2010年4月25日日曜日

第88号

第88号

2010年4月25日発行


壊れそうな西日の中で 

室生幸太郎『昭和』を読む

          ・・・岡村知昭   →読む


俳句九十九折(80)

七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅢ

          ・・・冨田拓也   →読む

閑中俳句日記(31)

嵯峨根鈴子句集『コンと鳴く』  

          ・・・関 悦史   →読む


遷子を読む

〔56〕自転車に夜の雪冒す誰がため

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

ハイクは目黒に限る、の巻

磯辺勝『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』を読む 

          ・・・高山れおな   →読む

「セレクション俳人」を読む 8 『四ッ谷龍集』 

インポテンツの愛のうた

          ・・・外山一機   →読む


あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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あとがき(第88号)

あとがき(第88号)


■高山れおな

Twitterですが、予想通り三日とたたず飽きました。しかし、それはそれとして職場の方で、公式アカウントを取ってやるつもり。


■中村安伸

Twitterを使った『新撰21』読書会ですが、昨日第五回、谷雄介の巻を無事終了しました。発言内容のまとめはこちらを御覧下さい。


俳句九十九折(80) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅢ・・・冨田拓也

俳句九十九折(80)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅢ

                       ・・・冨田拓也


4月19日 月曜日

本日の「朝日新聞」の朝刊に「短歌時評」として歌人の田中槐氏が、『新撰21』(邑書林 2009)を話題にしておられた。

俳人と歌人の会合の中で、歌人から見ると『新撰21』に掲載されているいくつかの句には、かなり短歌に近いものがあるという感想が聞かれたそうで、

しかしそのことを具体的な句を挙げて話し合っていくうちに、歌人が「短歌っぽい」と感じる句と、俳人が「短歌っぽい」と感じる句にはかなり開きがあることがわかった。これは衝撃的な体験だった。

とのことである。

そういうものなのか、と非常に意外な思いがした。ということは、この自分にしても、ある俳句作品に対する「短歌っぽい」と感じる感覚というものは、歌人の方たちとは相当に異なる可能性が高いということになりそうである。


4月20日 火曜日

出版社である「ふらんす堂」のHPにて、桂信子の全句集を読む企画である「草のこゑ」に拙文「時の向こう」を掲載していただいた。

しかしながら、あのような文章でも何度も何度も推敲を繰り返して漸く書き終えたものなのであるが、現在見てみるといくつも書き落していることがあって、つくづく文章の難しさを実感するところがあった。

少々補足するならば、作品の変化という点については、

梅林を額明るく過ぎゆけり   第1句集『月光抄』(昭和24年刊)


    ↓

きさらぎをぬけて弥生へものの影   第5句集『初夏』(昭和52年刊)

という感じとなろうか。

あと、この作品における「ものの影」という言葉からは、「木の葉や草」、「鳥」などの形象が浮かび上がってくる、といった感じで少々限定したかたちで書いてしまったのが、単純にこの「ものの影」には「木の葉や草」、「鳥」のみならず、他の「春の季節」における様々な存在、即ち「雲」、「水」、「山」、「魚」、「亀」、「昆虫(蝶など)」などなど、実に多くの事象が含まれているということになる。また、その中には、春において開花する様々な「花」の存在というものも忘れてはならないであろう。

そして、この句の「ものの影」という言葉の意味するところにおいて、桂信子という作者の意識下に割合強く思い描かれていたのは、もしかしたら「桜」の存在ということになるのかもしれない、という気のするところもある。

ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く

一心に生きてさくらのころとなる

花のなか魂遊びはじめけり



4月22日 水曜日

なんとなく「川端茅舎」という言葉が思い浮かんできた。

夏死にて川端茅舎すがすがし   下村槐太

茅舎忌の夜はしづかに天の川   野見山朱鳥

茅舎の死ある夜ひとりの夏座敷   飯田龍太

年々や茅舎の花の朴咲けり   和田魚里

朴咲けりさらに茅舎は白く泛く   八田木枯

かくてはや露の茅舎の齢こゆ   上田五千石



4月23日 金曜日

昨日、名前が思い浮かんだきたため、アンソロジーで川端茅舎の作品をいくつか読んで見る気になった。この川端茅舎は、時代的には1897年~1941年における作者ということになる。

白露に鏡のごとき御空かな

金剛の露ひとつぶや石の上

蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ

蝶の空七堂伽藍さかしまに

飴湯のむ背に負ふ千手観世音

寒月の砕けんばかり照らしけり

河骨の金鈴ふるふ流れかな

月光に深雪の創のかくれなし


久しぶりにこの作者の句に目を通してみたのだが、なんというか、この作者の作品を読んでいると、その高貴さというか異様なまでの迫力というものに、それこそ実作者として単純に気落ちしてしまうようなところがあった。

現在において、こういった俳句作品を成し得ることは単純に可能なのだろうか。

現在の俳句作者というものを見渡してみても、このような作品をそのままに成し得ているような作者というものは、単純には見当たらないように思われる。現在ではこのような表現で俳句を書こうとすると、もっと内容の薄まったかたちでの表現となるか、逆にもっと文芸色の強い傾向の作品となるのではないかという気がする。

やはりこの茅舎の作品というものは、単純に現在とは時代の異なる表現ということになるというべきであろうか。

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俳句九十九折(72) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(73) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅥ・・・冨田拓也   →読む

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壊れそうな西日の中で 室生幸太郎『昭和』を読む・・・岡村知昭

壊れそうな西日の中で
室生幸太郎『昭和』を読む

                       ・・・岡村知昭

物心ついたときからずっと「天皇誕生日」だった4月29日は、天皇の代替わりによって「みどりの日」に、そして何年か前には「昭和の日」となり現在に至っている。名称がどうなろうとゴールデンウィーク最初の祝日には変わりないので、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」(内閣府ホームページより)との意図がどこまで通じているかは、はなはだ心もとなく思うばかりなのだが、何より「昭和」はあまりにも長かった、その期間は63年と何日か。帝国の興亡に費やされた20年と核兵器を背景にした冷戦構造の中での復興と発展に費やされた40年。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返した国で過ぎていった、それぞれが背負った個人的な日々の思い出は、高度成長期へのノスタルジーの衣を纏いながら、それでも確かに遠のきつつある。

中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」がまぎれもなく「昭和」の俳句であるように、室生幸太郎氏の句集『昭和』は間違いなく「昭和」を離れての20年なくしては生まれなかった一冊である。室生氏は「戦中、戦後を肌で感じながら育った」(あとがきより)昭和八年生まれのいわゆる「昭和一ケタ」と呼ばれる世代を生きた自覚と自負を見てとることはたやすそうなのだが、「昭和」という語が一句に現れる作品からは、なかなかどうしてと思わず呟かせる著者の手強さが随所に顔を見せてくる。

昭和ヒトケタ前に進めず花の中
昭和一桁せかせかと行き芒原
咲き満ちてさくら昭和を遠くする
飛花落花昭和を忘れたい人に
芒原昭和の波の音ばかり

前に進めない戸惑いの中にある桜のなかの「ヒトケタ」、自分自身ですら戸惑ってしまう速さで芒原を歩き続ける「一桁」。どちらも自画像であり、また著者自身と同世代の人々の現在の姿といえば言えるだろうが、一句に現れるひとりの人物の像はどこか淡く、儚さすら感じられ、なにより「昭和」という時間を生きたというノスタルジーからは無縁のところに立ち尽くしているように見える。桜散る中に立つ「昭和を忘れたい人」も、芒原で「昭和の波の音」をただ聞くほかない人もそうで、過ぎていった時間を懐かしむでもなく恨むでもなく、ただ立ち尽くしながら自らを見届けているのみ、いや見届けることを選んでここにいるといった風情なのである。もちろん自らの原風景がどうとか、あの時代をどう生きたかといった問いとは無縁であろうとするわけではないのだが、その前に過ぎていったものを解釈して結び付けようとせず、ただ感じ取っただけのあるひとりの「昭和一ケタ」像を作ろうとしている。

でもそうなると「昭和を遠くする」の句は一冊の冒頭に置かれているだけに著者の感慨が現れている作品ではないのかと言われそうで、その点はきっと著者自身も深い思い入れをもって一句を冒頭に据えただろうことは容易に見て取れるのだが、満開の桜を見ている、「昭和」は遠くなりつつあるなあと感慨にふける、との流れは草田男の「降る雪や」と同じようでありながら、ため息や遠いまなざしのありようは草田男の断言から発せられるものよりも淡く、より儚げであろうとする。著者自身の中でこの姿勢は徹底されているのだなと私は受け止めたのである。

ひろしまを消すひろしまの蝉時雨
ヒロシマに消えに行くため夏帽子
ヒロシマ風化して広島の夏帽子
夏帽子ながさきの坂上がったまま
かなかなの途切れ途切れにながさき泣く
八月六日乾いた目玉ばかりが来る
八月九日見えない空を見るマリア
死んでいるわたしと歩く爆心地


