2009年9月27日日曜日

第58号

第58号

2009年9月27日発行

俳句九十九折(50)

七曜俳句クロニクル Ⅲ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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あとがき(第58号)

あとがき(第58号)


■高山れおな

風邪です。ぼろぼろです。再見。


■中村安伸

みなさま連休はいかがお過ごしでしたか。私は普段と変わらずですが、一度だけライブに行ってまいりました。冨田さんの「七曜俳句クロニクル」が面白いですね。真似をするわけにはいかないので、何か続けて書いていけるものを模索したいと思っています。


俳句九十九折(50) 七曜俳句クロニクル Ⅲ・・・冨田拓也

俳句九十九折(50)
七曜俳句クロニクル Ⅲ

                       ・・・冨田拓也


9月20日 日曜日

現在からおおよそ2ヶ月後である11月25日に、出版社である「邑書林」から20代30代の若手の俳句作者21人によるアンソロジー『新撰21』(筑紫磐井、対馬康子、高山れおな 編)が発売されることが決定したそうである。

現在において、俳句という文芸は、果たして世の人々へ自信を持って示せるだけの優れた達成を成し得ているのかどうか。そして、そのような成果を保証できるような作品が現在存在するのならば、その作品は百年以上にも及ぶ俳句の歴史の中において一体どの程度の水準を示しているものであるのか。

俳句の停滞が囁かれる現在、そのような観点からも、是非とも、今回のこの『新撰21』の21人の作品に眼を通し、ひとりの読み手として、その成否について確認していただきたいところである。

これからの俳句の未来というものが明るいものであるのか、暗いものであるのか、自分の知るところではないが、今後の俳句の行方を占う1冊であるということは、やはり間違いのないところであろう。

そして、この1冊が今後の俳句の世界において、果たして、どのような意義を持つ書となることになるかについては、収録されている21人の作者たちが、これからそれぞれにどのような作品世界を切り拓き、その成果を築きあげてゆくことができるか、という結果によって今後明らかになってゆくことであろう。

というわけで、11月25日発売の『新撰21』について、乞う、御期待。


9月21日 月曜日

『新撰21』には、自分も自選100句を収録させて頂いたのであるが、このところその自作の内容をいちいち省みては、あの部分がよくなかった、あの句は除外すべきであった、などと細かい箇所のひとつひとつが心にかかり、後悔の念を新たにすることがほぼ日課と化している。

このように果てしなく自作への内省を繰り返していると、先人の様々な作品の成果というものが、いくつも心の中に去来してきては、消えてゆく。

この間、ふと思い浮かんできたのは、佐藤鬼房の作品であった。

馬の目に雪ふり湾をひたぬらす

夜明路地落書のごと生きのこり

陰(ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河

艮(うしとら)に怺へこらへて雷雨の木

長距離寝台列車(ブルートレイン)のスパークを浴び白長須鯨(しろながす)

羽化のわれならずや虹を消しゐるは

死後のわれ月光の瀧束ねゐる


『佐藤鬼房句集』財部鳥子編(芸林書房 2002年)から引いた。やはり圧倒的な表現力、というべきであろうか。俳句とはここまでの強度を持つ表現が可能である、ということに、いまさらながら改めて瞠目する思いがする。現在の俳句作品は、果たしてこういった作品とどこまで拮抗し得ているといえるであろうか。

いまいちど、この佐藤鬼房や、この鬼房と同じ世代の代表的な作者である、金子兜太、三橋敏雄、鈴木六林男、飯田龍太、赤尾兜子あたりの作品をやはり徹底的に読み直す必要があるのではないか、という思いが、この頃、日増しに強くなってくるところがある。


9月22日 火曜日

『俳句界』2008年3月号(文学の森)の竹中宏「みじかい舞踊」52句を再読。

竹中宏さんは中村草田男の門下生で、昭和63年に「翔臨」を創刊、主宰。

切れ込んで空(そら)ゆくごとく二月尽

鳥雲に残身すこしプリペイド

涅槃変胴体着陸ばらける螺子(ヴィス)

虚子の忌や大操車場用ゐられず

玉虫に森の出口の信号機


雑誌に掲載されている作品では、漢字の部分は全て旧字であるが、ここでは表示の都合上現在の漢字によって表記させていただいた。そのため若干作品の印象が異なる部分があると思うが、御海容願いたい。

これらの作品を注意深く読み込んでみれば理解できると思うが、「二月尽」であれ、「プリペイド」であれ、「大操車場」であれ、「信号機」であれ、これらの言葉は、いずれもその作品の内に意味なく恣意的に配置されることになった言葉ではなく、強固な作品意識により入念に選択され、その作品内部へと組み込まれることとなった言葉である。

これらの作品にはその強度から来るある種の超脱性や重厚さといったものが感じられるところがあるが、たとえば、おなじく超脱的な作品世界を自らのものとする永田耕衣や安井浩司といった作者の作品のように、どちらかというと「天上的」もしくは「彼岸的」な空間において作品世界が構成されているような雰囲気が濃厚であるのに比べると、竹中宏の作品の場合は、その展開されている世界はどこまでも「地上的」であり、「現実世界」そのものに近接している傾向があるように見受けられる。

このようにあくまでも現実の世界の側に踏みとどまって、強靭な内実を秘めた作品を生成しようとする姿勢を有すところに、竹中宏という作者における矜持と、そして、その作風における特徴といったものが窺えよう。

ここに取り上げた作品は2008年発表のものであるから、これらの作品の存在というものは、現在においても、多くの一般的な作品傾向とは位相を異にした地点であれ、強靭で重厚な作品を成すことはけっして不可能ではないという事実を、そのまま証している成果のひとつであるように思われる。

そして、また、このような優れた作者の存在というものも、まともに正面から取り上げられる機会こそ少ないが、現在においても歴然として存在しているという事実については、やはり単純に看過してしまってはならないであろう。


9月23日 水曜日

野澤節子と鈴木しづ子の存在が、ふと同時に思い浮かんだ。

この2人の生年は、野澤節子が1920年生まれ 鈴木しづ子が1919年生れであり、そして、2人の師系を見てみると、ともに臼田亜浪の系統の作者であるということで共通する。野澤節子については、若い時期に長く病床に臥していたという境涯にあったことは周知の事実であろう。

この2人には、当然のことながら相違点もいくつもあるのであろうが、案外、その境涯性と、作品の内に底籠る情念の強さにおいて、ある意味では共通項ともいうべきものも少なくはないのではないかという気がする。

われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず  節子

天地(あめつち)の息合ひて激し雪降らす  〃

せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ  〃


北窓はほむらたちそめ縫ふ衣  しづ子

死の肯定万緑のなか水激つ  〃

コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ  〃


9月24日 木曜日

俺ハ俺ノ声ソノモノニナリタクテ闇夜ノ闇ヘ咆哮スルノダ  小笠原和幸

『セレクション歌人11 小笠原和幸』(邑書林 2003年)を読む。

この1冊は、まるで生の深淵をそのまま覗き込むようにして詠まれた短歌作品のみで構成されている、といってもいいような内実を持つ選歌集である。東北という厳しい風土性と相俟った私小説的な内容が醸し出す迫力とでも言うのだろうか。現実及び自己への省察のおそろしいまでの冷厳さを伴った眼差しの存在といったものをその背後にまざまざと感じさせる、まるで空無そのものをそのまま内包したかのような歌の数々が屹立している様はまさに圧巻である。

この選歌集は、掲出した作品の内容そのものであるような剥き出しの魂の咆哮といったものを直接感得することができる、生や死などといったあらゆる要素を包含する現実世界そのものに対する思索と直視への意志に貫かれた類い稀なる孤愁の1冊といえるであろう。

始まりも終りもないやうな一生にまた朝が来て電車は走る

なげかひもこの世のしくみのうちにあり秋風に木はさわさわと鳴る

我ハ石/祝福モナク世に生(ア)レテ愛惜モナク世ヲ離(サカ)ル石



9月25日 金曜日

書店で、俳句の総合誌である『俳壇』『俳句』『俳句界』『俳句あるふぁ』『俳句四季』『WEB俳句通信』『NHK俳句』などを立ち読み。つくづく俳句の総合誌の数の多さというものを実感する。他に『詩歌句』という現代詩、短歌、俳句の3つのジャンルを扱う総合誌の存在も含めると8冊。さらに、現在、書店には並んでいない『俳句研究』を含めると9冊ということになろうか。

俳句の棚を覗いて見ると、正木ゆう子さんの文集が2冊も刊行されていた。『十七音の履歴書―俳句をめぐるヒト、コト、モノ。』(春秋社)と『ゆうきりんりん 私の俳句作法』(春秋社)。この間の6月に第4句集である『夏至』(春秋社)が出版されたばかりであるから、正木さんはここ最近で合計3点もの書籍を出版したということになる。やはり人気の作者だなと思う。

鈴木しづ子の2冊には、今回もどうも手が出ない。やはりさほど興味がないゆえか。

新刊の、小池昌代編著『通勤電車で読む詩集』(NHK出版生活人新書)を購入。内容としては、まど・みちお、村上昭夫、ディラン・トマス、パウル・ツェランなど41篇の詩で構成されたアンソロジーということになる。詩作品のみで、俳句や短歌の作品が収録されていないのが、すこし残念。


9月26日 土曜日

今回も、先週と同じく、岡本信男の句集からの作品で終幕としたい。

ちなみに岡本信男という作者は、1926年生れ、「天狼」「環礁」「地表」「頂点」「花曜」などに所属していたそうで、句集に第1句集『挙白拾章』(書肆季節社 1977年)、第2句集『銀絞雑記』(書肆季節社 1985年)、そして遺句集として『わが素描』(書肆季節社 1991年)があるらしいが、自分はこの『わが素描』については未見である。

第1句集と第2句集を見る限りでは、全体的にはその作品の作風はまちまちで、完成度についてもさほど高いものばかりであるとも思われないところがあるが、それでもいくつかの句については、他の作者たちの作品からはあまり見ることができない独特の面白味を湛えた作品を見出すことができる。

今回は『銀絞雑記』より、いくつか。

むなさわぎそば湯のとほる喉仏

父子して螺子探しゐる春の暮

雨の中乾電池購ふ他人の死

しぐるると決つた刻に地上に現れ

とぼとぼととぼとぼ大学冬の夜


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■関連記事

俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也   →読む
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■関連書籍を以下より購入できます。



2009年9月26日土曜日

遷子を読む(27)

遷子を読む(27)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


畦塗りにどこかの町の昼花火
     『山国』所収

原:前回と同じく、昭和二十九年「秋郊」の章に載っています。この句の前に、

畦塗りに天くれなゐを流したる

があります。作品としてはこの方が強い印象を与えるかも知れません。「くれなゐ」は夕焼の光だと思いますが、労働の血と汗(少し言いすぎでしょうか)をちらりと連想させると同時に、その労働を荘厳する光のようでもあります。畦塗りという労働が、象徴的に感じられる句です。

一方、掲出句には何かしら放心を誘うようなところがあります。ポーン、ポーンと間遠に聞こえてくる花火音のせいでしょうか。おそらく畦を塗っている農婦はその音に顔を上げることもなく、黙々と作業を続けているのだと思います。この句、どうということなく読み過ごしていた句でした。それがひとたび眼にとめてからは、しだいに捨てがたくなりました。この良さをどういえばいいか、難しいのですけれど、例えば、堂々と格調高い名句が有無を言わさぬようなところがあるのに対し、こういう句は鑑賞者によっていろいろな表情を見せてくれるような気がします。

中西:鑑賞者によっていろいろな表情をみせてくれるという、原さんのご指摘のとおりだと思います。音の連想からしますと、放心を感じるというのも納得できます。「畦塗りの天くれなゐを流したる」が、農夫に迫って描いているとしたら、確かにこちらは、隙だらけの表現で、遷子は畦を塗っている人を眺めながら、昼花火を聞いているようです。第三者的な立場で農夫にも昼花火にも関わっています。

しかし、この昼花火がどんなものなのか、町の何かの行事で鳴らしているのか、何かを伝えるためのものか、遊びで鳴らしているのかで解釈が変わってくるように思います。「どこかの町の」と言っていますから、昼花火を鳴らすのは山間部や農村部ではない、町を形成している所なのです。もしかしたら、遷子には何の目的の花火なのか、わかって作っているのかもしれないと思いました。残念ながら、今では何を表わしているのか見当もつきませんが。

深谷:遷子にとって、「畦塗」は関心が高かった季語と思われ、最初に農民を対象にした句もこの季語でした。

畦塗の立ちて久しや何を見る  『山国』

この句を皮切りに、畦塗の句は多く見られますが、個人的には、

女手に畦塗る畦は長きかな

という句に注目していました。掲句と比べてみると、リフレインにより朗誦性は整っていますが、少し理が勝ちすぎているような嫌いも無きにしもあらず、といったところでしょうか。

さて、掲句ですが、かつてはお祭やら運動会などの行事やイベントの折には、その開催を告げるものとして、ポン、ポーンという音の花火は欠かせないものでした。今では娯楽も多様化し地域住民の関心事も様々ですが、かつてそうしたイベントは村中総出で準備に当たりましたし、参加者も(今のように観光イベント化する前は)地域住民自身でした。掲句の場合、句の対象となった農民は、その時も畦塗り作業に当たっているわけですから、こうした地域あげてのお祭や神事ではなく、町(地方都市)のイベントか何かの開催を告げる花火の音だったのでしょう。従って、図式的に言えば「農村vs都会」「労働(農作業)vs消費」の二項対立をあげることもできそうですが、それでは一面的に過ぎるので、もう少し別の角度から鑑賞してみたいと思います。

