tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post5523810216330460708..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 中里夏彦句集yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-9863565736013397892008-12-31T11:27:00.000+09:002008-12-31T11:27:00.000+09:00れおなさま年末、水仕事手を拭きつつ、さっと読んだだけですが、この論考おもしろかったです。多行詩が一行...れおなさま<BR/>年末、水仕事手を拭きつつ、さっと読んだだけですが、この論考おもしろかったです。<BR/><BR/>多行詩が一行詩、一行俳句にかわってゆく成り行きを見るには、加藤郁乎の軌跡がいいモデルです、<BR/>一行俳句(詩)の変転が、多行を経てまた一行にもどる高柳重信。<BR/>大岡頌司。志摩聰、これらの古典的になったパイオニアについてはすこしわかります。<BR/><BR/>高原耕治。林桂、横山康夫、この人たちに流れてきた関心は、今のところまだわかりにくいですね。<BR/><BR/>中里さんの句はかつて未定でよくみかけました、このところ関心外でしたが<BR/>こういうことなら、拝見してみようと思います。<BR/><BR/>一行の俳句世界を立体構造と捉えたら、多行の必然性はなんとなくわkってきます。評論でも何でも、言葉を平面で読まねばならないのはときに苦痛です。Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-41957383077991310002008-12-31T01:00:00.000+09:002008-12-31T01:00:00.000+09:00野村麻実様いろんなものが崩壊してゆきます。それも土崩瓦解ではなく、真綿で首を絞めるように。歌人の岡井...野村麻実様<BR/><BR/>いろんなものが崩壊してゆきます。それも土崩瓦解ではなく、真綿で首を絞めるように。歌人の岡井隆さん(ご存じでしょうが、元お医者さんです。何十年か前には野村さんのように忙しかったはず)は、そういう時代を“トナカイ時代”と名づけました。俳句が崩壊するとしても、医療崩壊のような重大事ではないとも言えますが、ある次元では医療崩壊よりも重大事かも知れません。なぜなら医療は崩壊しても必ず手当てがなされるのに対して(それは絶対に必要なものですから)、俳句は崩壊したらそれきりでしょう。わたしの俳句は常に惑っておりますので、その点はご安心願います。二十年もやっていて如何なる技術的安心立命の感覚も得られておりません。アホですな。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-74775928442021806602008-12-30T23:24:00.000+09:002008-12-30T23:24:00.000+09:00面白く拝見しました(^^)。つきつめていけば、上級な詩人(俳人)は「山」と「川」で会話が終わってしま...面白く拝見しました(^^)。<BR/>つきつめていけば、上級な詩人(俳人)は「山」と「川」で会話が終わってしまうわけです。<BR/><BR/>無駄のムダをそぎ落とし究極の形となるとそうなるのだろうと。<BR/>ただ一般大衆はそこまでついて行きません。<BR/>芸術の難しきところでしょうね。<BR/><BR/>大衆性を保持しつつ、いかに文学性・芸術性(?)を保持していくか。これは「一般」の「専門外の声」が大きくなってきた現代(芸術に限らず、どの分野でも同じです。裁判に理不尽なは裁判崩壊が、医療には医療崩壊が、さまざまな技術職には技術職なりの崩壊がありまして)において、俳諧でも同じであろうな、と感じるのみです。<BR/><BR/>人生は長いのですから、道に迷うてあちこち頭をぶつけるような惑いの句集でも詩集でも出していただきとうございます。<BR/>楽しみにしております(^^)。Anonymousnoreply@blogger.com