ノスタルジーに対しての淡さと儚さへの志向、という著者の姿勢は、繰り返し書かれる「昭和」の戦争がもたらした原爆の惨禍をモチーフにした作品群において、よりはっきりとした形で表れる。これらの作品においても原爆の惨禍への告発や平和への決意といった要素はことごとくかき消され、現実の広島や長崎ではない「ひろしま」「ながさき」の街をゆくひとりの人間の像のみが淡く顔を見せ、そのことによって原爆の惨禍がほかならぬ人類の手によってもたらされ、その傷がいまもなお癒えない様子を描こうとしている、とひとまずは思いつつも、作品を読めば読むほどに見えてくるのは、原爆投下から60年以上が過ぎたにもかかわらず、いまだに廃墟のままの姿をとどめる「ヒロシマ」「ナガサキ」。現実の広島との自ら思う「ヒロシマ」との齟齬を記憶の風化を思いながら、原爆の死者と一緒に自ら歩く爆心地はあの日のまま変わることなく、むしろ廃墟としての姿をより鮮明にしてるかのようだ。淡さと儚さ、さらには脆さをも兼ね備えた自分自身、そして同世代の人々の生きた時間の中で最大の脅威として「昭和」を襲った(いや帝国たらんとしたこの国が自ら招いたというべきか)世界大戦がもたらした惨劇への怒りはそこにはない。告発からも祈りからも遠く、ただ彷徨うしかできない姿にのみ徹する姿勢のみが、爆心地の死者たちと自らを繋ぐ唯一の手立てではなのだと静かにうなずき、また歩き出すひとりの姿ばかりが廃墟のままの街を漂い続ける。確かに被爆地の「マリア」はいま涙を流しているかもしれないし、「蝉時雨」に「かなかな」はあの日のように鳴いているのかもしれない。だが声高に何かを叫ぼうとする前に、廃墟の街をゆくひとりの人物は、廃墟のありさまを胸中深くに沈めながら自らが生きてきた「昭和」の淡さであり儚さ、そして脆さを感じ取らずにはいられないのだ、壊れものとしての自らと「昭和」をひたすらに見つめ、抱きしめようとするかのように。

花ふぶきひとひら地球を捨ててゆく
花らんまん地球が滅ぶ日のように
地球儀きしむ地球の鬱に汚染され
大型ゴミの地球儀回る落葉の中
マヌカンの鮫肌見える落葉して
マヌカンに老はん目立つ落葉して


ここに登場する「地球」に「マヌカン」を見てみるとき、どうしてこうまで壊れものとして存在するのだろうかと、思わず嘆息したくなる気持ちがどうにも抑えられなくなる。老いた地球を捨てるかのように宙を舞うはなびら、地球最後の日にあらゆるものを焼き尽くそうとする炎と見立てられる満開の桜たち。原爆を手に入れてしまった人類の軋みが移った地球儀は、大型ゴミ置き場に捨てられながらなおも自転を続けてやまない、いや捨てられたのは地球そのもの、人類そのものではないのか。室生氏の作品にたびたび登場する「マヌカン」たち、ショーウインドウで色とりどりに着飾って美を誇示しているはずの彼ら彼女たちが、落葉の季節に訪れた鮫肌に老班の無残さからは、あらゆるものが時間のもたらす軋みから逃れられはしない現実を露わに見せつけるのだが、ここでも目線は軋みに抗おうとか、地球に軋みをもたらす文明に対する批評を発揮しようとする態度からは遠い。軋みや老いの様子を自らに刻みこみ、すべてを壊れものとして受け止めようとする姿勢は一冊の中であくまでも一貫している。そして雪月花の風情やいわゆる「社会性」とは一線を画し、絞り込んだ語彙を駆使しながら独特の叙情性を持った作品世界を作り上げていったのである。

だが著者はここであえて自らの「昭和」の原風景を収めずにはいられなくなった。

巴里祭靴下その他は部屋に干す
藤くらし血を売って外国書得ぬ
壁の汚点したし学生服吊るす
メーデー終へ広場の林檎母へ買ふ
寝おちゆく孤児ら噴水力抜く
歌留多取る母に銃後の日のありき


「私の俳句の原点」(あとがきより)と語る昭和27年か31年までの5年間の作品を収めた「巴里祭」の章の作品は、当然のことながらここまで述べてきた方法を持って書かれたものではない。若き室生氏にとって「昭和」は現実に流れる時間としてあり、自らを養わなければならない生活があり、目の前には病める日野草城と草城を慕う若い仲間たちがいる。「巴里祭」への憧れを胸に秘めながら靴下を干し、学生服を吊るしながら壁の染みに対して「したし」と自嘲してみせる、時には一冊の本を手に入れるために血を売るほかない生活のまっただなかで、メーデーの労働者の中に入ろうとし、公園に野宿する孤児たちに思いを馳せずにはいられない日々。背景には誰も逃れることのできなかった「銃後の日」が重くのしかかる。そんな中で何とかひとりの人間として、そして俳人として自らを立てようとする姿は何者にも変えがたい室生氏の青春そのものだ。

西日充ち男の部屋は釘だらけ
部屋ぢゆう西日バターと葡萄酒買ひ来れば
マンボ・バカーン寝ころべば顔にまで西日


これらの作品で現れる「西日」によって照らされるのは生活の現実と、どうにもできない焦燥を抱え込んだ自分自身の姿である。部屋を照らす「西日」は部屋のあちらこちらから飛び出す釘をはっきりと見せつけ、憧れのバターと葡萄酒を買い求めた高揚感をそのままに戻ってきた部屋を包み込む「西日」は一瞬訪れたモダンな幻想から現実の生活に自らを引き戻す役割を果たす。こうなればマンボも西日もただ自分にとっては疎ましい存在でしかないだろう、音楽も光線もなにもかもが自らの現実をさらけ出そうとするだから。どのようにしていまの自分に対し、社会のありように対していけばいいのかを模索し続けたこの時期は確かに原点であり、「昭和一ケタ」生まれの自らにとっては忘れられない、いや忘れてはいけない時間だったからこそ、あえて一冊に収めるだけの価値を見出したのだ。ここから始まった長い時間の中で「昭和」は幕を閉じ、草田男ならずとも「遠くなりにけり」の感慨は幾たびも訪れただろうが、そのたびに感慨を振り切り、物にとどまらず、あらゆる事態をも「壊れもの」として受け入れようとしながら書き続けられた作品がこの一冊にはまとめられている。

眼帯して少年の日の西日に会う

「平成19~20年」の章にある一句。若い頃に部屋で自らを照らした「西日」からはあまりの隔たりを感じずにはいられないのだが、さまざまな意味で苦しかったあの日々から遠く離れてようやく書くことのできた「西日」は、「眼帯」という自らの肉体に訪れた違和を通じて見出すことができたものだった。「昭和」の日々に自らを照らした「西日」は自らを打ち据えるかのようだったが、いま眼帯を通して受け止める「西日」はあの頃とは違い、淡さと儚さと、そして脆さをも兼ね備えた「壊れもの」として自らを照らしている。またもや訪れつつあるノスタルジーを振り切りながら、壊れそうな「西日」の中を歩くこのときにも、「昭和」は確かに遠くなりつつあるのだ。

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磯辺勝『巨人たちの俳句』評

ハイクは目黒に限る、の巻
磯辺勝『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』を読む

                       ・・・高山れおな


生業の方で「芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」(*1という特集記事を作ってから、ちょうど四年になる。室町時代の山崎宗鑑の自画自賛の自画像にはじまって、立圃(りゅうほ)、西鶴、芭蕉、其角から、蕪村一派を経て、幕末維新期の俳諧一枚摺まで、近世の俳画の流れをひととおりカヴァーする内容だった。解説者には雲英末雄先生というこの方面の第一人者が立ってくださっていたのだからそれで心配ないようなものの、俳画というのは研究分野として確立しているわけではなく、手がかりになる参考書類が寥々として少ない点は、編集にあたっていささか心細かったように覚えている。集英社の『俳人の書画美術』(*2という十二巻からなる全集もあるにはあるのだが、大部なわりにはムムムムムな感じだし。そうした中、最も頼りにしたのは岡田柿衞翁の『俳画の世界』(*3、それから磯辺勝氏の『江戸俳画紀行』(*4だった。正確には、『江戸俳画紀行』はその時点ではまだ書籍化されておらず、そのもとになった「ににん」誌における連載を読んでいたのだが、《西鶴自画賛十二ヶ月》についての批評の一節をそのまま引用させていただいたりもしたものだ。

「芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」は、売り上げは可もなく不可もなくだったが、手にとってくれた人たちからはなかなか好評であった。ただ、ひとつ心残りがあって、それは俳画は江戸時代と共に終わったというふうに論断してしまったことである。雲英先生はもちろん当方とて小川芋銭(うせん)や山口八九子(はちくし)のことを知らなかったわけではないし、それでなくとも明治から大正期まではまだまだ相当数の俳画が描かれていたことは認識していたが、いわば価値観の問題として俳画は近世のもの、と決着を付けてしまったのである。連句を楽しむ人はいても近代が連句の時代ではないのと同様に、それはそれで別に間違いではあるまいが、とはいえその後、誰彼のあれこれの具体的な作品に出会うたびに反省の思いが湧いたのも事実。特集をした時点では、雲英先生にも近代の俳画について系統立てて論じる用意はなかったのは仕方ないとして、雲英先生の急逝によって再説の可能性までが全く失われてしまったのは残念なことだった。

