tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post3051294203362835893..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 山口優夢氏宛回答yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger13125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-6285424444674105972009-02-17T17:08:00.000+09:002009-02-17T17:08:00.000+09:00すみません。首をつっこみすぎましたね。すみません。<BR/>首をつっこみすぎましたね。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-67247604701231958892009-02-17T01:52:00.000+09:002009-02-17T01:52:00.000+09:00野村麻実様私は、年上ではあっても格上などではありませんよ。重信はもちろん格上に間違いありませんが、格...野村麻実様<BR/><BR/>私は、年上ではあっても格上などではありませんよ。<BR/>重信はもちろん格上に間違いありませんが、格上だの格下だのは俳句には似合わない言葉です。<BR/>ほんとうにこれまでに願います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-28491946746972739742009-02-17T00:13:00.000+09:002009-02-17T00:13:00.000+09:00匿名対談に関しての私の感想も、吟さまとほぼ同じです。そして楽しみました。大好きな恩田さまのところで、...匿名対談に関しての私の感想も、<BR/>吟さまとほぼ同じです。<BR/>そして楽しみました。<BR/><BR/>大好きな恩田さまのところで、<BR/>書き手の方がヘタってしまったのだろうということも想像つきましたけれど、でもひどいな、と思いました。で、次回フォローされていて安心しました。<BR/>書くの難しいと思います。<BR/><BR/>わからないことはもちろん、みんなあって、<BR/>わからない時代もあって、<BR/>大きくなるとわかるときもあるし。<BR/>若いときはみんな体験してきているから。<BR/>山口さまの気持ちはわからなくはないです。<BR/><BR/>> 自分の論の不手際<BR/><BR/>自分より格上の論者に挑むときには、<BR/>次には失敗なさらないでしょう。<BR/>高山さまの論が激烈に見えるのも、文章に論理的な隙を作らない努力のせいだと思われます。もうこれで終わりにしたかったからではないでしょうか。<BR/>責めているわけではないと思いますよ。<BR/><BR/>「山口さま」は匿名でも、実名でも逃げないでしょう。でも世の中、実名だからって逃げない人ばかりじゃないし、目の前に人がいたってくるりと逃げる人も実際いるわけですから、結局の所、個人の資質だと思います。<BR/>それから逃げるのが大事な時もあると思います。(相手が立派な方ばかりとは限りません)かわすのも一つのテクニックです。<BR/><BR/>山口さまが「匿名」についてわからないのは、「匿名でもいいからやりたいこと」がまだないのだと思います。無名の時代には、「匿名」の必要性は最初からありませんものね。だから「匿名でもやる」動機そのものが理解できないだけなのだと思います。そして無名の時代には「匿名企画」はまずまわってこないと思います。<BR/><BR/>「匿名でもやる価値がある」ことが見つけられたら、是非ともその時にはチャレンジされてみてはいかがでしょうか?きっとまだまだ先のことでしょうけれど、「匿名」の山口さまは逃げないでしょう?<BR/><BR/>この論考、面白かったですo(^-^)o。<BR/><BR/>> 僕は自分の議論の上での未熟さを痛烈に批判され、その上でなんだか知らぬ間に「議論好き」のレッテルまで貼られて<BR/><BR/>「議論好き」が悪いこととは思えません。<BR/>何か違和感があれば言っていいと思います。<BR/><BR/>次の論説、楽しみにしていますね。<BR/>すねて書かなくなったら「本当の逃げ」です。