眼目は、「どこかの」という措辞ではないかと思います。特定の場所を特定していない、或いは特定を拒否するような表現です。すなわち、畦塗り作業にあたる農民たちには無関係のイベントであることを暗示するのと同時に、どこか遠い場所を指すようなニュアンスを出すことによって、まるでメルヘンの世界のような楽しさも髣髴とさせます。

昼花火は目で見て楽しむ夜の花火と異なり音でメッセージを伝えるのがその主な機能なので、農作業を続けながらでも農夫の耳に花火の音は届きます。恐らく、農民はその作業を中断することなく、黙々と続けた筈です。「どこかの」という茫漠たるニュアンスの措辞によって、そうした景が浮かんでくる仕組みになっているのではないでしょうか。

窪田:懐かしいかつての農村の風景を思い浮かべました。

現在は町村合併やらで、村ごと町ごとのお祭がなくなりつつあります。私が小学生の頃は、村ごとと言うより集落ごとにお祭がありました。お祭の日、その集落の子供は学校を早引けさせてもらえました。昼花火の音を聞くと、そわそわして教室の窓の外ばかり見ていたものです。

さて、畦塗りは大変な仕事でした。田植え前に田に張った水が漏れないように、畦を土で塗り固める作業です。まず、田の周りを荒起こしして水を回し、田の土と混ぜます。子供が田に入って、足で捏ねることもありました。それを鍬や素手で畦に引き上げて壁を塗るように仕上げていくのです。冬の間に野鼠が開けた穴などを塞いだりします。田の水を漏らすと大切な水や肥料を流してしまいます。第一、田の水を漏らすような畦にしておくのは近所の人に恥ずかしいことでした。

この句は原さんの言われるように見過ごしてしまいそうですが、立ち止まってこの句の世界に身を置くと、どこか癒されます。もちろん、畦を塗っている農夫にとってはそんな暢気な状態ではありません。厳しい農作業も遷子の目を通せば、農村の長閑な一風景として詠まれるのです。しかし、社会性俳句の趣があるのも確かです。そこが遷子の俳句の魅力の一つかもしれません。

筑紫:遷子には珍しい、「どこか」という口語表現です。馬酔木ではほとんど口語表現は用いません、むしろ表現の工夫は万葉語を用いたり、いかに日常語と違う簡潔な用語を駆使するかという工夫でした。遷子もそうした表現傾向にあったわけです。馬酔木に変化が生まれたのが戦後の人事・心象俳句が好んで詠まれる時代となってからでした。こうしたものを詠もうとするときどうしても口語が混じらざるを得ないこととなったのです。秋桜子自身、

べたべたに田も菜の花も照り乱る  『霜林』

という句を詠んでいます。「べたべたに」という俗っぽい表現が、あの秋桜子に見られるという点で注目された句ではありました。

ただ、私の記憶では、戦後馬酔木の俳句にも口語表現が盛んに入ってくるようになりましたが、自ずとある抑制が働いていたように思います。それは十七文字の中で必要不可欠な一語を口語にするものの、他はいっそう文語を際だたせるような注意をすると言うことです(上の秋桜子の句を見て下さい)。つまり文語表現の中に止むことを得ずして使われた不可欠の一語でなければ成功とは言えないという原則があったように思うのです。遷子以外の馬酔木作家、例えば能村登四郎もある時期盛んに口語を用いていましたが、上のような原則の下での口語使用であったように見えます。その意味で、全体を柔構造にしてしまうホトトギス系の口語使用の仕方(富安風生「退屈なガソリンガール柳の芽」など)と全く違った行き方ではありました。

掲出の句、考えてみると、畦塗りをしていて、四囲を田に囲まれているならどの町かは見当がつくはずです。逆に言うと、「どこか」という表現には、どこで打ち上げられたか関心のない農夫農婦の姿が浮かび上がるようです。「いづこ」でもなくそう言う効果を与える「どこか」という言葉は、単なる口語というだけではなく、言いかえ不能な意味とニュアンスを持つ言葉であるわけです。完璧な文語俳句の中に混じってこの句に違和感を感じないのはそうした理由によるものでしょう。

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■関連記事

はじめに・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔1〕 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔2〕 冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔3〕 銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔4〕 春の町他郷のごとしわが病めば・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔5〕 くろぐろと雪片ひと日空埋む・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔6〕 筒鳥に涙あふれて失語症・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 読む

遷子を読む〔7〕 昼の虫しづかに雲の動きをり/晩霜におびえて星の瞬けり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔8〕 寒うらら税を納めて何残りし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔9〕 戻り来しわが家も黴のにほふなり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔10〕 農婦病むまはり夏蠶が桑はむも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔11〕 汗の往診幾千なさば業果てむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔12〕 雛の眼のいづこを見つつ流さるる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む


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■関連書籍を以下より購入できます。

2009年9月20日日曜日

第57号

第57号

2009年9月20日発行

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(13)

原子公平「折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱」

          ・・・大井恒行   →読む

遷子を読む

〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む


俳句九十九折(49)

七曜俳句クロニクル Ⅱ

          ・・・冨田拓也   →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

執筆者プロフィール    →読む

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あとがき(第57号)

あとがき(第57号)


■高山れおな

冨田拓也さんの「七曜俳句クロニクル」は、風通しのよさと詩歌についての該博な知識のバックボーンが相まって、読むのがとても楽しい。なんだかこちらも真似したくなってきたのですが、さて十三日日曜日、自分は何をしていたのだっけと、そこからしてつまってしまいました。


■中村安伸

連休がはじまりましたね。私には関係ないのですが気分は伝染します。シルバーウィークという通称はゴールデンに次ぐという意味だと理解していましたが、「敬老の日」を含むからという解釈もあるようですね。


2009年9月19日土曜日

遷子を読む(26)

遷子を読む(26)

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


星たちの深夜のうたげ道凍り
     『山国』所収

筑紫:前回の続きになるようですが、遷子には何を読んでも一流の美意識が働き、(社会性俳句のような)生なままの描写にならないところがあるようです。或る意味では、それが表現を生ぬるくしたり、きれいごとだと感じさせる理由となっているところもあると思います。昭和29年のこの句にも、たぶん急患が出た家への、往診の帰りの風景を詠んだものと思いますが、美しい限りです。「雪だるまほしのおしゃべりぺちゃくちゃと」(松本たかし)を思い出しましたが、表現の居住まいの正しさと、「道凍り」の状況が、句から発生させる世界を変えているようです。「道凍り」は作者が住む信濃の環境風土を月並みに述べただけではなく、たったいま診てきた患者の安否さえも暗示しているようです。「深夜のうたげ」にはこうした夜更けに呼び出される医師としての業への思いと、誰一人見知らぬ深夜の星の宴をながめる自分自身への救済のような感じもこめられていると思います。