さて、磯辺勝(以下、敬称略)の新著『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』(*5を読んで、そんな反省を誘う実例にまたしても出会ったようである。そのひとつは、戸外に出したテーブルでワインを楽しみつつ読書や執筆にいそしむらしい自画像に、〈永き日やつば垂れさがる古帽子〉という句を添えた永井荷風の扇面画。自画像は、句に詠まれた通り、鍔広の帽子をかぶったダンディーな洋服姿だ。絵と句の関係が匂い付けではなくベタ付けなのは遺憾ながら、掲載された小さなモノクロ図版で見ても愛嬌たっぷりな絵のようだ。もうひとつは南方熊楠。こちらは磯辺の説明を引いてしまおう。まず、

小春日や猫が鼠をとるところ

飾り海老食て脚たつ猫の春

寒のいり猫もマントをほしげなり

ふくろふよ知らぬ顔して幾秋ぞ

くさびらは幾刧へたる宿対ぞ

あんずとは病家に厚き木なるべし

という六句を引いたのち、それぞれに付せられた俳画について磯辺はこんなふうに書いている。

一句目は猫が前肢で鼠をおさえているところが描かれているのだから、いらざる説明である。猫もあんまりご面相がよくない。二句目は手紙のなかに猫のスケッチとともに添えられた句。「猫が海老を食うと腰を抜かす」ということわざをふまえたものだという。四肢を伸ばして、威嚇する猫の絵はまずまず。おかしいのは三句目が書き込まれた俳画で、囲炉裏の縁に猫が頭から布団をかぶって寝ている。「猫もマントをほしげなり」はいうまでもなく芭蕉の「猿も小蓑をほしげ也」のもじりだ。こうみてくると、熊楠の猫好きは相当なものである。四句目の「ふくろふ」も、もともと梟は猫に似た鳥だが、いよいよ猫の親戚に見えてくる。五句目の「くさびら」は茸の一種。お銚子を手にした自画像が、茸を並べた台を前に座っている(章扉図版)。おそろしく深い因縁によって、茸と対決しているのだ。ていねいに描かれた杏の絵に「あんず」の句、贈った相手が病だったのだろう。

このうち「くさびら」句の俳画のみが同書中に掲出されていて、それを見ると一茶のもの程ではないけれど、俳画としても省筆のはなはだしい部類に属する。茸も人も、踊るような筆致で描かれており、頬骨の高い髭面の人物(すなわち熊楠自身)がこちらに向けた視線がなんとも怪しげだ。他に「猫もマントをほしげなり」の絵もぜひ見てみたいと思わせられる。

『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』は、荷風、熊楠に加え、堺利彦、物外(もつがい)和尚、平賀源内、二世市川団十郎と、計六人の、いうところの“巨人たち”と俳句とのかかわりを探った本である。列伝形式の俳句の本ということでは石川桂郎の『俳人風狂列伝』(*6や加藤郁乎の『俳の山なみ 粋で洒脱な風流人帖』(*7なんかが思い浮かぶが、もちろん同じではない。石川の本でとりあげられている十一人(*8は、乱暴に括ってしまえばまずは俳句以外に取り柄のない人たちであるが、磯辺が論じる六人は俳句を度外視してもほとんど評価に差のない偉い人ばかりだ。その意味では、学者や小説家、実業家など本業で名をなした人たちの俳句遊歴の紹介を中心にした加藤の本の方が、趣旨としては近いことは近く、永井荷風のようにどちらの本にも登場する人もいる。とはいえ、両者の執筆態度には大いに径庭があって、加藤の筆を駆り立てているのは、自らがとりあげる人なり俳句なりが閑却されていることに対する憤懣であり、彼らの作品を俳句史上の一級品なり、と宣揚すべく奮闘しているのに対して、磯辺にはそんな傾きは少しもない。磯辺のモティーフはむしろ、俳句なぞにかかわらずともなすべきことがあり、現に多くをなしとげた人たちが、にもかかわらずなぜ俳句を(場合によっては終生)作りつづけたのかというところにあったようだ。

今、六人の巨人たちの俳諧・俳句を読んできて見えてきたことは、この人たちのいわば本業は、荷風の小説、二世団十郎の舞台などを考えても、公的に、社会に向けて提供されるものですが、これに対して、俳諧・俳句は、極めて私的な、ほとんど非社会的なものであるということです。その私的で、非社会的な俳諧・俳句を、荷風や二世団十郎が手ばなさなかった理由を、筆者はこう考えました。公的な仕事は、一人歩きして、ときには作者や役者の虚像をつくりあげるだけに、その背後にいる実像でしかない作者や役者には、バランス上、一個人である自身を支える営みが必要だったのではないか、と。それが彼らの場合、たまたま若い日に出合った俳諧・俳句だったのです。そう考えると、巨人たちにとっての俳句も、軽く趣味といってすますことのできない、生きることに密接にかかわる肉声として聞こえてきます。

上に引いたのはあとがきの一節で、その所説にはかなりな程度まで納得できる。もちろん「一個人である自身を支える営み」としての俳句は“巨人たち”の占有物ではない。“巨人たち”の場合のように広範に認知されてはいないにせよ、一般の無名人にしてもやはり何らかの社会的な“虚像”を生きているには違いないわけで、俳句を“作ること”に対する需要の莫大さはそこに淵源していると言うこともできるだろう。一方、「一個人である自身を支える営み」としてではなく、むしろ公的な“虚像”を獲得せんがために俳句にかかわる逆立ちした連中もいて、それがつまり“俳人”である。そのような意味での俳人批判は本書中に何度か出てきて、評者は俳人なので反撥も覚えたし、磯辺の批判を再批判することは難しくないとは思ったものの、このすぐれたポルトレ集にそんな脇筋の部分で絡んでも仕方がない。

六人のうち堺利彦、物外和尚、二世団十郎は、評者は名前しか知らなかった人たちである。また朧気ながら人物像の輪郭くらいは持っている他の三人にしたところで、荷風はともかく、熊楠、源内について俳句とのかかわりに限定して論じるなどとは、それを可能にする著者の調査力にまずはシャッポを脱がないわけにはゆかない。中で、物外和尚の章だけは、禅宗に対する著者の知識が充分でないために、対象を追いつめきれていないのではないかという印象を持ったが、それ以外の五人のものはいずれも間然するところのないエッセイになっていよう。個人的にはとりわけ、「二世市川団十郎 あらたのしの目黒」の章に惹かれた。「あらたのしの目黒」とは、二世団十郎が一家をなしてから営んだ目黒の別宅での風流生活を指している。其角や一蝶とのかかわりなど逸話的な要素もいちいち興味深いし、父である初代団十郎追善のために編んだ大部の俳諧選集『父の恩』を、雲英コレクションの一本により、冒頭で触れた俳画特集に載せた思い出もある。かてて加えて二世団十郎、作品が良いのだ。作品が弱くては、いくら人物が面白くても締まらなかっただろう。事実、堺利彦や南方熊楠の場合は、ややそれに近いのだが。

これらの発句をゆっくりと読んでゆくと、二世団十郎が俳諧に求めた境地のまっとうさ、というものを知ることができる。役者の、軽い交際の具にすぎない、などとはいえまい。二世は十七歳で父親の初代団十郎を失い、一人で自分の芸境を切り開いていったが、父親の創出した荒事の芸をそのなかに生かしていった。俳諧においても、二世はよく似た軌跡をみせている。二十歳のとき俳諧の師其角を失ったが、難解な其角俳諧の真似事から出発して自分でそこから脱け出し、しかも其角俳諧のおもしろさを受け継いだ栢莚(二世団十郎の俳号……引用者注)俳諧をつくりあげていった。

説得的な分析の裏に濃やかな共感が溢れる好文章ではないだろうか。文中にいう「これらの発句」から若干を引いて擱筆する。「これらの発句」とは、磯辺が二世の千句を超える現存句から抜いた二十余句で、〈ほとんどが宝暦に入ってからの、二世が五十五歳を過ぎた晩年の句〉になったという。

物洗ふおとおさまりて天の川

万歳やわけ来る道もつゞみ草

やま人の赤い物喰ふさむさかな

音楽は空に聞へて枇杷の花

浦風や千鳥の中に馬の耳

神垣や杉戸がすこし明てある

春かぜや菜畑をゆく大神楽

家ごとに海士も髪ゆふ月見かな

木がらしや何もなき田の水の波

寝酒のむ五十三次夜寒かな

(※)磯辺勝『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』は著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

