈池田澄子は「考えるひと」である。〉(「豈」三十四号)と喝破したように、「在る」ことの驚きについて考えるプロセスがイコール俳句のプロセスとして、可視的に定着されているところに彼女の俳句の圧倒的なユニークさがあるのだ。それがしばしば「平凡な生活の時間」を「俳句の場面として切り取ってみせる」かたちを取るのは、彼女がたまたま哲学者ではなく俳人だからにすぎない。実際、日常の細部を巧みに詩化する名手なら、池田澄子を待たずともいくらでもいる。仁平の池田理解は全く転倒しており、彼女の独自性にいささかも届いてはいないのである。

先日、池田のはじめての評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)が出た。これを読むと彼女の「在る」ことの不思議への思いが、父君の中国大陸での戦病死に、つまり幼くしての「過ぎゆく者」としての自己認識にさかのぼることが知られる。池田の作品世界において先の大戦が重要なモチーフをなす所以であるが、仁平の転倒した理解によってはこのカテゴリーにおける池田の俳句への貢献も看過されてしまうことになる。さすがに、仁平とて池田のこの要素を完全無視はしておらず、

TV画面のバンザイ岬いつも夏 『ゆく船』

を、掲出して鑑賞している。ただし、その調子はいかにも気の入らぬもので、仁平にとってはほとんどアリバイ的な意味しかないのではないかと疑われる。だが、戦争に代表されるような「大きな物語」を原則的に俳句から排除しようとする仁平に対して、むしろそれに積極的に挑んできたのが池田なのだ。

旗日とやわが家に旗も父も無し        『空の庭』
膝に重く冷たし昭和史写真集          『いつしか人に生まれて』
敗戦記念日の蝙蝠のどれがどれやら     
一旦緩急ありし山河よ蚊柱よ          
八月六日のテレビのリモコン送信機       
原爆の日あぁ水餃子さめやすし          
日本中八月十五日暁                同
日本は夜長スー・チーさんの髪飾り      『ゆく船』
路地に朝顔アメリカにエノラ・ゲイ        
雁や父は海越えそれっきり             
朧月東京大空襲ありき              同
文化の日油断をすると猫背になる         
皇居前広場や握れば雪は玉            同
花かつお原爆被爆者の忌日殖える        
TV画面のバンザイ岬いつも夏          
八月十五日真幸く贅肉あり            同    
月・雪・花そしてときどき焼野が原        
緑陰に殉難碑あり各地にあり            同
玉砕の島水筒の腐りがたき            同
敗戦前夜の裾濃の蚊帳よ忘れたき        『たましいの話』
前ヘ進メ前へススミテ還ラザル          同
泉ありピカドンを子に説明す           同
忘れちゃえ赤紙神風草むす屍          同
非常時の砂糖黍畑に隠れたきり         同
死んでもいいとおもうことあれどヒロシマ忌     同
敗戦日生きて老いゆく私たち            同
戦争がいつも何処かに青いか地球         同
戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ          同
目の玉を宥める瞼被爆地忌             同

◆印を付したあたりが評者にとっての佳句。こうしてみると、『いつしか人に生まれて』までは、数も少なくまた出来栄えの点でも物足りなかった(広義の)戦争詠が、『ゆく船』にいたってにわかにその質量を高め、『たましいの話』へと展開していることがわかる。その時期にこの方面への彼女の関心が強まったのかも知れないが、あるいはむしろ技術的成熟がようやくにしてこのテーマでの作句を可能にしたとも考えられる。

池田の戦争詠の根拠は、先ほど述べたような個人史的な経験の他、俳句表現史の面からいえば、彼女が戦火想望俳句から出発した三橋敏雄の弟子(ということは三鬼の孫弟子ということでもある)である点に求められる。『休むに似たり』は長短五十三篇の散文を収めるうち、三橋についての文章が十一篇を占めており、すべて冒頭の章に集められている。量的にも質的にも同書の中核と言っていい。ここで同書の目次を掲げておこう。