似た状況で対照的なのが、

自転車に夜の雪冒す誰がため  『山国』

です。よほど『雪嶺』に近い句ですが、佐久に入ったばかりのころの句です。実は私はこの句もなかなか捨てがたく思うのです。一本調子な感じは、掲出句に比べて劣るように思いますが、馬酔木調からの脱皮にあっては必要な作品だろうと思います。境涯俳句の一種ですが、このような句を経て社会性のある句への転換が行われるのでしょう。過渡的な時期の作品に免れがたい欠点もあるのですが、それはそれで特有の抒情性を感じさせてくれます。能村登四郎で言えば、社会性を意識した第2句集『合掌部落』の前に、教師の境涯・哀歓を詠った第1句集『咀嚼音』がありますが、そこにも見られる切ない抒情性と共通するように思います。

風邪の身を夜の往診に引き起こす  『山国』

これも同じ状況でしょうが、これはそれだけで終わってしまっているような気がします。以上はいずれも昭和26年以前の作品です。

中西:「星たちの深夜のうたげ」までと、「道凍り」は全く異質なものが組み合わさった感の面白さがあります。ロマンチックに詠んできて、下五で非常に現実的なものを見せています。空は夢のような美しさですが、足元は凍った歩きにくいものなのです。そこから、作者は歩いているのだろうと想像されます。またこの下五にきて、はじめて厳寒の星空なのだと分かり、気分が引き締まるようです。空を仰ぎながら歩いているのですから、磐井さんのおっしゃるように、往診の帰りかもしれませんし、あるいは町の会合の帰りかもしれません。

以前取り上げられた句で、

寒星の真只中にいま息す 『雪嶺』

という、見渡す限りの寒星を見せている句がありました。冬の星の美しさは遷子にとって、俳句に描くべき美しい題材だったのではないでしょうか。磐井さんが遷子の美意識のことを取り上げておられましたが、星を詠うとき遷子の句は、馥郁とした時空を獲得する傾向があるように思われます。

山国や年逝く星の充満す 『山国』

この句も昭和29年の作で、「星の充満す」にふくらみを感じさせる句です。遷子の句では星は一つということはなく、多くの星が一遍に描かれ、マスとしての星に美を感じているところがあります。具象的に描かれているのではないのですが、雰囲気として、遷子のそのときの気持ちが想像できそうです。

「星たちの深夜のうたげ」は自分自身への労わりの気持ちが書かせたものではないでしょうか。磐井さんは救済と書いておられましたが、或はそうなのかも知れません。ただ、わたしにはこの句から患者との接点は見出せませんでしたが、真っ暗な中、懐中電灯に照らされた凍土を歩く覚束なさに対して、宴と表現された豊かな星空は、遷子の心を晴れやかにさせるに充分な美しさであったのでしょう。

原:往診には自転車を使っていたという遷子ですから、この場合も、凍てつく道に自転車を押しながら、ふと立ち止まって満天の星を見上げたのでしょう。童話風なイメージです。これまでの句の中でも誰方か宮澤賢治を引いていらっしゃいましたが、掲出句などことに賢治を連想します。ただし賢治の童話は土俗的な感触がどこかにあって、それが作品に複雑な味わいをもたらしていますが遷子にはそういうものはありませんね。もっと都会的です。風土や時代、資質的な違いによって決まってくることなのでしょうが、それはそれとして、「道凍り」がこの句の世界を決定しているという磐井さんのご指摘はよく分かります。

夜空に対置された「道」は作者の位置をくっきりと示しています。一句の情景を受け取るとき、ここに作者の姿を思い描かなくとも成り立ちますし、作者にしても「我」の意識を持ち込んだりはしていませんが、何回も読み返していると、最初のうちこそ「星たちの深夜のうたげ」に眼を惹かれますが、そのうち一句の核は「道凍り」にあると感じられてきた作品です。

深谷:メルヘンチックな上五・中七から、急転して下五の眼前の現実へ。このギャップが、この句の眼目でしょうか。冷えの厳しい夜だからこそ、空は冴え渡り、星がキラキラと瞬くのをはっきりと見ることができたのでしょう。その瞬きを「深夜のうたげ」と見立てたのは、まさに美の世界の構築に注力する馬酔木流の句作態度だと思います。その意味で遷子は、紛うことなく馬酔木の本流を歩んだ作家なのでしょう。ところが下五には美の世界から距離を置くように、現実世界の厳しさを示す措辞「道凍り」が置かれています。一枚の美しい西洋画を描くように、美の構図を句に仕立て上げた秋桜子であれば、下五にこんな措辞は用いなかったことでしょう。馬酔木伝統の句作スタンスから、遷子が少しずつ独自性を発揮して行った中途過程を見るような句だと思います。

果たして、遷子は夜空の星をどのような想いで見上げていたのでしょうか。独断ですが、あまり悲観的な精神状態ではなかったように思います。「深夜のうたげ」という見立ては、心の中の健やかさ・向日性なしには、決して生れなかったような気がします。一方で、凍った道を往診しなければならない現実をも受け入れ、自身の立ち位置を見出したような覚悟も感じ取れます。佐久に帰郷して10年弱。地域医療に生きる医師としての生活に加え、句作も少しづつ己が道を見出しつつある、充実した精神状態を想起させます。

窪田:天空の星の楽しげで美しいこと。地上の自分は、凍て付く道をへばりつくように歩いて、生きている。自然と人間の格の違いのようなものを遷子は感じたのではないでしょうか。また、上十二音と下五の対比が社会性俳句のような意味を考えさせます。

ところで、現在も我が家の庭で天の川は見えますが、子供の頃に見たそれとは比べものにならないほど薄くなっています。この句の制作当時の信州の星空は大変美しかったでしょう。遷子の美意識は、こうした宇宙の神秘さと結びつき培われたものだという気がします。ですから、美しいもの(星や雪や遠嶺など)を詠むとき、どこか哲学的な雰囲気が出るのではないかと思いました。掲句の直前に置かれた

一寒星燃えて玻璃戸に炬のごとし

の句は、大げさな表現で写実ではないと思いますが、寒星を魂のある如く詠んでいます。こんな処からも、遷子の美意識の源泉が伺われるのではないでしょうか。

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大井連載(13)

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(13)
原子公平「折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱」

                       ・・・大井恒行

原子公平(1919〈大8〉・9・14~‘04〈平16〉7・18)の平成の自信作5句は、以下。

素敵という敵をおぼろに老眼病む  「俳句研究」平元・5月号
折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱  「俳句」同・6月号
天安からず水無月の水皿や虹に  「俳句未来」同・第14号
酒に老いたる紅顔もあり四葩咲く  「朝日新聞」平元・6月23日
白桃啜りし野心は今に野のこころ  「俳句未来」同・第14号