(*1「芸術新潮」二〇〇六年六月号

    特集「芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」

(*2『俳人の書画美術』全十二巻 集英社

一九七八~一九八〇年

(*3岡田利兵衞翁の『俳画の世界』

    淡交新社 一九六六年

(*4磯辺勝『江戸俳画紀行』

中公新書 二〇〇八年

(*5磯辺勝『巨人たちの俳句 源内から荷風まで』

平凡社新書 四月十五日刊

(*6石川桂郎『俳人風狂列伝』

角川書店 一九七三年

(*7加藤郁乎『俳の山なみ 粋で洒脱な風流人帖』

    角川学芸出版 二〇〇九年

(*8高橋鏡太郎、伊庭心猿、種田山頭火、

岩田昌寿、岡本癖三酔、田尻得次郎、

松根東洋城、尾崎放哉、相良万吉、

阿部浪漫子、西東三鬼

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遷子を読む(56)

遷子を読む(56

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


自転車に夜の雪冒す誰がため

『山国』所収

筑紫これも遷子の医師俳句ですが、初期の、遷子も佐久も貧しかった時代の典型的な寒村医師俳句でしょう。面白いのは、医師俳句であることを「誰がため」と暗示的に示すに止まり、医師俳句としてのメッセージを隠している点です。それと、「夜の雪冒す」とは新雪に自転車の轍を刻むことですが、斬新な描写といえるのではないでしょうか。特に、雪見に出かけるような趣味的な世界ではなく、生活俳句の中で使われているのは遷子の馬酔木における長年の技巧が発揮されています。技巧というと嫌らしく感じられますが、作者として最も伝えたいメッセージを、最も的確に伝える言葉として選び取ったという意味です。これも散文調ですが、にもかかわらず俳句以外の何ものでもないという確信を持たせてくれるのは、遷子の内部の思想のリズムによるものでしょう。切字が大事とか、切れの秘訣などと言っている作家にろくな作家はいないと思います。思想にこそリズムはついてくるものだと思うからです。

中西遷子が「鶴」に入ったのは大陸に行く少し前だったことが、『山国』の波郷の跋文から推測できます。そして、この句の出来る前年まで、函館で「鶴」の連衆と句会をして境涯詠を作っていたのですから、句会の仲間がいなくなった状態としても、波郷の影響は濃かったのではなかったかと思われます。波郷は昭和21年6月号の「鶴」に「こしらえ物でない体験や偽りのない感情は作者と俳句の間にあつては不可分どころか同一で二ならぬものである。(中略)俳句は飽くまでもその真が作者の真そのものでなければならぬからである。」と書いています。と、しますと遷子の俳句は波郷の唱えている俳句と歩をあわせているのが良く分かります。遷子の俳句は遷子の生活や、考え方を如実に表わしているからです。句坐を共にする仲間や年代で少しずつの変化はありますが、こしらえ物でない体験と、偽りのない感情を生涯作り続けました。掲出句は昭和21年の冬に作られました。としますと、「鶴」に掲載されましたこの波郷の文章は当然遷子にも読まれていたはずです。遷子にとっては作句態度を確認した一文だったのではないでしょうか。

しかし、この句に波郷の評は芳しくありませんでした。「低調」の句と書かれています。独りで、句坐に加わらないで俳句を作るという作業は、遷子を内向へ向わせました。句は内向に向いますと、他人には共感されにくくなります。読者は作者の心の声を、親切に読めないからです。他人には踏み込んで欲しくない心の葛藤がこの句から感じられるようです。特に下五の「誰のため」には自問の他に、口が悪いのですが、「こんなことやっていられないなあ」という気持ちが内心あったのではないでしょうか。そこには、「佐久雑記」に書かれていた「故郷はやや期待を裏切られた感がありました。」という何かが、患者との間にあったとも考えられます。

磐井さんは「夜の雪冒す」に「馬酔木」の長年の技巧の発揮を見ていらっしゃいますが、句の形は正に「馬酔木」ですが、先ほどから申しておりますとおり、「鶴」の主張を体現している句と思われます。この時期「鶴」の精神に従いながら、韻文、切字を重視する「鶴」の作り方から、「馬酔木」の切れのない作り方へと変わって行きます。どこか渋滞しているリズムを、磐井さんが「遷子の内部の思想のリズム」と見ておられるところが面白いと思いました。

散文調を嫌った波郷がこの句を低調と言ったのもわかりますが、反対に「思想のリズム」という磐井さんの見方は、まだ私の中では消化できていませんが、俳句の新しい読み方の提示になるかも知れません。

もしも、この句の作者が青春多感な一青年であったとしたら、熱烈な恋情の句としても読めるなあ、と(不謹慎にも)思ってしまいました。

そのくらい「誰がため」の語は心情の濃く表れた言葉です。「誰がため」の問いは、そのまま「何のため」という問いに通じてゆきます。ここでは「誰」という対象がはっきり在るわけではないのでしょう。複雑に胸を去来するものがありそうです。

医業に関わる句は次の『雪嶺』に至って俄然、数を増しますが同時に、

わが生や夜も雪山に囲繞され 『雪嶺』

悴かめるこの一瞬も我の生   〃

寒冬の烙印あらたわが生に   〃

など、自分の生に対する思念を詠んだ句も頻出するようになります。さらに

笹鳴のけふこの道を何故歩む  〃

のように、何気ない日常の行為の場面でも、その行為、ひいては自分の存在に対して訝しく自問自答する遷子がいます。

掲出句はその流れに属する初期の句のように感じています。

深谷:制作年代は昭和22年頃かと思われます。当時の遷子の句業は、句集収録作品も少なく、句作に最も難渋した時代だったことが窺われます。波郷も句集『山国』のあとがきで、掲出句を引いた後、「戦後の社会的窮乏と、病後の心身の疲弊に耐へるに力を尽してゐて、しばらくは著者の句も、なほ山国の風物さへをもやや低調に切取るにとどまってゐる。」と評しています。そのような時期に作られた掲出句ですが、注目したのは、やはり下五の「誰がため」という措辞です。もちろん医師として寒夜の往診に出掛けていくのですから、その行為は患者のためということになります。しかし、掲出句では「誰がため」としたことで、作者たる遷子がそのような僻地医療の意義を自問しているようにも読めます。あるいは、そうした生き方を選んだことに一抹の迷いがよぎったのではないかと感じるのは穿ち過ぎでしょうか。時代環境や地理的ハンディから、当時の僻地医療の現場の厳しさは相当なものがあったと思われます。ましてやかつて大学で研究の道を志したこともあったと思われる遷子ですから、そうした迷いや不安も無理からぬことだったのではないでしょうか。そして、そうした心の揺れを押し隠すように、新雪の中を自転車で往診に出掛けていく遷子の姿が目に浮かんできます。そうした意味で、遷子の人間性がよく表れている作品だといえるのではないでしょうか。

仲:往診の句が続きます。しかし背後の状況や作者名を知らずにこの句を読むと「作者は夜何かの事情で、恐らくは他人に関わる急ぎの用事のために自転車を走らせているのだろう」ということしか分りません。「誰がため」との思わせ振りな言い方が何か他人のための重大な仕事を想像させるけれども「往診」という答に辿り着く人はどのくらいいるでしょうか。そういう意味では不完全な俳句かもしれません。遷子という一人の作家、一人の人間を追っている我々には興味深く捨てがたい俳句ですけれども一般の俳句読者にとってはどうだろうかと考えてしまいます。

俳句としての眼目は磐井さんが指摘された通り「夜の雪冒す」との珍しい措辞にあるでしょう。降り積もったばかりの夜の雪、まだ轍の付いていない白い(周囲は真っ暗で灯りに照らされた部分のみ白)大地を自転車のタイヤの跡を付けて走る。「冒す」と言うことで新雪が浮かんできますし安全な道ではなく多少の危険を承知の上での火急の行為であると匂わせている、実に巧みな表現です。私も夜半に病院から呼ばれて雪の中自動車を(残念ながら自転車ではありません…)走らせることがたまにあり、何の跡もない雪原に轍を付けていく心躍り(自然に対するのと仕事に対するのと両方への爽快感)を感じることがありました。車と違って自転車は寒気や雪が肌に触れるのを直接感じる分余計にそのような思いは深かったはずです。

「自転車に」の「に」も俳句表現に長けた人でないと置けないかもしれませんね。下手な者なら「自転車が」「自転車で」などとやってしまいそうです。ここら辺が馬酔木での修練や古典に対する造詣の賜物なのでしょう。実にスマートで適確な助詞の使い方です。

切字については必須とは思いませんが修辞法としてきわめて重要とは思っています。ここで議論するのは場違いなので止めますが。

筑紫この句の状況がよく分からないというご指摘はもっともだと思います。しかし、今この句を読む私たちに状況が分かるのであれば、あえてそれは言う必要はないという気もします。長大な時間の流れの中で不易流行の名句を求めるべきなのか、子規といえば晩年の闘病生活をすぐ思い浮かべ「鶏頭の十四五本もありぬべし」を子規庵の庭前として予断してしまうことが文学の鑑賞として悪いことなのかは一概に決められません。

遷子俳句研究としてはじめた以上、独立して鑑賞できる句以上に、遷子の名前と生涯とに依存して読むべき句として、掲出の句は優れているように思います。遷子なかりせばありえない句であるのです。