<BR/><BR/>さて「高柳重信読本」<BR/>http://www.amazon.co.jp/dp/4046213906/<BR/>もうすでにアマゾンで予約可能ですね(>▽<)!!!<BR/><BR/>注文してみました。<BR/>これで4冊は売上げが増えたかもしれませんね。れおなさま、実はこれを狙っていらっしゃったに違いありません!<BR/><BR/>(これまで、の後でごめんなさい)Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-42872056302499057822009-02-16T23:13:00.000+09:002009-02-16T23:13:00.000+09:00山口優夢様重信、是非、読んでみてください。優夢さんも小生も、世間から見るときっと充分、議論好きに見え...山口優夢様<BR/><BR/>重信、是非、読んでみてください。<BR/><BR/>優夢さんも小生も、世間から見るときっと充分、議論好きに見えることでしょう。この前、安井浩司氏も驚いていたように、優夢さんの年齢で優夢さんほど書ける人などほとんどいやしないのです。これからもどんどんお書き願います。<BR/><BR/>みなみな様。この件のコメントはこれまでということにしていただければ幸いです。<BR/><BR/>高山れおな敬白Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-71653984424359148932009-02-16T20:57:00.000+09:002009-02-16T20:57:00.000+09:00れおな様私の方こそ、感情的なコメントを失礼いたしました。御見苦しいところをお見せしました。重信、読ん...れおな様<BR/><BR/>私の方こそ、感情的なコメントを失礼いたしました。御見苦しいところをお見せしました。<BR/><BR/>重信、読んでみようかと思います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-81159426487045138352009-02-16T18:34:00.000+09:002009-02-16T18:34:00.000+09:00久留島様コメント有難うございます。この話題はこれ以上の展開性があるものではないのでこれまでとしたいと...久留島様<BR/><BR/>コメント有難うございます。<BR/><BR/>この話題はこれ以上の展開性があるものではないのでこれまでとしたいと思います。A子B子対談については、本来エンタテインメント的な軽いノリでの企画であって、さいばら天気氏のように元々編集者でメディアのあり方について一家言あるような人はともかく、多くの方々は、それ自体としては何の気なしにお読みいただいていたはずなのです。<BR/><BR/>それがこうなったのは、高柳重信という劇薬に引火したためです。近々、角川書店から「俳句」の別冊(だったかな)で「高柳重信読本」が出るはずです。久留島さんも俳句をなさっているのであれば、お読みになってみてはいかがでしょう。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-67884488124890615062009-02-16T13:05:00.000+09:002009-02-16T13:05:00.000+09:00高山さま拝読させていただきました。まずは優夢氏に対する長文回答とともに、拙コメント(なんだか変な言葉...高山さま<BR/><BR/>拝読させていただきました。<BR/>まずは優夢氏に対する長文回答とともに、拙コメント(なんだか変な言葉ですが)に対しても丁寧なご回答を頂いたことに感謝したいと思います。優夢氏ときわめて年齢の近い(半年くらい?)私にとって、教育的とも思えるご指摘であり、参考になりました。なお、<BR/><BR/>>匿名批評は匿名であるということ自体でいかに人々の心を騒がせるものか<BR/>>(つまり魅力がある、面白い、ということです)、<BR/><BR/>という部分、また<BR/><BR/>>高山が気にしているのは、読者の方々がA子氏B子氏の<BR/>>評言自体に総じて誠実で的を射ているという感触を<BR/>>持たれたかどうか、彼女らの掛け合いを読み物として<BR/>>興がってくれたかどうか、その点だけである。」