一句鑑賞者は、谷佳紀。その一文に「原子氏の老練ぶりを遺憾なく発揮した見事な作品だと思う」と讃をほどこしながらも、「確かに見事な作品だが、ここにある美は類型化された美なのである。『折り鶴一羽を殺めて癒す』という美は、『花の鬱』という美を書きとめるために『花の鬱』に吸収されるしかない、それ自身の美を主張してはならない美として書かれている。ところがそのように他の美を吸収して屹立したはずの『花の鬱』という美は、季題の美に安住するのみでそこから一歩も出ようとしない。いうなれば原子氏と季題は、利用し利用される関係を保つことによって作品を成立させたが、この関係には新しい美を生みだそうという、自立した表現が持っているはずの意志がない。馴れ合いの美しさは通俗の美しさでもある。季題の恐ろしさは用心しきれないぐらい、この馴れ合いを生じさせるということにある。しかもこの馴れ合いが巧くいった時に賞賛されもする。このような賞賛から私は無縁でありたい。だからこの作品の前を通り過ぎるのである」と通俗のも美に与しないと述べている。

原子公平は、後続の世代にとって美を追求するタイプの作家とは思われてはいない。金子兜太『今日の俳句』の「戦後の空へ青蔦死木の丈に充つ」によって、その存在と句を認めた筆者にとってもそれは同様であった。兜太は、この句の「へ」の言葉の働きに希望への意思と願いを見ていた。その兜太は「原子公平死す」と題して「炎中の荼毘白骨となり現(あ)れしよ」(『日常』)と悼んだ。公平の訃報は、梅雨明け後のフェーン現象による連日の猛暑を記録していた最中にもたらされたと、「豈」同人の宮崎二健は言っている。二健と原子公平の出合いは、二健が神田の古本屋で句集『浚渫船』を手に取った時に遡る。二健は自らの父と師であることの父性を重ねたのであろうか、公平の「父の死 五句」によって、公平を師として選ばさせることとなった。その5句は、

四方(よも)の蝉鳴き出づる朝父死せり  『浚渫船』
父の息絶えて炎日始まりぬ  
汗の手にひらく弔電みな同じ  同
夏の月父焼く煙まっすぐに  
夏の月骨瓶に父まだ熱し  同

である。公平の父の死は、第三高等学校在学中夏休み、北海道に帰省中のこと、父親46歳の急逝で、公平はまだ20歳だった。

楠本憲吉は「戦後秀句」(『戦後の俳句』)に、公平の「安保通る西日に凶器めく人影」(昭和36年4月。「俳句」所収)について、「行動よりもむしろ思考のかたちで、社会性への志向を重い詩感で燻して表現しつづけた作家である。安保闘争期の緊迫した危機感が『凶器めく』にモディファイされ、西日によって、それが逃げ場のない焦燥感にまで高められているのは、やはり、彼が思考型の俳人であることを物語っているのである」と記している。

原子公平は、高校時代より「馬酔木」に投句、のちに加藤楸邨「寒雷」、中村草田男「萬緑」、その後、「秋」「海程」を経て、‘72年「風濤」を創刊・主宰した。そして、俳句界に対しての多年にわたる論・作での貢献を顕彰され、「第12回現代俳句大賞」(’00年) を受賞した。

それにしても、「折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱」とは、公平晩年の俳人の所作と抜きがたく絡み合っているようにも思える。それは、谷佳紀の看破した〈美〉とも違う何かであったかもしれない。とりもなおさず、俳句とは何であろうとするのか、という解け難い問いを常に抱え込んで行かざるを得ない俳人の厄介さなのではなかったろうか。それこそが「花の鬱」に吸収されるほかなかった殺める行為の謂いであろう。

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俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也

俳句九十九折(49)
七曜俳句クロニクル Ⅱ

                       ・・・冨田拓也
9月13日 日曜日


第3回の芝不器男俳句新人賞の公募が、すでに始まっているそうである。

この芝不器男俳句新人賞の、第1回(2002年)の受賞者は、冨田拓也というゴミクズで、第2回(2006年)の受賞者は「藍生」「いつき組」所属の練達の士である杉山久子さん。

以下、「愛媛県文化振興財団」のホームページより今回の第3回芝不器男俳句新人賞の概要を記しておきたい。

第3回芝不器男俳句新人賞

趣意

「彗星の如く俳壇の空を通過した」(横山白虹)と評された芝不器男は、現在の愛媛県・松野町松丸に生まれ、鬼北盆地の豊かな自然と俳句好きの家庭の中に育った。昭和初期の数年間に活躍し、夭折・望郷の俳人とも呼ばれる不器男が遺した俳句は、僅か二百余句に過ぎない。しかし、一つひとつの句の持つ豊かな抒情性と瑞々しい詩性は、その後の俳句の先駆けとなるものであった。芝不器男の名を冠するこの賞は、新鮮な感覚を備え、大きな将来性を有する若い俳人に贈られる。この賞が誘因となって、今世紀の俳句をリードする新たな感性が登場することを強く願っている。


募集内容

応募者が創作した俳句 100句。(既発表句でも可。ただし、平成17年12月1日以降に発表した句で、著作権を他に譲渡していないものに限る。)


応募資格

昭和45年(1970年)1月1日以降生まれの方。


応募条件

副賞句集掲載句の出版権は、(財)愛媛県文化振興財団に帰属。

応募作品は、当財団の出版物・ホームページ・その他の事業で使用できることとする。(その際の著作権使用料はお支払致しません。)


応募方法

当ホームページ上で指定する応募様式に応募100句(前書き不可)を記入のうえ、必要事項を記載し、E-メールにより送付。


応募締切

平成21年11月30日(月)午後5時


選者(選考委員)

大石悦子(俳人)  城戸朱理(詩人)  齋藤愼爾(俳人)  対馬康子(俳人)  坪内稔典(俳人)


参与

西村我尼吾(俳人)


選考方法

氏名・年齢秘匿のまま、選考会(選考委員会/委員長 大石悦子)において討議選考。
平成22年3月に一次選考会を実施し、当ホームページで公表予定。
平成22年6月に最終選考会を公開実施予定(愛媛県松山市)。


授賞式

最終選考会終了後、同会場にて実施予定。


9月14日 月曜日

杉山久子さんの『春の柩』(愛媛県文化振興財団 2007年)と、同じく杉山さんの『猫の句も借りたい』(マルコボ・コム 2008年)を再読。

『春の柩』は100句から構成されており、

春氷たれかとほくにうたひゐる

あをぞらのどこにもふれず鳥帰る

夏痩せてピューマにしづかなる怒り

日盛や仏は持てり金の舌


といった清新さやコミカルさを伴った、全体的に危なげのない安定した実力を感じさせる作品が、多数収録された句集となっている。

一方の『猫の句も借りたい』の方は、2008年に出版されたもので、すべて猫に材を摂った108句が収録されている。内容としては、愛猫である「みー」が平成元年に作者の元へやってきてから、その「みー」が平成20年に亡くなるまでの間に詠んだ作品が、句集の大半を占めるという構成となっている。

