tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post2845417190796768292..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 評論詩「切れ」についてyasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-35238893425361137732008-11-02T01:58:00.000+09:002008-11-02T01:58:00.000+09:00「行きて帰る心」・・みなさんご存知のことなど採り上げて失礼しました。ここは、>これは俳句の本質論とい...「行きて帰る心」・・みなさんご存知のことなど採り上げて失礼しました。ここは、<BR/>>これは俳句の本質論というよりは<<BR/>のところの、「これ」を読み損ねたのでした。「切れ」ですね。。ったく。。<BR/>オマケニ、過喚起なんて変換ミス。過換気!<BR/>でも読んでみて、過喚起も良いなあ・と、訂正いたしませんでした♪<BR/><BR/>このコメントもうんざりする続編・・・ですが、磐井さんの次の文を楽しみにしています。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-33425697454663745442008-11-01T11:49:00.000+09:002008-11-01T11:49:00.000+09:00百花様 ご来店ありがとうございます。 初めての御来客です。 うんざりする続編がまだまだ続きますのでし...百花様<BR/> ご来店ありがとうございます。<BR/> 初めての御来客です。<BR/> うんざりする続編がまだまだ続きますのでしばらくお付き合いを。<BR/><BR/> 「俳句が一行で書かれてきたことの意義」は<BR/> 自分でも気づきませんでした。<BR/> 「なぜ俳句は多行ではいけないか」ではなく、<BR/> 「なぜ俳句は一行か」はコロンブスの卵です。<BR/><BR/> 俳句神授説、そうですか、面白かったですか。<BR/> 俳句に妙な切れを入れる輩は悪魔です、<BR/> きっと地獄に落ちるでしょう。<BR/><BR/> 「行きて帰る心」はお説のとおりでしょう、<BR/> 芭蕉は仏教用語を巧みに転換しており<BR/> この言葉も、「高悟帰俗」「往相・還相」の翻案でしょう。<BR/> 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」などは<BR/> 明らかに高僧の言葉にあります。<BR/> 私の言葉に「長ければ良い」「厚ければ尊い」があります。<BR/> ぜんぜん普及していませんが。<BR/><BR/> ああ、また、過呼吸になりそうです。救急車を・・・。<BR/> 筑紫磐井Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-41808944836365369862008-10-30T13:21:00.000+09:002008-10-30T13:21:00.000+09:00失礼しました。上記投稿は百花です。失礼しました。上記投稿は百花です。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-8702444852567429862008-10-30T13:19:00.000+09:002008-10-30T13:19:00.000+09:00評論詩、とあるので改行ごとに息を詰め深呼吸し読んで行ったわたしはすぐ、息苦しくなり過喚起になりそのう...評論詩、とあるので<BR/>改行ごとに<BR/>息を詰め<BR/>深呼吸し<BR/>読んで行ったわたしは<BR/>すぐ、<BR/>息苦しくなり<BR/>過喚起になり<BR/>そのうえ<BR/>前後の脈絡をつなげるために<BR/>格闘に似た<BR/>時間を<BR/>費やさねばなりませんでした<BR/><BR/>ので<BR/><BR/>それは止めて、改行を無視して読み繋げられるところまで読むと面白い文でした。逆説的に「評論詩」とは名付けられましたか。<BR/><BR/>初学のころ句跨りを破調として忌む先生に随分指摘されて苦しかったのですが、ご提示の「つらゆき」「 壬生忠岑」によると、わたしのは極真っ当な経過だったのですね。俳句が一行で書かれてきたことの意義が読めました。<BR/>狭義の俳句の歩んできた道も過渡期は既にあらかた過ぎて現在があるというのですね。<BR/>「俳句の切れ神授説」楽しかったです。<BR/><BR/>「行きて帰る心、発句なり」(黒冊子)<BR/>これは技法論というより、俳人の求めるべき精神の在り様と言葉として成る句の相互関係のことをこそ当時の芭蕉は言いたかったのだと考えますがどうでしょうか。。。Anonymousnoreply@blogger.com