<BR/><BR/>という部分に関して言えば、少なくとも私は「読み物として」楽しませて頂いたことを白状(?)します。A子様B子様の掛け合いはテンポ良く且つ辛辣、的確に思えましたし、すべからく「秘密結社」とか「謎の○○」とかいう言葉は装置として楽しいものです。ただし、豈ではない、つまり自分の作品が批評にさらされる危険(または期待)もなく、犯人探しへの興味もない、ネット越しのいち読者の私にとっては、今回の批評が実名批評であったり、使い捨てHNであったりした場合に、面白くなかったかどうか、(すなわち、「同人誌的な変則的な力」がどの程度発揮されたか)はわかりません。<BR/>また、個人的に「大学院」という研究機関に属する身としては、優夢氏の今回のコメントに、少なからず共感する部分があったことを表明しておきたいと思います。<BR/><BR/>ともかく、様々な点で高山氏のスタンスをお聞きできた点では、私にとっては有益でした。御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-59500984069794025872009-02-16T12:32:00.000+09:002009-02-16T12:32:00.000+09:00山口優夢様あまり気落ちしないでください。重信を引用して何が言いたかったかということですが、あの記事は...山口優夢様<BR/><BR/>あまり気落ちしないでください。<BR/><BR/>重信を引用して何が言いたかったかということですが、あの記事は「俳誌雑読」という枠組の中のものです。最近読んだ俳句雑誌で面白いと思ったトピックスを五つ紹介したうちのひとつ、というだけのことです。たまたまそれに先んじてA子B子対談というものをやり、多少の反応があったため、特に興を覚えてのご紹介になりましたが。私自身は中でも高柳発言③に感心しております。<BR/><BR/>優夢さんのコメントにはなるほどいろいろ不備があったわけですが、私のお返事がこれどほど長大かつ綿密になったのは、優夢さんの批判が私というより以上に高柳重信に向けられる形になっていたからです。勝手に引用した手前、それを批判に晒したままほったらかしにはできないことはおわかりいただけるでしょう。そのため、文章が必要以上にしつこく厳しいものになったかもしれません。<BR/><BR/>今回も優夢さんは長く書いておられますが、本論の部分は特にご返事はいたしません。「追記」のところ。「愛情」談義についての小生の書き方にご不満のようですね。もちろんあれははぐらかしているのです。もう本体の議論は済んでいるのだし、「愛情」という話題自体が優夢さんと野村麻実さんの間のもので、こちらに下駄をあずけられても困るわけなので。<BR/><BR/>だったら「回答義務なし」として書かなければいいようなものですが、そこは本文中にも書いた通り、多少「意地悪」をしたということでもあります。あまり重苦しい議論が長々と続きましたから、詩の引用でもして口直しをしてお開きにしようという、自分と読者に対するサービスの面もあります。最後の(笑)入りの軽口が出てくる所以です。この(笑)は決して優夢さんをあざ笑っているわけではなく、そろそろ終りにしましょうとニコッと微笑んだつもりでしたが、これだけ書いたあとではなかなかそのニュアンスは伝わらんよなと、無理は承知でもありました。ご不快であったなら謝罪します。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-58225539950980441692009-02-16T09:14:00.000+09:002009-02-16T09:14:00.000+09:00れおなさま山口優夢です。長文のご回答、ありがとうございました。大変勉強になりました。まずは、自分の論...れおなさま<BR/><BR/>山口優夢です。長文のご回答、ありがとうございました。大変勉強になりました。<BR/><BR/>まずは、自分の論(というか、ただのコメントですが)の不手際を思い知らされました。匿名批評に対する自分の基本的なスタンスを明らかにしていなかったこと、匿名批評の優位性のような「是か否か」という単純な二元論に問題を落とし込んだこと、「匿名とか実名とかは枝葉末節の問題」という高柳発言について触れていなかったこと、高柳の発言の時代的な文脈を計算に入れていなかったことなど、挙げればいくつもありますが、まずはそれらの手際の悪さを謝したいと思います。