池田澄子著『休むに似たり』 目次


的は あなた――私の出会いの句と別れの句
恋の告白ではなく――三橋敏雄の恋の句
我は海――三橋敏雄の海の句
もの音や――三橋敏雄の食の句
記憶する意志――三橋敏雄の俳句
遊び・身過ぎ世過ぎでなく――追悼・三橋敏雄
自己啓発あるのみ――追悼・三橋敏雄
非安穏の俳句――追悼・三橋敏雄
無季俳句の可能性を追求――三橋敏雄氏を悼む
学んで、なぞらない――師から何を受け継いだか
根を継いで新種の花を――師系に学ぶ


幻も亦この世のもの――三橋鷹女
感知し認識し反応する――虚子に学ぶ
初々しさ――高浜虚子の俳句
悲とは何――高屋窓秋と俳句
逝くに足る絶望――西東三鬼・辞世の句 人生を象徴する一句
嗚呼――折笠美秋句集『君なら蝶に』
羞恥に凝る――攝津幸彦句集『陸々集』
一輪ゆえに――攝津幸彦句集『鹿々集』
攝津さんのこと――攝津幸彦追悼
青年命懸――佐藤鬼房
ゆたかなる夢まぼろし――『清水径子全句集』
佳き人の佳き俳句――田中裕明の人と作品
念力と技――山本紫黄「山紫集XI」


正真正銘自分であることの強さ――津田清子
単純の強み――金子兜太
謙虚に執拗に――摂津よしこの半世紀
うしろの闇の湿り――正木ゆう子・戦後生まれの代表作家
健全な屈託――正木ゆう子


俳句への馳走――高山れおな句集『ウルトラ』・栞
「それはそれ」の思想――永末恵子句集『ゆらのとを』
巧みさを隠す――桑原三郎句集『晝夜』
今を生き、今を書く――中村裕句集『石』
るり子さんの指先は――岡崎るり子句集『冬の浮彫』
細心・それは愛――栗島弘句集『遡る』
虚心と自負心――麻里伊句集『水は水へ』・序
意思による俳諧――林朋子句集『眩草』・栞
交歓ということ――長谷川櫂句集『果実』
「我」を遠くへ――岩淵喜代子句集『硝子の仲間』
無惨であることの……恍惚――原雅子句集『日夜』・栞
退れば見ゆる――大場佳子句集『何の所為』
凩を待つ――中山美樹句集『おいで! 凩』・栞
過激なる些事――山尾玉藻句集『かはほり』
迷う才能――森澤程句集『インディゴ・ブルー』
失意が育むもの――藤田直子句集『秋麗』


取り返しつかぬこと――わが原風景と作品
主義ではなく――口語と文語
現れてみないことには――俳句の新しさとは
言葉で作る真実――迫真性の実体
〈個〉の一例として――情趣の革新
怖れつつ遊ぶ――句会・吟行
滅び合うもの同士として――旅を詠む
しかし、書き残さざるをえず――有季定型は今日の社会とどう折り合いをつけていこうと
しているのか


目次を一覧して気づくのは書名の『休むに似たり』をタイトルに冠した文章は、書中には存在していないこと。書き溜めた文章を一本に纏めるにあたっての感慨というか総括が、つまり「下手の考え休むに似たり」だというわけで、それにしてもこれは俳句と散文とを問わず、池田澄子の言語的なふるまいのみごとな要約になっている。この俚諺の引用は、思うに謙遜や卑下というよりは、自己の突き放しなのだ。高ぶりがちな活発な精神が、自らを相対化しながらしかも積極的に前に出ようとする――池田の句文では言葉が常にそんな動き方をしている。微分された意識がそのままに散文を構成し、五七五に充填される。その意味で、〈澄子の真骨頂は、なによりもディテールの卓抜さにある。〉というのであれば、わたくしとしても大いに賛成なのですがね、仁平さん。

