tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post7598829169148779819..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 現俳協シンポ(宇井・田中他)yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-70398798542540518472009-04-05T13:21:00.000+09:002009-04-05T13:21:00.000+09:00関さん、わざわざこたえてくださってありがとうございます。いま町内会の会合で出て、子ども達が遊ぶ公園の...関さん、わざわざこたえてくださってありがとうございます。いま町内会の会合で出て、子ども達が遊ぶ公園の草取りの日程などをみなできめてかえったところです。国民とか市民、ご町内の共通意識、これも最近は感覚自体がとても事務的になっていますね。日常生活の必要に根ざしているので大事な面があるんですが、「大きな物語」が生まれようにもこういう次元での市民感覚自体が事務的に小粒になっています。<BR/><BR/> 「国民文芸」といういい方は、俳句上の「大きな物語」ですけれど、わかりやすすぎて困りますね。まさにこの小粒になった「大きな物語」の感覚を感じます。戦後の前衛俳句の帰結がやはりここに来たか、と言う想いです。<BR/>金子兜太氏は、わたしの受け取り方では、若い頃から現在までのレベルに破綻がありません。個人としてはいまでも現在進行形の優れた俳句作家だと思います。作品で、自分の越えているところが大きいです。これはすごいですね。<BR/><BR/>でも、我々の構想は人間関係や政治体制の共同の上にあるのではなく、あくまで言葉の次元の普遍性、「観念の場の勝負である」そういう文学文芸の前提があります。この観念の場所で我々が「大きな物語」を構想できなくなった理由と、金子兜太氏の「国民文芸」(たかだか)という発現は、おそらく同根の事態でしょう。Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-27121181710872416262009-04-05T09:00:00.000+09:002009-04-05T09:00:00.000+09:00堀本さん、レスが遅くなって失礼しました。労いのお言葉ありがとうございます(間に合わせはしたものの乱文...堀本さん、レスが遅くなって失礼しました。労いのお言葉ありがとうございます(間に合わせはしたものの乱文がひどくてお恥ずかしいのですが)。<BR/><BR/>金子兜太本人の軌跡やそれに対する評価はともかく、「国民文芸」といわれる場合の「国民」とは、まずここで話されていたような内容には関心を示さない人のことでしょうね。<BR/><BR/>シンポジウムは「前衛」の後、いわゆる伝統俳句ではないことをやろうとしている人たちに対して、適当なレッテルすらつけようがなくなってしまった現状の再点検みたいなことになりました(それにしても「大きな物語」の終焉云々という話、今になってまたよくあちこちでよく出てきます)。関悦史noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-11481726424850326412009-03-30T01:30:00.000+09:002009-03-30T01:30:00.000+09:00関さん、本当にご苦労様、私が、びーぐる三号に連載している「俳句時評」には、間に合いませんでしたが、大...関さん、本当にご苦労様、<BR/><BR/>私が、びーぐる三号に連載している「俳句時評」には、間に合いませんでしたが、大変貴重な資料です。(正岡子規国際俳句賞の金子兜太受賞についてふれています。目に付いたら立ち読みでもしてください。)<BR/><BR/>① シンポジウムは、流石にビビッドだったんですね。久しぶりに大上段にそれも概念から「前衛」とか「ダダ」とか連呼されるのを読んで、面白かった。<BR/><BR/>② 俳句の前衛たち(とうじの、狭義の「関西前衛」のみではなくー高柳重信や鈴木六林男も含めて)が、俳句以外の戦後文学や戦後詩の影響を受けていることを、今改めて認識できた機会であったように拝見しました。<BR/>③《関西の前衛俳句特集》、(「俳句空間—豈」特別号関西篇(39号ー2)に触れて頂き、ほっとしました。そのころまだ入会ほやほやだった関西の若い豈同人の努力が報われた気がします)。<BR/><BR/>④ 金子兜太、河原枇杷男氏が、今年の「正岡子規国際俳句賞」を受賞されたことは、良い意味でも悪い意味でも、これからの俳句の「革新」概念を変えてゆくと思います。<BR/><BR/>⑤ 兜太氏の受賞理由に、「前衛俳句」が「伝統俳句」を活気づけた、と言うように書かれています。伝統俳句のの新しい段階としてそこに吸収されたことを公的に認知されたわけです。これらが二項対立にならない時代には「前衛」って言葉は、もう死語なんだ、(そうなのかな?)という思いも湧きました。兜太氏は、別のところで「国民文芸」といういい方をしていらっしゃったのですが、こういういい方だけはして欲しくない。<BR/><BR/>まあ、そんな感想です。目下眼精疲労中なので、このくらいで。(堀本吟)Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.com