加藤かけいという俳人に「菫100句」、「塔100句」、「山椒魚100句」といった連作の存在があるが、この『猫の句も借りたい』108句は、それらのかけいの連作と比べても遜色なく、ある面においてはかけいの連作をも凌駕する側面さえあるように思われる。かけいの連作には、その随所に見られる細部における大雑把さや、全体の構成力に欠けるなどやや難点が見受けられ、そこに読者としては若干の物足りなさが感じられてしまう憾みがあったが、この『猫の句も借りたい』における、連作としての作品内容と、その構成力の高さについては、かけいの連作のようにこれといった瑕瑾は認められず、相当の出来映えを示していよう。

猫呼びに出てみづいろに春の月

猫の子に太陽じやれてじやれてじやれて

恋猫といふ曲線の自由自在

猫去りし膝月光に照らさるる

にやむにやむと唱へて猫をおくる秋

亡き猫の鈴の音聴く余寒かな



9月15日 火曜日

「つの かる と」鹿鳴集の分ち書き  藤井富士男

作者の藤井富士男さんは中村草田男の門下生であり、「翔臨」所属。掲句は句集『苦艾』(2008年 中井書店)所載の作である。

『鹿鳴集』とは、1940年刊の会津八一の歌集名である。この歌人の短歌はひらがなのみの分ち書きで構成されていることで有名なところがある。

この句における「つの かる と」の部分は、この『鹿鳴集』の〈つの かる と しか おふ ひとは おほてら の むね ふき やぶる かぜ に かも にる〉という1首からの引用であろう。

この「つの かる と」は当然ながら奈良の「鹿の角切」で、秋の季語ということになる。しかしながら、この「鹿の角切」という季語をこのように『鹿鳴集』を介したかたちで表現した句は、他には例を見ることができないであろう。まさしく異色の1句である。

集中には、他に〈草の花小粒の雨の中にあり〉〈留守番の少年早寝青葉木莵〉〈恐竜の卵に触る夏休み〉などの140句が収録されている。


9月16日 水曜日

本郷昭雄の『不知火幻想』(昭森社 1968年)を読む。

この本郷昭雄という作者の存在について自分は知るところが少ない。この句集以後の歩みや作品展開、また現在この作者が存命なのかどうかなどといった事柄についても、自分には不明である。

せいぜいわかることといえば、野見山朱鳥の弟子であったという事実と、昭和50年代に湯川書房という出版社の「叢書 水の梔子」という、「寺山修司『わが金枝篇』、赤尾兜子『遂木』、楠本憲吉『隠花植物』、馬場駿吉『薔薇色地獄』、林田紀音夫『弦』、高柳重信『山川蝉夫句抄』、金子兜太『早春展墓』、津田清子『分水嶺』、本郷昭雄『瞳孔祭』、鈴木六林男句集『國境』、高橋睦郎『旧句帖』」といったラインナップの叢書のシリーズにおいて、句集の刊行が予定されていたようである、ということを知るくらいであろうか。

この湯川書房の「叢書 水の梔子」については、『俳句界』2008年6月号の福田基さんの「林田紀音夫の俤」という文章によると、この叢書シリーズの刊行の途中で湯川書房が倒産してしまい、何冊かが刊行されないままに打ち切られる結果となってしまったようである。

おそらく実際に出版されたのは、寺山修司『わが金枝篇』、馬場駿吉『薔薇色地獄』、高柳重信『山川蝉夫句抄』、金子兜太『早春展墓』、鈴木六林男句集『國境』、高橋睦郎『旧句帖』の6冊であり、はっきりとしたことはわからないが、おそらく、赤尾兜子『遂木』、楠本憲吉『隠花植物』、林田紀音夫『弦』、津田清子『分水嶺』、そして、本郷昭雄『瞳孔祭』の5冊については刊行されなかったのではないかと思われる。

さて、句集『不知火幻想』についてであるが、昭森社から1968年に刊行されたもので、装丁は加納光於。その作品を見てみると、全体的に現在の視点から見れば、あからさまに耽美的な傾向の作品が多く、それがやや鼻につくきらいがないではないが、それでもそれらの作品の中には、次のような作品が見出せる。

不知火を待つうつしみに風かすか

妹恋ふやなべて帰帆の春満月

枇杷の種ことりと皿に遂に孤り

鷹の目をもて為せし事過去となりし

なべて遠し冬水視野に光りつつ

ころもがへうしほのごときかなしみに

流れ去る雪片の影鷹の影

筒鳥の啼くたびわれを遥かにす

などてか憂ふ夏鶯の声もみだれ

鷹落ちて夕焼群嶺燃えこぞる

八千草の中おもひくさわすれくさ

かなしみさだか濃紅葉に墨滲むごと

正に春星なほ若き喉仏


このあたりのやや古典的な雰囲気を持つ作品のいくつかについては、現在においてもいまだにその魅力は失われてはいない、といっていいのではないかと思われる。たとえば、現在の俳人たちの自選作あたりと比較してみても、その内容は決して見劣りするものではないだろう。

特に〈かなしみさだか濃紅葉に墨滲むごと〉にみられる、紅葉のその葉っぱの一枚一枚の葉脈までもが墨の黒色に浸されてゆくようなイメージを描き出すことによって表出された悲哀の感情を表現する技法の繊細さというものは、おそらく他に例を見ないものではないかと思われる。

他にも、この句集以外の作として

水五月漢光の束のごと

といった作品が存在する。

この「水五月」という上五のやや意外性のあるはじまりと、その五月の季節における強い水のきらめきの中を歩む謎めいた「漢」(おとこ)の存在そのものを「光の束」という表現で捉えたことによって感じられる眩い超絶性など、このようなやや異色ともいうべき作品の存在も確認することができる。

こういったどちらかというと俳句らしい俳句とはなにかしら異質な作品を成した俳人であるこの本郷昭雄の、『不知火幻想』以後における作品の足取りといったものは、一体如何なる軌跡を辿る結果となったのか、非常に気掛かりなところである。


9月17日 木曜日

『小中英之歌集』(2004年 砂子屋書房)を読む。

小中英之は1937年生まれ、1961年「短歌人」入会、2001年に逝去。安東次男の唯一の内弟子ということになるらしい。

正直なところ、その短歌作品は散文性を徹底的に峻拒し、韻文性そのものに徹頭徹尾貫かれたものであり、自分にとっては理解するのに困難な作品が少なくなく、果たして読者としてどこまでその内容を理解できているのか心許なく思うところが多いのだが、その中でも

氷片にふるるがごとくめざめたり患(や)むこと神にえらばれたるや

小海線左右(さう)の残雪ここすぎてふたたび逢ふはわが死者ならむ

この寒き輪廻転生むらさきの海星に雨のふりそそぎをり


といった作品については、それこそ、いままで1度たりとも自分の記憶から消え去ってしまったことはないのではないか、という気さえする。普段、俳句に接していることが多いせいか短歌というものはやや冗長に感じられるところがあり、その大方は読んでも早々に忘れ去ってしまうのだが、これらの作品についてはまさしく例外といっていいであろう。