池田澄子は、特に学問のある人ではない。しかし、あらためて言うが彼女は「考えるひと」であり、考えることが出来る人である。学問はあるが、考えることが出来ない人だって世の中にはたくさんいるのだ。考えることが出来る人とは、何かの代理人のように語ることをしない人だ。俳句界には、芭蕉の代理人のように語る人、歳時記の代理人のように語る人、高浜虚子の代理人のように語る人、高柳重信の代理人のように語る人、それどころか俳句そのものの代理人のように語る人さえ珍しくない(というかそんなのばっかし)。池田澄子がそういう連中と同種の人間であればまずは三橋敏雄の代理人として語ることになるわけだが、十一篇の三橋敏雄論で彼女が全力をあげて回避しようとしているのは、まさにそのような事態に他ならない。作家としても人間としても三橋を敬愛し、かつ事実上唯一の弟子として三橋のことを語る義務を負ってもいる、そういう立ち位置で代理人的にふるまわないというのはじつはそんなに簡単なことではないはずだが、池田はそれをしおおせていると思う。

他に、第二章に集められた三橋鷹女、高屋窓秋、折笠美秋、攝津幸彦、山本紫黄らについての文章もすばらしい。鷹女論は、前号から問題にしている『鑑賞 女性俳句の世界』の第二巻からの再録だが、俳句鑑賞に関しても池田がハイレベルの書き手であることがよくわかる。第四章には、なぜか小生の第一句集に書いてくれたものを先頭に、当節の諸句集のための栞文や書評がならんでいる。第一章、第二章にくらべればさほどともいえない作者たちの作品を、手を変え品を変えて読んでいる。その手を変え品を変えというのも決してケレンではなくて、いわば手ぶらでひとつひとつの個性に向き合い、そして考えた、その結果なのだ。池田は一般には論客とは思われていないかも知れないが、その実こうも多くの人たちが自分への馬のはなむけを彼女に請うているのである。さて、『休むに似たり』の文章は、ほとんどアフォリズムと言ってもいいみごとな一節を多く含んでもいる。そのいくつかを引いて本稿を終えたい。

全ては、過去を忘れない作者の、未来に対する愛である。未来を守るための言葉を、俳人は発することが出来るのであった。

                 「記憶する意志 三橋敏雄の俳句」より

緊張は才能なのである。          

                 「嗚呼 折笠美秋句集『君なら蝶に』」より

真面目は面白くもないが大真面目は端から見ると哀れにも喜劇であり、不真面目は不愉快だが大不真面目は健気である。      

                 「一輪ゆえに 攝津幸彦句集『鹿々集』」より

「淋し」は、無へ向かって始まる存在物の何故か長らえようとする、その行為の健気なる空しさのことか。

                 同前

しかしまたすぐに、特に俳句は、もっと一句に時間をかけさせてあげたいとハラハラする。俳句には上限がないのだから。

         「うしろの闇の湿り 正木ゆう子・戦後生まれの代表作家」より

極端に取るに足らない些細な〈もの〉や〈こと〉は、実は深くて大きな世界を象徴する。

                 「細心・それは愛 栗島弘句集『遡る』」より

但し、さりげなく無意味で無関係なものは、そうそう簡単に現れてはくれなくて、それが声高に現れた場合は、逆に物欲しげな予定調和を感じさせて嫌味になる。その判断が作者の技である。

                 「『我』を遠くへ 岩淵喜代子『硝子の仲間』」より

肩肘張らないというのは理想だけれど、日常の暮らしの中でさえ容易に徹底は出来ない。ましてや、文字による表現行為を志すものにとって、こんな難しいことはない。見たものを感じたまま、素直に言葉に移せばよいと言われたところで、力を入れなければ、それを言葉、それも文字に託すことなど出来ない。

                 「過激なる些事 山尾玉藻句集『かはほり』」より

主題や方向性がいくらはっきりしていても、即ちそれが作品なのではない。何をどう書くか、迷いの深さこそが才能で、迷う能力、戸惑う能力が俳句を育て匂わせる。全部分かったと自信を持った瞬間、私たちは衰弱に向かうのである。

                 「迷う才能 森澤程句集『インディゴ・ブルー』より

技術とは作者が読者にいかに丁寧に言葉を手渡すかということに他ならない。

                 「主義ではなく 口語と文語」より

全ての言葉が、情趣を支える力を隠し持って私たちを待っている。

                 「〈個〉の一例として 情趣の革新」より

*池田澄子著『休むに似たり』は、著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

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