申し訳ありませんでした。<BR/><BR/>しかしながら、僕にはどうしても分からないことが一点あります。高柳氏の発言そのものは、僕自身勉強不足であり、高柳重信については大して何も知らないので、彼の真意は知りません(興味もありません)が、一体、この①~④を挙げることで高山れおなが何を言いたかったのかなあ、ということです。匿名であろうが署名つきであろうがそれは批評の本質に関わりのない、枝葉末節の問題だ、と本気で考えているのであれば、その一言で十分だったのではないでしょうか。匿名にした場合「救いがある場合だって少なくない」「読んでおもしろいということもある」と言う高柳氏の発言を引用することで、匿名記事の正当性を主張する意思のようなものが僕なんかには感じられたので、そこについて批判を向けたいというのが、稚拙ながらあのコメントの主旨でした。<BR/><BR/>僕自身の匿名批評に対するスタンスは、特にありません。いや、僕自身大して知らないのです。れおな様が想像なさったような「匿名批評によって不利益を蒙り」云々ということは全くありません。なくてはいけなかったでしょうか?匿名批評という形式自体、この豈ウィークリーのA子B子対談で初めて触れたほどです。あとは、「匿名かハンドルネームによる発信が多数派であるweb上のコメントの付け合い」くらいでしょうか(なぜコメントの付け合いを匿名批評から弁別するのか知りませんが。僕のれおな様の記事に対する反応もコメント欄でのものでしたが、れおな様から見ればその時点で僕の発言はあるレベルに達していないように思われるのでしょうか)。ああ、そのようなコメントの付け合いでは相手が匿名のために不愉快になることもありましたが、れおな様に従えばそれはいちいちここで示す必要はありませんね。<BR/><BR/>しかし、匿名のそのような文章を見かけるたびに思うのは、なぜわざわざ匿名にするのか、という疑問です。裏から見れば、じゃあ、なぜ署名入りにするのですか、と言われそうですが、それには自分なりの回答があります。<BR/><BR/>今回、高山れおなから「若さと想像力の欠如を二つながら感じざるを得ません」「いささか蛮勇に過ぎた」と反論されているのは、山口優夢であり、それ以外の誰でもありません。れおな様の反論で、僕はかなりダメージを受けました。「この若造が、馬鹿なこと言ってるな」とこれを読んだ多くの方が僕のことを批判的に見たかもしれません。僕は自分の議論の上での未熟さを痛烈に批判され、その上でなんだか知らぬ間に「議論好き」のレッテルまで貼られて(そんなに好きでもないですよ)、はっきり言って逃げ出したい気分です。しかし、「僕」がいつなんどきでも「山口優夢」であり、それ以外のものでは決してないことは公開されており、逃げることも隠れることもできません。もっと正確に言えば、逃げることも隠れることもできますが、そうしたら、山口優夢が逃げた、隠れた、という事実は消すことができぬものとして残ることになります。<BR/><BR/>大牧弘氏の文章は直接には拝読していないので何とも言えませんが、出口善子氏の文章は、僕も拝読しました。れおな様のおっしゃるとおり、誰を批判したいのかよく分からないと言う意味で、僕も一定の不快感を抱きました。今回のれおな様の指摘に対して大牧氏や出口氏が何か答えるかどうかはご本人達の判断でしょう。しかし、批判されたのが「大牧弘」であり、「出口善子」である、という事態は、公然のものとして、翻ることはありません。<BR/><BR/>僕は何が言いたいのでしょう?署名入りの文章であれば、その文章に対するどのような反応であっても、その本人がかぶることになります。文章が面白くて、いい意味で話題になる場合、その高い評価を、文章の筆者が得ることになります。今回の僕のように、めちゃくちゃに批判された場合も、その悪評は文章の筆者がかぶります。前者を考えれば、確かに匿名批評というのは割りにあわない全くの無償の行為なのかもしれません。それはそれで美しいかもしれませんが、だから匿名を選ぶ、という理由にはならないでしょう。それだけなら、ただの自己満足だからです。<BR/><BR/>匿名をわざわざ選ぶということに見出す利点は、僕などの偏見で言えば、その記事に悪評がたっても知らんふりをしていられる、逃げ道が残されている、という意味しかないのではないかな、と思えるわけです。その逃げ道のことを、僕は「言いっぱなしじゃないか」と批判しています。