龍太は俳句は無名がいいといいましたが、これらの句は遷子の名前があるからこそよいのであり、遷子の名をもって残る可能性は高いと思います。

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〔55〕障子貼るかたへ瀕死の癌患者

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セレクション俳人を読む8 四ツ谷龍

「セレクション俳人」を読む8『四ッ谷龍集』
インポテンツの愛のうた

                       ・・・外山一機


四ッ谷龍の俳句はさびしさを湛えている。

落日を背にクレーンの弧を描く

デーゲーム拍手まばらに四月尽

灰色校舎翳つくりあう楓の実

こうした句を享受するとき、僕は「様々なる意匠」という言葉とともに、はにかみのようなものを覚えずにはいられない。俳句表現において「さびしさ」や、あるいは「虚無」や「孤独」といったテーマはすでに詠みつくされてしまっている。もちろん、だからといってこうしたことを詠むべきではないというのではない。重要なのは、その句のテーマが何であるかではなくその句が詩として優れているかどうかだ。

だが、それでもなお僕が四ッ谷の句の前に立つときに戸惑いを覚えるのは、四ッ谷がその青年期から一貫してさびしそうな顔で詠み続けているからだろう。

友の髭淡し春風吹き寄せぬ

昭和四九年、一六歳の折の作品である。この優しいまなざしを、僕は痛ましく思う。この優しさは、すでに「友」と同じ地点に立てなくなってしまった者のそれであるからだ。そこにあるのは、いわば奇妙な晩年の意識である。

夏星を繰る骰子の展開図

たとえば「夏星」の運行と「骰子」の神秘的な関係を見出したとして、四ッ谷はそれを神秘的なままに讃えることができない。その「展開図」が見えてしまうところに四ッ谷の抱え込んだ不幸がある。

十三夜線路いきなり光りだす

だから、僕はこういう句のほうに安心する。終焉の場所から睥睨するのではなく、「いまここ」にあるものを無暗に詠っていくこと。けれども、四ッ谷はそれを選ばなかったようだ。

翻って、四ッ谷の句の持つさびしさの根源にあるものは何だろうか。

石鹼泡ひとつひとつの瞳を持てり

生まれてはすぐに壊れてしまうシャボンの泡のなかに四ッ谷は「瞳」を見出す。けれど、それらの「瞳」ははたしてこちらを見ているのか。

ゆきかうひとみなつかれたる眼して春

「つかれたる眼」をして「ゆきかう」人々、それが四ッ谷にとっての「春」のありようであり、同時に、世界のありようであった。

鳥交る松の林に雲沈み

むこうがわに人間もいてものものしきブギウギ

それぞれの肩のかたちで探梅へ

ばらばらのままの青空大栄螺

四ッ谷の句は傍観者のそれである。そして四ッ谷が見ているのは他者と繋がりにくくなったさびしい世界である。「それぞれの肩のかたち」とは、自我を徹底的に背負い込んだ個人の謂である。四ッ谷にとっては青空さえ「ばらばらのまま」であり、「鳥」の交る「松の林」も「人間」たちの「ブギウギ」もたちまちに不穏なものに化してしまう。四ッ谷はこんなふうに沈痛な面持ちで世界のさびしさを詠ってきたのだ。

虻飛行馬酔木咲く野はコナゴナに

秋淋し大庇より大烏

ときにそれは滑稽な作品にもなる。これらは「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」(水原秋桜子)「方丈の大庇より春の蝶」(高野素十)を下敷きにしたものであろう。秋桜子の雅やかな句の世界に「虻」が闖入する。すると世界は一転してコナゴナになってしまう。また、二句目は「秋淋し」という露骨ともいえる吐露から始まり、「春の蝶」の鮮やかさと対をなすかのように「大烏」が登場する。「虻飛行」の句にもいえることだが、そもそもこれら二句は秋桜子や素十の句とその完成度においては比べるべくもないのである。むしろこれらの句に見るべきは秋桜子や素十の句より優れているか否かではなく、そのように表現せずにはいられなかった表現行為の一回性の尊さのほうであろう。すなわち、いわゆる名句への問い返しをする行為それ自体によって自らの立場を見据えようとする、やや狂気じみた作者の面持ちをこそ見るべきなのである。 

ところで、「虻飛行」の句に見られるような嗜虐性は四ッ谷の作品にときどき顔をのぞかせる性質である。

桃の花十まで数え鬼死ねよ

土曜殺人日曜愛撫氷水

犬擲てばばら色に照る大地かな

「桃の花」の句は、自らを脅かすものとしての「鬼」にまるでまじないのように「死ねよ」と投げかける。だがそのことによって逆に「鬼」を殺すことの不可能性が暗示されていよう。また「土曜殺人」の句は、愛情の裏側にあるいささかねじまがった暴力を示している。三句目の「犬擲てば」の句では鬱勃とした気分を追い払うかのように「犬」を「擲」つのだが、その瞬間、大地がばら色へと変貌する。ちょうど「虻」が暴力的な羽音を立てながら飛ぶことによって「馬酔木咲く野」が「コナゴナ」になったのと表裏の関係をなしていよう。

こうした嗜虐性――あるいはそれを破壊願望といってもいいのかもしれないが――は、世界のほうから虐待を受けていることの反転であるのかもしれない。

はればれとわたしをころす桜かな

ガラス器の汚れ忽ち鳥曇

筒鳥や頭の中を走る傷

姫女苑・姫女苑・姫女苑手の火傷あり

鳶燃えて砂丘を転がり落ちる僕

四ッ谷の作品に登場するのは傷つきやすい「僕」の姿である。四ッ谷の句がときに傍観者的であるのは、物事への接触によって痛手を受けることへの怯えによるものなのかもしれない。こうした過剰な怯えの意識による他者との接触不良が、四ッ谷の作品世界を底流するさびしさへと繋がっているのだろう。

楽譜持つ子画帳持つ子と稲の中

この二人の子どもたちは「稲の中」で無事めぐり会うことができたのだろうか。そしてまた、たとえばそれぞれの持つ「楽譜」と「画帳」とを見せあうことはできたのだろうか。初めから接触不良が起こることはわかっているのだ。けれど、この二人はきっとわかりえあえたのだと思わないことには、あまりにさびしい。

大旱の丸太が二本愛しあう

思えば、四ッ谷龍の第一句集名は『慈愛』であった。孤独と虚無とが錯綜する場所で、どのようにしたら「愛」を詠うことができるのか。「丸太」といえば「手と足をもいだ丸太にしてかえし」(鶴彬)という川柳が知られているが、四ッ谷の句にあるのは他者によって手足をもがれた者ではなく、虚無と孤独のなかでついに手も足も持つことのできなかった者の姿である。あらゆるものが生気を失った「大旱」の世界で、他者との接触に懐疑的でありつつそれでも「愛しあう」のなら、それはこんなふうに滑稽で悲劇的な様相を呈するほかない。

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閑中俳句日記(31) 嵯峨根鈴子句集評

閑中俳句日記(31)
嵯峨根鈴子句集『コンと鳴く』


                       ・・・関 悦史


『コンと鳴く』は平成18年らんの会刊、嵯峨根鈴子(昭和24年生まれ、「らん」同人)の第一句集。全体に諧謔味が濃く、タイトル通り、狐憑きや芝居のモチーフがまず目に付く。

地芝居のこの世はみだす踵かな
葛の葉の草鉄砲よコンと鳴く
暗転の母は狐に夏狂言
狐憑きの役もらひたる村芝居
まぐはひに引き際のあり里神楽

鳴戸奈菜の序文に「俳句が自分に憑いたようなふりをしているが、憑かせたままにしている鈴子さんがいる」とある通りで、憑依されての忘我が中心になっているわけではなく、極めて意識的に離れて見ているところもある。またそうでなくてはユーモアは成り立たないので、「狐憑き」とはいっても与えられた役であり、野暮ったくも地に足のついた「村芝居」という枠組みまで同時に見せてしまうのである。

だからといって憑依が単なる意匠に終わっているわけではなく、身ぬちに奇異な熱狂の要素、自分と自分ならざる何かとの相克はあり、そうした相克の起こる場・舞台としての自己を客観視したものが「芝居」の一語に他ならない。「まぐはひ」の熱狂と「引き際」の客観視のせめぎあいを包括したところに句が成り立つのであり、このせめぎあいによって揺れ動く境界線はそのまま地芝居の中の「この世」の果であったり、《葛の葉の草鉄砲よコンと鳴く》における植物と動物の境界線であったりする。

この句自体は異類婚姻譚の人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』の「葛の葉狐」を踏まえているのだろうが、「草鉄砲」の具体性からこの「葛の葉」はさしあたりごく散文的に植物と取るほかはなく、それが狐の鳴き声を出すわけで、ここでは芝居の内容・世界観が舞台の外へ一歩出ていることになる。《地芝居のこの世はみだす踵かな》の「踵」と同じ位置にこの句全体がはみ出しているのだ。はみだしきってしまえば恐怖(「この世」から出てしまうのだ)の領域に入るが《まぐはひに引き際のあり里神楽》に見られるように、つねに「引き際」が弁えられていて、破局の恐怖はユーモアの枠に収まっている。その際に現れるのが「里神楽」や「村芝居」だが、これらを簡単に土着性と呼んでしまっていいかどうか。句中におけるあしらいは、ごく洗練されている印象がある。むしろこれらは虚構と現実、個人と共同体、近代と前近代、生と死といったさまざまな相克の間に現象する非在の膜のようなものとして機能させられていると取った方がよい。

