tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post6047350701102557936..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 遷子を読む〔4〕yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-38791003456606425312009-04-24T00:48:00.000+09:002009-04-24T00:48:00.000+09:00「相馬遷子研究」の核心トハ?
筑紫磐井さんの呼びかけで作られたというこの読書会は、かなり本格的な馬...「相馬遷子研究」の核心トハ?<br /><br />筑紫磐井さんの呼びかけで作られたというこの読書会は、かなり本格的な馬酔木系列の研究になりそうな気配がしていますね。磐井さんめづらしくまともで(笑)、俳句表現における「こころざし」のことを書いておられるので、今後注目します。<br /><br />ここに出てくる遷子の句はどれも、したしみやすくて、私などは好きなのですが、こういう生活情緒に流れる俳句は、「通俗すれすれ」とかぎりぎりで二流を免れる、とか、やはりそういう基準のなかで思われているのですか?磐井さんの「一流」の定義は微妙ないい方ですね?<br /><br />拝見しながら遷子のことを学んでゆくつもりなので、無知ゆえのピントはずれになるかもしれませんが、ひとつ私の感慨を呈しておきます。<br />もちろん、これは、答えてくださいなどとという類のことではなく・・、今回の話題を読んでいると、どうしても想いがそこへのびてゆく、と言う意味の感想です。<br /><br />というのは、堀辰雄の小説『風立ちぬ』を思い浮かべるのです。これは、信州のサナトリウムが舞台の結核にかかった男女のものがたりですが、自然描写がすごくうつくしく、そのいわゆる信州の風光が一種の生命のシンボリズムになっている様な気がします。<br />遷子も軽井沢に住んでいて、病気だったのでしょう?こういう境遇の作家精神には、自然の美しさ、とくに高原のような景観はすごく影響するところがあるとおもうのです。<br />遷子は、そういう形での精神と自然の融合のような境地をもとめていたのでは?<br /><br /> もちろん、「馬酔木」ですから秋桜子の「自然観」を学んではいるのですが、また活動時期が全く違うとしても、堀辰雄的な自然の象徴化、が戦後まで流れているとか。こういう方向もひとつ考えられないのでしょうか?<br /><br />などと、とりとめなく感じながら読ませていただいております。次回をたのしみにしています。Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.com