僕が名前入りで記事を書き、コメントを書くのは、自分は自分以外に逃げる場所がない、という覚悟を持っているからです。そのような覚悟なしに書かれる文章を誰がかえりみるものか、と思うからです。ところが、匿名というのはその逃げ道がある。ある、と言っているだけで、逃げるかどうかは別問題ですよ。<BR/><BR/>れおな様の回答によれば、匿名だから言いっぱなし、というのは僕の思い込みで、反論しようと思えば反論できる、ということでしたが、そういうことではありません。想像してみてください。批評された側からすれば、どうして匿名なのだろう、ということを真っ先に思うでしょう。「最初からそういう反論なんかそもそも想定されておらず、そんなものは受け付けていませんよ、という態度」に、少なくとも僕は受け取ります。そう、態度の問題なのです。そりゃあ、現実的には反論はできるでしょう。あるいは、その批評が正鵠を得ているために反論できない、という事態もあるかもしれません。僕だってみんながみんなキャッチボールをしてくれると考えるような能天気ではありませんから(キャッチボールしてくれない、ということは、放った球が悪かったということが多いですね)、匿名か署名入りかに関わらずキャッチボールは行なわれないということもあるでしょう。でも、そういう問題じゃない。<BR/><BR/>僕だったら、逃げ道を用意していると思える相手とはそもそも議論にならないな、と判断します。実際に逃げるかどうかではなく、いざとなったら逃げられる、と思われてしまうことが問題なのであり、即ち、態度の問題です。その「逃げ道」の部分が批評された相手にとっても逃げ道に働くという利点がある、というのが高柳発言の③だとも言えるでしょうが、それは詭弁でしょう。もしもそんな逃げ道が必要なら、わざわざ言論の公器を使わずとも、実際に会って話すなり、私信でも送るなりすればいいのではないでしょうか。<BR/><BR/>逃げ道が用意されている腰の引けた態度と見えてしまうようなマイナス点を加味しても、それでも匿名という態度を選ぶ場合がある、その理由は何なのか、その納得する理由は重信の発言からは少なくとも見えてこない。だから、匿名批評を擁護するように書かれているれおな様にそれを教えていただきたい、というのが僕のコメントの主旨だったのでした。れおな様にその主旨が正しく伝わっていなかったのでしょう。僕が高柳重信のことをどのくらい知っているかなんてそれこそ枝葉末節の問題なのです。僕は高柳重信論を展開しているのではなく、高柳発言を引用してあなたが何を言いたかったのか、それを聞きたかったのですから。しかし、そのあたりは完全に僕の書き方のミスでしたね。僕はあのように絡むのではなく、もっと謙虚にれおな様に質問すべきだったと反省しています。<BR/><BR/>匿名か実名かは枝葉末節、と取られるのならそれでも構わないと思います。しかし、そうだとしても、わざわざ匿名という態度を選択することの裏に何らかの意図があるはずだと思うのは間違いでしょうか?趣味の問題だ、と言われてしまえばそれまでなのですがね。<BR/><BR/>れおな様自身の企画であるA子B子対談について、なぜ匿名かという点は「人目を気にせずのびのび語り合って欲しい」とおっしゃっていましたね。なぜ匿名だとのびのび語り合えて、署名入りだとそうでないのか、という点に僕は疑問を抱いているのです。ただ、誤解しないでいただきたいのは、だからA子B子対談を批判する、ということではありません。れおな様のその意識がどこから来るのか、ということを知りたいのです。<BR/><BR/>匿名という手段を、しかも一同人誌の中で使うということは、果たして「衝突の負荷から守っていた」ということなのでしょうか?ただ、その点については豈内部の話ですから、僕はあまり深入りする気はありません。そういう個々のケースには実は大して興味がないのです。れおな様が書いていたとおり、豈には豈の特殊事情があるのでしょう。だから、僕ははっきり言って自分と関係のない力学のもとで書かれているらしいA子B子対談については批判する気もありません(俳句批評という点で見れば楽しめるところもある企画だと感じました)。<BR/><BR/>ただ、れおな様が匿名というものをどう考えているのか、自分とは何が違うのか、という点に関しては説明していただいて理解いたしましたので、もうこれ以上議論することもないかとも感じております。ただ、僕は納得できなかった、というだけです。<BR/><BR/>追記<BR/><BR/>「愛情」の一件、誤解があります。