膜、境目、表面性がモチーフとなった句は少なくない。

桜蘂ふりふる檻の内外かな
睡らむと身を空蝉に沈めけり
なだめあひさすりあひしてはや蛇腹
おなもみを付けて生き抜く途上にあり
ゆつくりと声もどりくる湯ざめかな
囀や帽子の箱が開いてゐる
美しき顎を得たるいなびかり
たいくつや人の手袋はめてみる
恐竜のはりぼて大阪の落花
寄居虫の這ふ手の平のはづかしき
残花なほ細き手摺の吉野建
あめつちのここが境目ういてこい

《桜蘂ふりふる檻の内外かな》《あめつちのここが境目ういてこい》
は複数の力の働き、押し合う場としての境目そのものを詠み、《なだめあひさすりあひしてはや蛇腹》《おなもみを付けて生き抜く途上にあり》《美しき顎を得たるいなびかり》《たいくつや人の手袋はめてみる》《寄居虫の這ふ手の平のはづかしき》は、自他の境目にして変容の起きる現場としての皮膚が詠まれている。「おなもみ」や「いなびかり」「人の手袋」など、表面に何か過剰なものが付着すると賦活され、「生き抜く」力が湧いてくることになるのだ。こうした思いもかけぬものの付着は嵯峨根鈴子の句にあってはユーモアであり、同時に倫理なのである。

《睡らむと身を空蝉に沈めけり》は皮膜・表面を現場とした他者性へのはみだしの様相を正面から描いている。「空蝉」に沈む「身」は「この世はみだす踵」と同じアクションを取っているわけだが、こちらの方が「地芝居」の枠組が提示されていない分、より直接的に読者に浸潤してくるようだ。

《残花なほ細き手摺の吉野建》の「吉野建」は、斜面に建てられたために敷地の後方へ行くにつれて建物の床高が高くなる、つまり裏から来れば一階となる部分が正面から入ると二階になるといった建物を指すらしく、これはそのまま境目のモチーフに当て嵌まる。その境目に「残花」が関わる。この「吉野建」は生と死の境にその身を細らせているのだ。《恐竜のはりぼて大阪の落花》は「はりぼて」が表面性のモチーフ、既に死滅してしまった生物の空疎な外観と「落花」との取り合わせで、これも「吉野建」の句と似た構成。

ついでに触れれば「吉野」「大阪」に限らず地名や人名が読み込まれた句も多い。

水音の甲斐の蛙の目借時
仙人掌や美空ひばりのナット・キング・コール
月島のひと雨来さう川開
東京の蟻を見に行く夏休
陶枕やぽつとり暮るる佃島
十五夜に遅れて来たる李白かな
東京へ駆け出すふぐり落としかな
蜷の渦ちひさし余呉の雨厚し
花冷の吉野灯せばたまごいろ
枝雀聴かな実梅に色のはしるころ
ビー玉は青田曇りの播磨灘

これらの句の「佃島」や「美空ひばり」といった地名・人名も「芝居」や「舞台」と同じく、それぞれ固有の由来や情緒性を帯びつつ限定された枠組、境目として機能しているのではないか(ちなみに「ふぐり落とし」は大厄の男が厄落としのために人知れず褌を落としてくるという行事らしい)。

皮膜、枠組、境目の要素からは当然、中身がからになった(またはなりゆく)空ろなものというモチーフが派生する。

この星を水の出てゆく朴の花
引力を忘れかけたる蝉の穴
螢や父の肋のふぶくなり
誰も居らぬ雛の間何度でも覗く
紐は輪にいつもなりたし小鳥引く
雁帰る箱階段を空
(から)にして
羅や十指ひらけば風になり
たましひのぶら下がりゐる水中り
白襖奥の奥へととりけもの
ラムネ飲む空のこくんと鳴りしとき
(くふ)と鳴る海酸漿のつつがなし
雑煮食ぶだけの大人となりにけり
子等は去り沼は木枯聞くかたち

「水の出てゆく」星、輪になれぬ「紐」、「雑煮食ぶだけの大人」等、空ろなものののあり方は様々だが、それを満たす不定形の何物かもまたあり、それを正面から捉えたのが次の一句である。

魂魄に影ありからすうりに花

不定形の「魂魄」を「影」が実質のある何かへと変容させているのと同様、「からすうり」には「花」が付く。花びらの周りに髭を無数にまつわりつかせた白い花。「~からすうりに花」は「~からすうりの花」であってはならない。静的にあらかじめ一まとまりになっているものであってはならないのだ。「おなもみ」の句について見てきたごとく、過剰な何かの付着とその客観視はそのまま方法であり、倫理である。忽然と咲いた「花」の過剰が生を賦活するのだ。

鷹柱じんるい白き火をあやし

これも「~からすうりに花」と並んで句集を代表する句だろう。「鷹柱」は多くの鷹が蚊柱のように群れ集まって上昇気流に乗るさまで、つまり柱と名は付くが実体的に中身の詰まったものではない。ここに空ろなものとそれをめぐる力のせめぎあいのモチーフが再び現れ、そして「からすうり」の「花」のイメージを介するまでもなく、魂魄の揺らめき出づるさまを暗示していると取れる「白き火」の力動を暴発させないよう、客観とユーモアをもって「じんるい」は「あやし」続ける。句集全体を貫く主なモチーフがこの一句に集約されているのである。

亀鳴いていしずゑ円き国分尼寺
ゆつくりと滝落ちゆけり山桜
水槽に海月混みあふ別れかな
はひはひの赤子を放つ天の川
戯れ合うて不図食はれけり月鈴子
それからは飛ぶ夢を見ず袋角
縄文のにほひ嗅ぎ合ふいなつるび
藁塚
(にお)なくて直会の燈のかうかうと
なかぞらに毬麩浮きくる鳥の恋
ひとひらは欄間に及び山桜
鵜舟まで歩いてゐたる鵜でありぬ
就中
(なかんづく)鬼に綿棒阿波踊
冬の夜のハクショクレグホン灯りたる
襖絵に老人を飼ふ朧かな
にはとりが跣足で上がる端居かな
天の川冥きところは目をつむり



2010年4月19日月曜日

第87号

第87号

2010年4月18日発行(4月19日更新)


「セレクション俳人」を読む 7 『高野ムツオ集』

つまり、君は君以外の存在になれないことに不満だった。

          ・・・藤田哲史   →読む

俳句九十九折(79)

七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅡ

          ・・・冨田拓也   →読む

閑中俳句日記(30)

男波弘志句集『阿字』

          ・・・関 悦史   →読む


遷子を読む

〔55〕障子貼るかたへ瀕死の癌患者

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

俳誌雑読 其の十三

ブンガクの犬たち、あるいはTwitter風に

          ・・・高山れおな   →読む

おしらせ(第5回Twitter読書会「谷雄介+飯田哲弘」) →読む

おしらせ(ポスターデザイン展「南風忌/攝津幸彦」)  →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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2010年4月18日日曜日

俳誌雑読 其の十三

俳誌雑読 其の十三
ブンガクの犬たち、あるいはTwitter風に

                       ・・・高山れおな

金曜日、ふと思い立ってTwitterを開始(すぐ飽きるでしょうが)。ビギナーとして、Twitter向けの文章の練習を兼ねて書きます。つまり一文節を百四十字以内(引用含まず)で、つぶやき風に記して参ります。

「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」
R_Takayama 
千葉県佐倉市の川村記念美術館へ。ひと月程前、佐倉市立美術館へ行こうとして、路線を間違えて大変なタイムロスをしてしまったので、こんどは用心しいしいの道行き。千葉から先の下り路線はほんに難解じゃ。

R_Takayama 川村記念美術館では「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」展が開催されている。この土曜日には、高橋の朗読会が行なわれるというので出掛けたのである。展覧会は、同美術館所蔵のコーネル作品十六点を、高橋の新作詩と共に展示する趣向。

R_Takayama 展示はさほど大きくもない一室だけ(コーネル作品は、小さな箱型オブジェとコラージュだからみんな小さいのだ)だが、部屋そのものをいわばコーネルの箱に見立てて作り込んである。

R_Takayama 高橋には『この世あるいは箱の人』(一九九八年 思潮社)という詩集があり、同じタイトルの詩も収録されている。この「箱の人」がつまりコーネル。高橋のコーネルへの敬愛を知っていた美術館サイドが、コラボレーションの企画を立てたのだろう。

R_Takayama 展示室入り口の壁にはくだんの「この世あるいは箱の人」が掲出されている。七連八十五行の詩である。詩集も持っているが、改めてじっくり読むうちに目頭が熱くなってくる。高橋のたいていの作品よりも、言葉の速度が速く、奔流とでも言いたいようなリズムの強い流れがある。