これらの作品が記憶から容易に雲散してしまわない理由のひとつとしては、おそらく韻律の力が大きく作用しているということが考えられよう。特に「小海線左右(さう)の残雪」「この寒き輪廻転生」といった表現から感じられる、まるで漢文を読んでいるかのような独特の感覚とリズム。こういった特異な韻律を自らのものとして自在に縦横無尽に駆使することが可能であったのが、小中英之の作者としての非凡さであったのであろう。歌集を読んでいるとこのような短歌を書くことができる歌人は今後2度と登場することはないのではないかという気さえする。

小中英之の短歌を読んでいると、どこかしら俳句の世界における次の作者たちの存在を想起するところがあった。

枯蓮消息(たより)相絶つ指呼の間  下村槐太

針を灼く裸火久し久しの夏  三橋敏雄

急ぐなかれ月谷蟆(たにくぐ)に冴えはじむ  赤尾兜子


9月18日 金曜日

俳句表現における「典型」と「破格」といった考えが、ぼんやりと思い浮かぶ。

高浜虚子を例にとれば、「典型」の俳句として

遠山に日の当りたる枯野かな

風鈴に大きな月のかかりけり

流れ行く大根の葉の早さかな

もの置けばそこに生れぬ秋の蔭


などといった作品が挙げられ、「破格」の俳句としては

年を以て巨人としたり歩み去る

爛々と昼の星見え菌生え

去年今年貫く棒の如きもの

高きに登る日月星辰皆西へ


といった句が挙げられよう。

現在の多くの俳人たちの自選作を『平成秀句選集』(角川学芸出版 2007年)で読んでみると、その大方の作品傾向として見られるのは多く「典型」としての俳句であるように見受けられる。

現在の虚子の信奉者たちの作品を見ても、虚子における「典型」の側面を受け継いでいる(ように見える)作者たちの存在は少なくなかろうが、「破格」の表現を自らのものになし得た作者はおそらく1人も見出せないのではないか、という気がする。


9月19日 土曜日

岡本信男の句集『挙白拾章』(書肆季節社 1977年)を繙読。

妙な句がいくつも。

フォルクスワーゲン暮しの方へ寒念仏

大学の壁自転車の涅槃せり

春の月弱者の影と電柱と

自転車の解体新書ところてん


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俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也   →読む

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2009年9月13日日曜日

第56号

第56号

2009年9月13日発行

今世紀最初の新人たちのアンソロジー

『新撰21』が出るぞ   

          ・・・高山れおな   →読む


俳句九十九折(48)

七曜俳句クロニクル Ⅰ 

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔25〕山深く花野はありて人はゐず 

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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あとがき(第56号)



■高山れおな

記事でおしらせを書いたアンソロジーの人選は、編者の顔ぶれ相応の独断と偏見が発揮されたもののようでもあり、しかしなかなかバランスがとれているようでもあり。この種の企画にはつきもののこととして、なぜこの人が入ってあの人が入らないのか、という意見が必ず出てくることと思います(なぜ自分が入らないのだという不満も当然ながら)。最も希望するのは、こんどの本に対抗するかたちで、別のアンソロジーの企画が出てくること。対抗企画を打ち出す活力が俳句界にあるかどうか、むしろこれが重要でしょう。そのようにして俳句シーンが動いてゆけばと願っています。



■中村安伸

高山さんの記事でその全貌があきらかになった若手アンソロジーですが、この世代への関心そのものは高まっており、「俳句研究」や「澤」で、ほぼ同じ世代の特集が組まれたりしていました。しかし、書籍のかたちで世に出るのははじめて、非常に楽しみです。

高山さんの記事中に「二十一世紀最初の新人」とありますが、私にとって二十一世紀がはじまったのは、あのニューヨークのビルに航空機がかがやきながら吸い込まれた瞬間。あれからもう八年たつのですね。


遷子を読む(25)

遷子を読む(25)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


山深く花野はありて人はゐず
『雪嶺』所収

窪田:昭和42年の作品。もともと「花野」は、高原に広がっているというイメージが私にはあります。ですから、敢えて遷子が「山深く」と言ったところに引かれました。

私は花野の中にいると何時も不思議な感覚に囚われます。この花野のどこかに黄泉の国への入り口があるのではないかとか、死んだ人の魂が集まってきているのではないかなどと思えるのです。遷子は山深いところに広がる花野にいて、何を感じていたのでしょうか。単に人がいないなあと思っただけでしょうか。私は、他の何かを見ていたのではないかと思われるのです。

この句は、娘さんが嫁がれる前後を詠んだ句に、挟まれるように句集に収められています。そして、掲句の直前には

秋風に餅しげく搗く喪の農家

の句が置かれています。私には最初ちょっと唐突な感じがしました。

少し横道に逸れますが、中学生の頃に読んだ本に(確か著者は、和辻哲郎だったと思います)「花は何故美しいか」という文章がありました。詳しいことは省きますが「人間なんて絶対来ないような深い山の中でも花は美しく咲いている」という件に、私は考え込んでしまいました。「人は何故生きるのか」という問を投げかけられたように思ったからです。遷子がそれに近いような事を考えて、敢えて「山深く」と言ったのではないか。それは、例えば喪失感。遷子は大切な娘を嫁がせると言う時にこの句を作っています。ですから、深い喪失感がこの句を生んだのではないかと想像します。掲句の前に

嫁ぐ子に遣る何も無し秋深む

後ろに

菊活くるこの子去るとは思ほえず
秋の苑子を嫁がせし父歩む

などが置かれていること、そして直前に唐突に置かれた「秋風に……」の句からそれを一層強く感じます。

中西:この句は吟行詠ではなさそうですね。窪田さんがご指摘のように、「山深く」がどうも心理詠であることを仄めかしているようです。吟行詠ですと、『山国』に、

花野より巖そびえたり八ヶ岳

という、きりっと引き締まった具象的な高原派時代の句がありますが、これと比べてもわかりますように、どこか臨場感に欠けているようなところもあり、沈んだ気色の句と言えるでしょう。つまり、花野は遷子の心の景色なのではないでしょうか。娘を嫁がせる父親の心境と見て間違えなさそうです。窪田さんは「山深く」に喪失感を感じるとおっしゃっていますが、わたしもそれに続く「人はゐず」に大きな喪失感を感じます。今までは幼い可愛らしい時代から、美しく成長した娘が、ずうっと花野が象徴する遷子の心の中で遊んでいたのです。その景色はいつも遷子を幸せな満ち足りた気分にさせていました。その娘が去ってしまった。俗な言い方をすれば心にぽっかり穴のあいたような喪失感があるようです。子煩悩な父親にとって、娘を嫁に出す心境とは、不可解なほど心に負担がかかるもののようですね。