そもそも王朝文学やらボードレールやらを取り上げて、批評記事を書いている者の愛情を云々しようというところで首を傾げてしまいますけれども、それは措くとして、「相手の名前も素性も分からないままに」愛情が始まるという話をされていますが、僕がいつ「名も知らぬ相手との間に愛情は望むべくもない」というようなことを申し上げたのでしょうか?僕が言っているのは、「名も知らぬ相手」ではなく「自分から名乗りもしない相手」です。<BR/><BR/>無論、王朝文学では、名乗りもしない、ということもあるでしょう。しかし、彼等の愛情は肌を合わせて始まっているのではあり、名前とか地位とかそういうものではなく、自らのアイデンティティを愛する人の前にさらけ出しているという意味では、匿名ではないでしょう。匿名とは、誰だか特定できないという状況を指すのであり、戸籍上の名前を知らないという意味ではないと僕は理解しています。そういう意味では、匂宮は匿名どころか偽名を用いた大悪党とも言えるでしょうか。<BR/><BR/>また、ついでなのでもう一言付け加えておきますが、私宛に書いてくださった文章の最後、「貴兄は「だから名前を名乗るのが大切なんです」なんて言うのかもしれませんが(笑)。」とありますが、このような本筋の議論と離れた場所での揶揄は大変不愉快です。れおな様は天気氏宛のコメントにて「必要とあれば幾らでも下品にならねば」とおっしゃっていますが、その「必要」って何ですか?議論の途中、年齢のことを持ち出して「若い」「未熟」とおっしゃられるのは、議論上の必要であろうということは納得いたします。そこまで書いてくださって、むしろ嬉しく思います。しかし、この文章はなぜ必要なんですか?「(笑)」はなんで必要なんですか?必要もなく、あなたは人を傷つけるかもしれない言葉を放つのですか?それとも、こんなことくらいで傷つくのなら議論する資格はないとでも?あるいは、僕がこういうふうに言うことによって溜飲を下げているとでもあなたは思うでしょうか?<BR/><BR/>少々驚くとともに残念な気がしています。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-31350741085939523402009-02-16T03:40:00.000+09:002009-02-16T03:40:00.000+09:00堀本吟様>起用された匿名さん達について云えば、まともな読み方でしたよ。このわが同人のA子B子さんの対...堀本吟様<BR/><BR/><BR/>>起用された匿名さん達について云えば、まともな読み方でしたよ。このわが同人のA子B子さんの対話形式は真面目すぎるほどでした。<BR/><BR/>そう言っていただけてほっとしております。<BR/><BR/>>ただし、この間、一つ不満だったのは、岡村さんの句を、「一句も読めなかったとおりすぎましょう」「私も」といなしたでしょう。<BR/><BR/>あの分量だと体力勝負の面も大きいようです。岡村さんと恩田さんは初回の最後で疲労困憊していたと聞いています。それでまあ、第二回の頭にやり直しているわけで、ライブ感といえばライブ感の反映ですね。ちょっとお気の毒ではありました。<BR/><BR/>>かりにですよ、彼がその匿名さんであったとしても、そこは巧くとぼけてね。その程度は、みな「やくしゃ」になって誌面をおもしろくしてください。<BR/><BR/>そう、「やくしゃ」それから小生は「えんしゅつか」として楽しんだわけです。しかし、この恐ろしく作風に幅のある人たちの作品全部を読み通してコメントすることの容易ならざるところは察してあげてください。<BR/><BR/>>高柳さんのご高説も十分参考にしますが、まずは現場の感覚、豈の諧謔豊かなところを発揮して、どういう集団になり通あるのかわかりあってゆきませう。<BR/><BR/>吟さんは関西だからやはり重信には距離感がおありのようですね。まあ、重信の世界というのはなんだかんだ言って関東の地誌と深く結びついているから無理もないですが。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-29065873034106317382009-02-16T03:05:00.000+09:002009-02-16T03:05:00.000+09:00この22日に大阪で、大本義幸さんへの「句集を読む祝賀会」をやるための一文がまにあわなかった。