R_Takayama 展示室内は非常に暗い。壁は星形で装飾してある。闇に浮かぶ展示物も観客も、星の海の漂流物になるという仕掛けだろう。コーネル作品のそれぞれに、高橋が書き下ろした四、五行程の短詩が添えられている。ひとつだけ紹介しよう。対象となるコーネル作品は…

R_Takayama 《Untitled(Hotel Etoile)》で、一九五六年頃に制作された。箱の内部は白壁風に塗られ、左右にカーテンレールが渡り、左端に白い円柱が立つ。壁の上方には、擬人化された笑う太陽のレリーフ。ほとんど旅に出ることのできなかった作家の夢の旅の「ホテル・エトワール」だ。

閉じこめられた太陽は
小さく 小さくなる
テントウムシほど 小さく
それでも 太陽である証拠に
笑っている それとも
泣いているのか

R_Takayama 朗読会には少し遅刻してしまい、おそらく最初に朗読されたのであろう「この世あるいは箱の人」は聞き逃してしまった。

R_Takayama 新作短詩、それから図録巻末に収められたエッセイ風のあとがき(コーネルと稲垣足穂を比較している)の朗読があり、最後に、高橋の最新詩集『永遠まで』(二〇〇九年 思潮社)から「小夜曲 サヨコのために」が読み上げられた。

R_Takayama 「この世あるいは箱の人」を聞けたら話は違ったであろうが、実際に朗読を耳にした範囲ではこの「小夜曲 サヨコのために」がいちばん良かった。サヨコとは山口小夜子のことで、コーネルとは表面的には関係がないが、両者はいわば高橋の思想によって結びつけられている。

R_Takayama コーネル作品のための書き下ろし詩は、上に一編を引いたのでもわかる通り、オブジェの印象を機知で受け止め、切り返すもの。機知による解放こそが眼目になるが、その短さは、どちらかといえば朗読向きではないだろう。

R_Takayama これに対して「小夜曲 サヨコのために」は十二連の長詩であり、物語的な展開をリフレインで盛り上げているから、朗読の効果ははるかに大きかった。

R_Takayama 展覧会は七月十九日まで。なお、図録がこれまた凝っており、ほとんど図入り詩集の雰囲気である。アンカットのフランス装で、活版印刷を使っているとのこと。


「新潮」五月号
R_Takayama 
さて、朗読といえば「新潮」五月号。「特別付録 CD詩集 町田康『そこ、溝あんで』」は、比較的短めの詩二十一編からなるCD付き小詩集で、これはもう必読であり必聴であろう。


R_Takayama 無駄に五七五で言えば――町田康、顔もいいけど声もいい。一編だけ、「愛しのマリイが」という詩を引く。朗読ではタイトルがそのまま本文に繋がってゆくように読まれている。

愛しのマリイが

私のために
単独で飛ぶ

死物狂いで
自ら上げた火に燃えて
死んだ光は
まるで上限みたいです

私のために
あれはマリイです
なにとも高くなってください

深い暗い闇の義に
席があってマリイ
あなたはこちらにない

凍る広がる義を超過する
ただすべての高空のなかの
マリイにあることは
一心不乱です

R_Takayama 町田康は、地上に現存するただひとり本物の俳人というか俳諧師ではないかと常々。俳句をたぶん一句も作ったことのない俳諧師ですが。

R_Takayama 町田康ひとりが、詩でモラルのために闘っている、のではないか。そんな妄想を抱かせられてしまう程の力強さがある。大才は、今も昔もブンガクテキであることを恐れたりはしないのだなあ、といつもながら感銘。問題はそっから先ですよね。

R_Takayama ちなみに、「愛しのマリイが」の朗読の背後では、引き戸が開けられる音がして、カラスの鳴き声が聞こえてくる。マリイがカラスってんではもちろんないのでしょうが。変なおもちゃがきゅうきゅう情けない音を出す朗読もあったり、低予算な効果音が効果的。


「夢幻航海」第七十二号
R_Takayama 
編集兼発行人・岩片仁次様より贈呈御礼。

R_Takayama 連載第四十四回となる「高柳重信散文集成」は、「昭和三十九年(一九六四年)・四十一歳 そのニ」。高柳の旧稿十本が集められており、長谷川かな女句集『川の灯』、内藤吐天句集『後生楽』の書評や「盗作の周辺」と題された時評が面白い。

R_Takayama 『後生楽』の書評は、滅多に人を褒めない高柳としては最大級に褒めている印象。どこか不貞腐れたエレガンスみたいなものを感じさせる句風である。

餠をくふ健啖にしてまことに腐儒
炎天の焚火のけむり目にしみる
子を歩かせ新巻鮭を抱いてゆく
墓の頭が揃はねば蝉哭き乱れ
壺の中に鬼居て薔薇を開かしむ

R_Takayama しかし今号の白眉は、なんと言っても「俳句研究」同年三月号に載った時評「盗作の周辺」であろう。〈第二回、俳句研究新人賞の入賞者三名のうち、福田水雲の「無題」二十句に、相当数の、いわゆる盗作が発見されたという事件〉について論評したものだ。

R_Takayama 高柳らしく厳しいことを言っている。と、言っても福田某に対して厳しいわけでは実はない。俳句に対して厳しいのですね、やはり。しかし、引用はやめておく。この逆説に満ちた文章をうかつに引けば、一発で誤解される可能性高し。

R_Takayama というわけで、なんか思わせぶりで申し訳ないけど、興味がある方は、岩片さんに「夢幻航海」を送ってもらうか、百人町で「俳句研究」のバックナンバーを見るかしてね。

R_Takayama 今号では他に、今泉康弘の「鎮魂曲(レクイエム)『焚書』」が好読み物。エッセイというか、ほとんど、“随想”と呼びたいような格がある。そういえば、「新潮」に隔月(だったかな?)掲載されていた蓮實重彦の、その名も「随想」という連載が先日終わったのが超残念。

R_Takayama 今泉は、うらわ美術館で見た、遠藤利克の《敷物――焼かれた言葉――》というインスタレーションからはじめて、ナチスの焚書やらアレクサンドリア図書館の炎上やら、古今東西の書物受難史をたどる。

R_Takayama 〈ぼくにとって本の焼かれることは黙示録のごとき心地である。〉という今泉の対書物態度はまさに純愛。場所ふさぎの癖に、家蔵のものに限ってさえその相当部分は一生読まずに終わることを考えると、わたくしはしばしば本に憎しみを覚えますが。それはともかく…

R_Takayama 今泉のことだから、話はやっぱり新興俳句の方へ。森銑三や山口誓子の蔵書受難に際しての言葉も胸打たれるが、三橋敏雄の〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉とレイ・ブラッドベリの『摂氏451度』を結びつけるあたりの叙述はすばらしい。

燃え上がる本、というイメージ。それは人を引きつける。ゆえに、古来、焚書は一種の儀式として行われたのでもあろう。それをイエスの磔刑と重ねることもできよう。

R_Takayama なお、今泉さんは、今年度の俳句界評論賞に決まったそうです。おめでとうございます。


「LOTUS」第16号
R_Takayama 
編集部より贈呈御礼。

R_Takayama 「俳句思想のゆくえⅠ」を特集しているが、それより何より前号から連載がはじまった志賀康の「山羊の虹―切れ/俳句行為の固有性を求めて―」がすごい。全四回の予定で、「切れ」をめぐっての必読文献になりそうな労作。理系頭脳で、問題を徹底整理しようとしている。

私は近年の切れの論議を十分に広く読んでいるわけではないが、どうも議論が不徹底なように感じている。その理由のひとつには、「切れ」と「切字」がはっきりと区別されずに論じられることが多いということが挙げられよう。もうひとつは、切れの歴史が軽視されていることである。変貌を受けた後の近年の切れ観を、あたかも不易のもののように考えて、芭蕉の発句にあてはめたりするという例も見受けられるのである。

R_Takayama 上記は連載第一回における緒言の一節で、こういう構えなのだからして期待しないわけにはゆかない。実際、感心しながら読んでいるのだが、とはいえ危うく感じられる点もある。おなじく緒言より。

俳句の切れとは、多かれ少なかれ、以上の「切るはたらき」、「言葉と言葉の関係を創成するはたらき」、「論理的整合性をやぶるはたらき」の複合的なものであって、さまざまな切れが、これらのはたらきのどれかを重く志向しつつ、用いられてきたと言うことができるであろう。

R_Takayama こうなってしまうと、俳句における技法の全てを「切れ」の名のもとに回収してしまうことになってしまう恐れはないのか。汎切れ主義?

