tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post156871228239694313..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 俳句九十九折(7) 1991~2008年・・・冨田拓也yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger5125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-63904339742007090462008-10-16T06:46:00.000+09:002008-10-16T06:46:00.000+09:00久留島さん印象としてはそんな感じですね。しかしながら、これから俳句は何処へ向かうのか、不明瞭であるこ...久留島さん<BR/><BR/>印象としてはそんな感じですね。<BR/>しかしながら、これから俳句は何処へ向かうのか、不明瞭であることには変わりないところですね。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-91323385730709790592008-10-16T01:22:00.000+09:002008-10-16T01:22:00.000+09:00冨田さま「もっと不明確」という言葉は、それこそ不明確だったようです。それより、佐々木六戈さんの「横一...冨田さま<BR/><BR/>「もっと不明確」という言葉は、それこそ不明確だったようです。それより、佐々木六戈さんの「横一列」の風景、というほうが、印象として正しいような気がします。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-6845452013369828502008-10-13T16:00:00.000+09:002008-10-13T16:00:00.000+09:00湊さんコメントいただきありがとうございます。以前の御文章拝読しておりました。あのような本格的な評論を...湊さん<BR/>コメントいただきありがとうございます。<BR/>以前の御文章拝読しておりました。<BR/>あのような本格的な評論を書かれる方がいらっしゃるのかということで非常に驚き、感服いたしました。<BR/>私としてはどこまで理解できたのか大変心許ないところではありますが。<BR/>今後も、湊さんの文章を拝読できる機会があれば嬉しいです。<BR/>また、湊さんが「現代俳句を逍遥」された後の意見などもぜひお窺いしたいところです。<BR/><BR/>久留島さん<BR/>この度もコメントありがとうございます。<BR/>たしかに「曖昧」な感じになってしまいましたね。<BR/>俳句の現在は久留島さんがおっしゃるように「もっと不明確」なものだと、私も思います。<BR/>久留島さんのコメントの内容から次の言葉を思い出しました。ご参考までに。<BR/><BR/>俳句史とは子規の夭折に接続するところの、圧倒的な虚子の君臨とそこから巣立った才能者の分裂と、前衛の試み。それらは今や、横一列の同価値の風景となって私たちの前に広がっているのではないか。何処からでも出発できるかわりに、何処へ向かうのかも判然としない。これは愉快なことである。<BR/><BR/>佐々木六戈 「子規の不在の彼方」(「俳句」2002年6月号)よりAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-36242566003151580682008-10-13T15:06:00.000+09:002008-10-13T15:06:00.000+09:00冨田さままずは一段落お疲れ様です。まだまだ客観視がされていない「最近俳句史」に大胆に踏み込む、興味深...冨田さま<BR/><BR/>まずは一段落お疲れ様です。まだまだ客観視がされていない「最近俳句史」に大胆に踏み込む、興味深い試みだったと思います。不勉強な人間にも少し見晴らしがよくなりました、ありがとうございます。<BR/><BR/>ただ俳句史の総論として「詩」「俳」、「固有性」「文学性」の葛藤、という、まさに湊さんが指摘する曖昧な用語でくくってしまわれたことはすこし残念でした。結局は平井照敏氏らが指摘した状況の延長上に“現在”がある、ということでしょうか。私には“現在”は、良い意味でも悪い意味でももっと不明確かな、と思えます。<BR/>最近、赤城さかえ『戦後俳句論争史』を読みました。この本で扱われている「第二芸術論」「根源俳句」あたりが、俳壇で最後の論争だったように思います。それ以後は明確な対立軸がないのではないでしょうか。それは悪い意味ではなく、ニュートラルな立場でいろいろな俳句を享受、実作できるということでもあると思っています。<BR/><BR/>私自身、まったく先は見えていないのですが、今後、冨田さんの連載が、第一回で予告された「インターネット」という今日的媒体にどう絡んでいかれるか、とても楽しみにしております。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-41474600294085413212008-10-13T11:56:00.000+09:002008-10-13T11:56:00.000+09:00富田拓也さま第6・7号で伴走させていただいた湊圭史です。現代(現在)俳句に興味をもって読んではいるけ...富田拓也さま<BR/><BR/>第6・7号で伴走させていただいた湊圭史です。<BR/><BR/>現代(現在)俳句に興味をもって読んではいるけれど「樹海」に踏み入れるのは躊躇している人間として、富田さんのこれまで7回の連載、勉強させていただきました。小川さんの『現代俳句の海図』と合わせて読ませていただくと、全体像がひとつ見えてくる気がします。とくに今回は私の同世代(とそれ以降)まで踏み込んでいて、しばらくこれをインデックスとして現在俳句を逍遥させていただこうと思います。<BR/><BR/>かるく覗かせていただくだけでも、俳句の世界に若手の言葉(作品・評論ふくめ)が見えてきた気がしています。「俳人の言葉」の岸本尚毅さんの言葉(の前半)のように、内部にいる人間としては一種の絶望があるのかもしれませんが、読者としてはちょっとわくわくしていますよ。<BR/><BR/>今後の連載も、俳句も、期待しております。Anonymousnoreply@blogger.com