代わりに...この22日に大阪で、大本義幸さんへの「句集を読む祝賀会」をやるための一文がまにあわなかった。代わりにコメントします。<BR/><BR/>「高山が気にしているのは、読者の方々がA子氏B子氏の評言自体に総じて誠実で的を射ているという感触を持たれたかどうか、彼女らの掛け合いを読み物として興がってくれたかどうか、その点だけである。」(高山さん 文)<BR/><BR/>このことですが、批評されたほうの位置から云えば、企画者れおなさんの構想への感想はひとつのテストケースです。<BR/>起用された匿名さん達について云えば、まともな読み方でしたよ。このわが同人のA子B子さんの対話形式は真面目すぎるほどでした。ひとつのテストケースです。云われっぱなしの人間ではない私は、(褒められたらうれしいし、不満があれば反論しますから、相手がリラックスして自由に発言してくださるならけっこう、少々の悪口では同人としての信頼はくずれません。)<BR/><BR/>ただし、この間、一つ不満だったのは、岡村さんの句を、「一句も読めなかったとおりすぎましょう」「私も」といなしたでしょう。あとから、思い直してくれて、良いのがみつかったそうですし、私の句とならべて、「母は棲む」「ママはいる」云々で言及してもらったし、ほっとしました。彼は関西で頑張っていますからね。やはりこれだけスペースと時間を取ってくださる限りは、もう一踏ん張りサービスしてくださって、云う限りは、全掲載者の句に一句でも「ここがこういう風に良くない」ぐらいはイロニーとエスプリを発揮して云うべきです。好みや価値観は、どちらにもありますが、優しさも欲しいです。<BR/> かりにですよ、彼がその匿名さんであったとしても、そこは巧くとぼけてね。その程度は、みな「やくしゃ」になって誌面をおもしろくしてください。<BR/><BR/>高柳さんのご高説も十分参考にしますが、まずは現場の感覚、豈の諧謔豊かなところを発揮して、どういう集団になり通あるのかわかりあってゆきませう。<BR/>理屈じゃないところで、感覚が決定的にちがう、というのもありえます。すぐにはいっしょにはなれないけど。まあ、理解を目差して。長文失礼しました。Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-70611253541137679002009-02-15T22:40:00.000+09:002009-02-15T22:40:00.000+09:00野村麻実様こんばんは。覚悟と自己犠牲という意味では、高柳重信というのは別格の一人に数えられるでしょう...野村麻実様<BR/><BR/>こんばんは。覚悟と自己犠牲という意味では、高柳重信というのは別格の一人に数えられるでしょう。なにしろ、<BR/><BR/>目醒め<BR/>がちなる<BR/>わが尽忠は<BR/>俳句かな<BR/> 『山海集』<BR/><BR/>と、本気で詠むような人です。<BR/>私どものブログの合評対談は、ごく気楽なもので、高柳たちの時評のような特別な狙いがあるわけではないのですが、ずいぶん激甚な化学反応を起こしたものです。<BR/><BR/>高柳重信の俳句作品は今でも読まれていますが、編集者・ジャーナリストの側面は没後随分たっていて、だんだん見えにくくなっているかと思います。私はたまたま身近に高柳の愛弟子である澤好摩氏がいたり、「夢幻航海」を読んでいたりするので、多少のことを知り得たというに過ぎません。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-27565665838360562682009-02-15T21:33:00.000+09:002009-02-15T21:33:00.000+09:00読みませていただきました!ありがとうございます。内容について、言及させていただくと私のせいでコメント...読みませていただきました!<BR/>ありがとうございます。<BR/><BR/>内容について、言及させていただくと私のせいでコメント欄が荒れてしまうかもしれませんので、感想については勿論さし控えさせていただきますが、「汚れ役」の言及について興味深く読ませていただきました。<BR/>汚れ役にはそれ相当の覚悟と自己犠牲が時に必要となりますものね。<BR/><BR/>お疲れになりませんように。<BR/>分野は違いますが、同志として。Anonymousnoreply@blogger.com