R_Takayama 「切れ」について語ることで安心したがる現代俳人のビョーキについては、当ブログで磐井師匠とわたくしめが以前、批判を加えた。志賀の論が、巷間の“思いつき切れ論”、“我田引水切れ論”の類とは次元を異にしていることは承知の上で、懸念を表明しておく次第。

R_Takayama もちろん連載はまだ二回目。半分まで来たにすぎない。本格的に感想を記すには早すぎるのであろう。

R_Takayama だからここでは、ほんのさわりをご紹介するにとどめるとして、連載二回目に、〈切れのはたらきの主なものが、子規以降どのように推移してきたか〉を示す折れ線グラフが掲げられているのが目を引く。

R_Takayama 子規以降の俳人五十余人、一千余句からなる私家版アンソロジーを作成した上で、それを切れの視点から統計的に分類して得られたグラフのようである。縦軸は切れのタイプの比率を、横軸は年代の推移を表している。このあたり、まさに理系脳の面目躍如。

R_Takayama このグラフに示された「切れのはたらきの主なもの」とは、「文相当の表現性」、「意義の方向づけ」、「暗喩」の三つ。「文相当の表現性」は外山滋比古の、「意義の方向づけ」については川本皓嗣の切れ論を踏まえた概念であり、これについては連載一回目に詳しい説明があった。

R_Takayama 「文相当の表現性」、「意義の方向づけ」は蕉風以来のもの、「暗喩」の句は昭和初期に突然あらわれると志賀は言う。興味深いのは昭和三十年代後半に、この三つの切れがいずれも激減する、切れにおけるベタ凪ぎの時代があったという点。

R_Takayama その時期を過ぎると「意義の方向づけ」の切れはある程度復活するが、全体として切れは低迷しているというのが志賀の見立てである。我々の体感からしても違和感のない結論ではあろう。

R_Takayama 統計的に分析するためには、一千余句のアンソロジーでは母集団の規模がいささか小さいのではないか、またアンソロジーの選句の客観性は、といった問題がすぐに思い浮かぶが、非常におもしろい試みだと思う。

R_Takayama 単なる統計的な処理だけでなく、個別の俳句作品の読解についても山本健吉その他の論を援用しながら、鋭いひらめきを見せる場合が少なくない。連載第三回、第四回での論旨のさらなる深まりを刮目して待ちたい。


「俳壇」四月号
R_Takayama 
「俳壇時評」のコーナーで、高野ムツオが「新撰21竟宴」のシンポジウムについて書いている。高野は当日、来場していないが、先ごろ邑書林が同シンポジウムの内容をブックレットにまとめた『今、俳人は何を書こうとしているのか』を読んでの感想である。

R_Takayama 高野は、『新撰21』そのものについても同誌二月号の時評で紹介してくれていたが、今回も至らぬ発言だらけの若手のシンポジウムに向き合う姿勢の真摯なことに感じ入る。

私のように、むしろ、季語以外の世界にも主題を見つけてしまう俳人にとっては、何をテーマとすべきかは今も大きな関心事である。高山れおなが引用していた「現在は主題のない時代、表現すること自体が目的となった時代」という小川軽舟の考え方は、昭和三十年代(ママ。ここは昭和三十年世代とあるべきところか……引用者)に限らず戦後世代共通のもの。私の頭の隅にもずっと存在していた。いや、かの戦争俳人三橋敏雄でさえ確か「俳句は少年と老人の文学」と述べていた。つまり、青春と死を除外すれば、俳句から主題は消えてしまうということだ。果たして、そうだろうか。私は三橋の発言は、氏一流の逆説だとも思っている。つまり、俳句を「少年と老人の文学」と見据えたところから、反転されるように見えてくる、その時代、年齢にふさわしい俳句の主題があるのだ。三橋はそう言いたかったに違いない。その主題とは何か。それはたぶん名付けられるものではない。名付ければ、その瞬間、主題ではなくなってしまう何かだ。

R_Takayama まっとうなお話が嬉しくて、ついつい長く引いてしまった。全て賛成であります。なお、逆説の怖いところは、それを逆説ならぬ正説として受け止めてしまうようなリテラシーのお方が必ずいることでありましょう。

R_Takayama それから、シンポジウムで、相子智恵と関悦史によって話題にされた斉藤斎藤の短歌についても見過ごし難い記述があった。〈雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁〉について高野はこう言うのだ。

季語の世界とは対立する現代社会のリアルを詠んだ作品として紹介されていた。しかし、ある意味で季語中毒になっている私には、これは、明らかに季語「海苔」を鮮やかに駆使した短歌に読めた。これからの季語「海苔」は、このような形でしか生き延びられない。その見本のような短歌と思った。

R_Takayama うーむ、「のり弁」は季語後の世界ではなくて、季語のなれの果てであったか。うっかりしておりました。相子も関も(私もだが)、まだまだおでんの汁が充分沁み足りないらしい。

R_Takayama 「俳壇」四月号では「本阿弥ブックシェルフ」なるレビューのコーナーで、やはり『新撰21』について酒井佐忠が見開きで書いている。特に言うことはないですが。

R_Takayama いかがでしたでしょうか、「ブンガクの犬たち、あるいはTwitter風に」は。当方の感想としては、手間ばかりかかって意味ねぇー、のひとことに尽きます。

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■関連書籍を以下より購入できます。




あとがき(第87号)

あとがき(第87号)


■高山れおな

関悦史さんが紹介している男波弘志さんの作品に瞠目しました。冨田拓也さんのライトヴァースについての話、当方にも意見はありますがいずれ場を改めて。遷子の句、葬式のための障子の貼り替えではないかという読みに驚きましたが、おそらくその通りなのでしょう。拙稿八割方は出来ているので日曜中のアップを目指します。


■中村安伸

藤田哲史さんの高野ムツオ論。よく使われる「青春詠」という語について、深く考えてみたいと思わせられる内容でした。


おしらせ(第87号)2

ポスターデザイン展「南風忌/攝津幸彦」のお知らせ

 来たる5月30日(日)より2週間、富山市内において、攝津幸彦氏の俳句作品の代表作30点をポスターとして試作する展覧会を下記のように開催いたします。

 575のポスターデザイン展

 「南風忌/攝津幸彦」

 会期/2010年5月30日(日)~6月13日(日)11:00~19:00

   ※なお、搬出日6月13日は17:00まで。

 会場/元麻布ギャラリーTOYAMA(ホテル東横イン・ジュニア2F)

   ※JR富山駅南口より徒歩2~3分です。

展示作品/B全サイズのポスター30点

参加デザイナー/石崎悠子、伊藤久恵、尾山鮎美、門嶋隆裕、鎌智晴、彼谷雅光、北村隆、滝川正弘、中山真由美、橋本利久、はせがわさとし、宮田裕美詠、山下結季、山本あゆみ、吉岡純子(敬称略・50音順)

プロデューサー/高橋修宏

なお、攝津作品については、次の30句を取り上げる予定です。

千年やそよぐ美貌の夏帽子

南浦和のダリアを仮りのあはれとす

送る万歳死ぬる万歳夜も円舞曲

幾千代も散るは美し明日は三越

南国に死して御恩のみなみかぜ

物干に美しき知事垂れてをり

菊月夜君はライトを守りけり

淋しさを許せばからだに当たる鯛

唇として使ふ真昼のあやめかな

三島忌の帽子の中のうどんかな

太古よりあゝ背後よりレエン・コオト

階段を濡らして昼が来てゐたり

生き急ぐ馬のどのゆめも馬

日輪のわけても行進曲淋しけれ

天心に鶴折るときの響きあり

国家よりワタクシ大事さくらんぼ

路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな

黒船の黒の淋しさ靴にあり

永遠にさそはれてゐる外厠

ひんやりとしゆりんと朱夏の宇宙駅

荒星や毛布にくるむサキソフォン

十月十日の十字懸垂聖ならずや

千年とひと春かけて鳥堕ちぬ

肛門をゆるめて淋し夏燕

山桜見事な脇のさびしさよ

蝉時雨もはや戦前かも知れぬ

チンドン屋しづかに狂ふ大夏野

桜餅ひとつの次のふたつかな

糸電話古人の秋につながりぬ

晩毎の顔の広さや豆御飯

これまで「575のポスターデザイン展」と名づけた企画展は、過去17回行ってきました。当初は高橋自作の俳句作品に始まり、一旦間を置いて後に、鈴木六林男、西東三鬼、高橋睦郎、宇田喜代子、久保純夫、和田悟朗、宗田安正、柿本多映、津沢マサ子と、プロデューサーである高橋の独断で作品協力をお願いし試みてきたものです。そこで制作されたポスター作品のいくつかは、すでに国内外の国際ポスターコンクール(ブルノ、ワルシャワ、ラハティ、香港、富山)や各種のデザイン年鑑(東京ADC年鑑、TDC年鑑、JAGDA年鑑)などで高い評価をいただき、また地方発信のユニークなグラフィックデザイン活動として注目されてきました。

 今回、参加する15人のデザイナーは、まだ経験2~3年の20代から、すでに数多くの実績をもつ40代まで多彩な顔ぶれです。ときに難解とも評される攝津氏の俳句世界を、いかに視覚的に開いてみせるのか、どのようにポスターとして定着させるのか、どうぞ、ご期待ください。

 なお、今回の企画展にあたって、豈同人の筑紫磐井、堀本吟の両氏には有益なご助言をいただきました。記して感謝いたします。

 期間中、お時間がございましたら、是非お立寄りください。

連絡先/富山市磯部町3-7-11パレットビル1F(有)クロス 高橋

 E-mail.cross_tn@tam.ne.jp