tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post8016786701430819844..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 高柳克弘『芭蕉の一句』yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-17728912781207681552008-11-13T13:13:00.000+09:002008-11-13T13:13:00.000+09:00野村麻実様野村さんの「血汐」の読み素晴らしい。五島さんも科は違えども、同様の経験を積んでいるのは間違...野村麻実様<BR/><BR/>野村さんの「血汐」の読み素晴らしい。五島さんも科は違えども、同様の経験を積んでいるのは間違いありません。鼻血とか転んでの摺り傷くらいしか「血」の経験の無い人間には到底思い及ばぬ実感があります。実感という以上にリアリズムというべきですね。当たり前ながら、こうやってああだこうだやっていると、俳句の読みというのはどんどん深まりますね。五島君に知らせれば喜ぶと思うのですが、彼はしょっちゅう引っ越すので、現在のメルアドがわからんのですよ。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-13665012763887140072008-11-13T01:50:00.000+09:002008-11-13T01:50:00.000+09:00>大勇と大悲の両義を以て受け取るべき言語化されると、なんとなく腑に落ちる気が致します。でもそれで正し...>大勇と大悲の両義を以て受け取るべき<BR/><BR/>言語化されると、なんとなく腑に落ちる気が致します。でもそれで正しいのかなと。<BR/><BR/>医師という仕事をやっておりますと、<BR/>「血汐」はまさしく真っ赤な擦り傷だらけの衣類を思い浮かべてしまいます。それが、その直後はベタベタ、そのうち板のように硬くなります。それも時間が経てば、またヘロンヘロンな衣類で茶色い染色[しかも最初は焦げ茶なのですが、段々薄くなって変なしみみたいになるんです(あ、診察の時は汚れたらなるべく新品の白衣に替える一定の努力はしておりますのでご心配なく!)]になって狎れていくのですね。<BR/><BR/>鑑真和上にはそれこそ替えはなかったでしょうから、尋常ではない航海の後、その衣服がすでに「衣に凪いで」というのはなんとなく実感として感じることが出来ます。<BR/>白衣(血まみれ)が洗濯に出さずに一週間以上、もうバリバリではなく、よれよれ、血にかかったところも、もう平気!みたいな。<BR/><BR/>そういう実感とともに、あの鑑真和上像をみると、内に秘めた熱意というか、そういったものは既になくなって、凪いだお顔になっているけれど、それは最終的にようやくたどり着いた道であって、「血汐」の時期も既に過ぎて、というような所まで連想してしまうというか。<BR/><BR/>連想しすぎかもしれません(笑)。<BR/>でも五島さまが元医師(現役でもいらっしゃる?)とお聞きして、なんとなく、きっとそれほど読み手の(少なくとも感覚だけは)ずれていないような気もするのです。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-72915117711885134752008-11-12T23:48:00.000+09:002008-11-12T23:48:00.000+09:00野村麻実様コメント有難うございます。「律」というのはあそこの金堂の建築のシンメトリックな厳正さについ...野村麻実様<BR/><BR/>コメント有難うございます。「律」というのはあそこの金堂の建築のシンメトリックな厳正さについて言っていると同時に、鑑真が戒律をもたらした人であることをも言っております。御褒詞深謝。<BR/>それと、五島高資氏の〈血汐いま衣に凪いで御座しけり〉の句に添えられた短文をここに全文掲げておきます。<BR/> * * *<BR/><BR/>二〇〇四年夏、鑑真が上陸した坊津・秋目浦へ行き鑑真記念館を訪ねた。そこで私は偶然にも女島遭難者慰霊之碑を見つけた。明治末期、五島列島から南方七〇余キロの東シナ海に浮かぶ男女群島近海で遭難した珊瑚漁の犠牲者を悼むものである。実はその珊瑚漁の基地だった五島・冨江で私は育った。一度に七百人以上が死んだ遭難現場は血の海だったと聞く。そうした近代でも危険な東シナ海を千年以上も前に渡り、また、自らの失明や多くの同志の死といった度重なる艱難を乗り越えて来日した鑑真和上。その坐像の柔和な御姿の深淵には生死を超える大勇と大悲の精神が湛然と広がっているのである。<BR/><BR/> * * *<BR/>拙稿中では短文と併せないと句意を尽くさないと書きました。女島遭難についてはそうなのですが、しかし、野村様がお書きのように句中の「血汐」を鑑真の精神の血汐と取ってもよいわけです。むしろこの「血汐」は五島氏の文にいう大勇と大悲の両義を以て受け取るべきかと今考えております。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-48199433830473161382008-11-12T10:52:00.000+09:002008-11-12T10:52:00.000+09:00> 東京国立博物館で開かれた「金堂平成大修理記念 唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」ちょうど唐...> 東京国立博物館で開かれた「金堂平成大修理記念 唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」<BR/><BR/>ちょうど唐招提寺が遷都1300年イベントのために修理を繰り返していた時期で、唐招提寺の仏さまたちは全国を流浪していた(里子に出されていた)時期にあたりますね。<BR/><BR/>鑑真和上というよりも、唐招提寺の方にとても思入れをもっておりまして、というのは平城京跡地にある資料館のようなところで、唐招提寺のうちのひとつの倉庫として使われていた棟が、実は平城京の中の一棟を移築したものだとわかったというような発表がありまして、2010年にはぜひ奈良を訪れてみたいと思っております。<BR/><BR/>(どうでもいいですが、セント君やめてほしいです(;;)。)<BR/><BR/>れおなさまの<BR/>列柱の律目つむれば鳴る秋の潮<BR/><BR/>律に「カノン」とは鮮やかな感性ですね!<BR/>信楽宮跡にも行った事がありますけれど、ああいう礎石や列柱ほど歴史好きにとってそそるものはありません。<BR/><BR/>五島高資さまの<BR/>血汐いま衣に凪いで御座しけり<BR/><BR/>も素晴らしいです。<BR/>鑑真とはアツい魂を持った壮絶な方だったのではないか、(そうでなくてはとてもあんな情熱で海を渡り日本へ渡ることなど出来ない)忘れがちですけれど、そういったことまで思い出させてくれる句だと思います。<BR/><BR/><BR/>天平のおん身をつつむ新樹の香<BR/>この月のまどかは遣りし幾嵐<BR/><BR/>も素直に好きです。<BR/><BR/>こういった貴重な句をひいていただきまして、ありがとうございます!Anonymousnoreply@blogger.com