「山深く」は遷子の「心の奥深く」の比喩ととりますと、

薫風や人死す忘れらるるため 『山河』

の先駆けのような心理詠で、これも遷子の一詠法なのかと思いました。佐久に来てからは孤独を守って作ってきた遷子ですから、句の内容も外に向けられるより、自分の内に向って作られて行ったとも考えられますね。こう考えていきますと、薫風の句に比べて、間接的であり、周りの句の存在から娘の結婚がわかるという状況です。俳句は舌足らずなもので、なかなか思いの丈を述べられません。しかし、連作でないかぎり、一句は独立したものです。遷子についてなんの予備知識もなく、これを一句だけ見せられて鑑賞せよと言われましたら、ただ、心の空虚、得体の知れない喪失感を感じるのではないでしょうか。われわれは深読みをしていませんでしょうか。
 
深谷:窪田さんの御指摘の通り、句集では、愛娘を嫁がせる心情を詠んだ一連の句群の中に、「秋風に餅しげく搗く喪の農家」そして掲句がやや唐突に置かれています。愛娘の結婚を詠んだ句は、どれも一人の親としての心情が素直に表れています。愛おしさと、ある種のもの哀しさとが綯い交ぜになったような心境というべきものが、美しい秋の景とともに作品に仕立てられています。それに対し、これら2句はだいぶ趣が異なります。いろいろな考え方があると思いますが、次のような捉え方に落ち着きました。

「秋風に……」の句を読んで連想したのは、下村槐太の「死にたれば人来て大根煮きはじむ」です。槐太の句は、人の死という厳粛な事象をも圧倒してしまう、現世に生きる者たちの逞しさ、無慈悲さを題材とした作品ですが、この「秋風に……」の句にも同じ視線を感じます。いわば、個人の事情を超えた社会生活という現実がそこにあるのです。

一方、掲句の秋の花野。美しい景です。それも、山深い場所に、人知れず、そのような美しい花野があります。そして、中七と下五の対句により、自然現象が個人の想いとは無関係にその営みを続けることを示しているように読めます。

要するに、この2句は、遷子の愛娘への惜別の情を超越して惹起する、社会・自然事象に焦点を当てた句ではないでしょうか。愛娘を見つめる、父親としての情感が溢れる眼差しとは別に、冷徹に社会・自然を観察する視線を感じます。遷子に、どこまでの作為があったのかは別にして、そのようなことを考えました。

原:山歩きをする人にこのような体験は時折あるらしく、それは鮮やかな印象を残すだろうと思います。単独行ならとりわけそうでしょう。実際の経験として読めますが、この句はどこか象徴的な趣が漂っていて、誰も行かない場所に人知れず、よきもの・美しきものがあるかもしれないという浪漫的な思いを誘います。遷子にはこういう清らかに美しいものを憧憬する心が常にあって、そのことが彼の作品を醜くしなかった大きな要因だったのでしょう。以前取り上げた、

梅雨めくや人に真青き旅路あり

の句にもそのような志向を感じます。

社会性俳句の潮流に刺激されて、現実の世相や社会矛盾に眼を向けた作品の場合にも、その視線は内省に向かうものだったように受け取れるのです。

ついでですが、遷子ミステリーツアーの記事で、遷子の墓所である金台寺が時宗の寺と知って、珍しいなと思っていましたら(私が知らないだけかもしれません。時宗のお寺は数が少ないという気がしていましたので)、時宗の開祖一遍は信州に来ていたのですね。元寇再来の2年前だそうです。佐久伴野郷及び近隣の小田切で別時念仏を行ったとのこと。ことに小田切での踊念仏では提供された屋敷の床を数百人で踏み抜いたらしいですね。以後時宗はこの地に根付くことになったのでしょうか。

筑紫:眼で見たままの写実のように思えますが、皆さんのコメントを拝見してそれぞれ鋭い解釈で感心しました。写実にあっては、醜悪なものは現実描写が強いと思いますが、このような美しいものには、どこかしら作者の理念・理想が投影されるように思います。細谷源二の「地の涯に倖せありと来しが雪」という句には現実の雪以上に、観念的な思い(孤絶・重圧・不安・諦観)が付きまとっているようです。プロレタリア俳句の源二においてすらそうであるのですから、理想美を追及した(その意味では観念的であるわけです)馬酔木に学んだ遷子にそうした傾向が現れてもおかしくないかもしれません。

戦後佐久に移った遷子の俳句への意欲は低下したままだったようです。昭和24年夏の堀口星眠の訪問を機に高原派に参加するのですが、若干の違和感があったことは確かのようです。戦前の遷子はもっぱらただ一人で吟行し、ただ一人で句作していました。他の人と一緒に句作することは非常に苦手とするところだったといいます。句会についても、1ヶ月前から期日も時間も決まっていて、雑詠に力を注ぎ、兼題席題には力を入れませんでしたし、互選の点数にも重きをおかず、ひたすら秋桜子の選に入るのを目標としました。句会で苦吟したり、対座の雰囲気によって句を発酵せしむるといった修業の経験はまったくありませんでした、内心そういう方法を馬鹿にしていたこともあったようです。高原派に参加してそうした考え方は改められたようですが、それでも遷子が高原派として活躍した24年から27年までの間に吟行した回数は軽井沢に4回、野辺山に5回であったといいます。高原派というにはあまりにも貧しい吟行回数です。堀口星眠、大島民郎らはこの間40~50回と言いますから比較になりません。

こんなことを考えると、この句の時期(昭和42年ごろ)には再びもとの遷子に戻っていたのではないかと思われます。つまり「ただ一人で吟行し、ただ一人で句作」するという流儀です。あるいは、句会に期待しないでもっぱら雑詠に専念する、という傾向です。おそらくそうした俳句制作の環境を想定したとき、皆さんが指摘した喪失感や、象徴的な詠み方が納得できるように思うのです。

(参考)
原さんの後段のお話について。お寺の数のランキングはこうだそうです。時宗はやはりなかなか出てきません。

①曹洞宗 ②浄土真宗本願寺派 ③真宗大谷派 ④浄土宗 ⑤日蓮宗 ⑥高野山真言宗 ⑦臨済宗妙心寺派 ⑧天台宗 ⑨真言宗智山派 ⑩真言宗豊山派。

時宗は、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と記した札を配る「賦算」と、太鼓・鉦を打ち鳴らし踊りながら念仏を唱える「踊念仏」で布教しましたが、その踊念仏の始まりは弘安2年(1297年)、信濃国で始めたそうです。

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遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

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遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

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■関連書籍を以下より購入できます。



新撰21告知

今世紀最初の新人たちのアンソロジー

『新撰21』が出るぞ


                       ・・・高山れおな


しばらくは腰を据えて書評をできる状態ではありません。仕事がいそがしいのが第一ですが、俳句の方でも先週末は「船団」のシンポジウムで京都に出かけ、今週末はとある本のための座談会でいっぱいいっぱいでした。「船団」のシンポジウムは、「百年後の俳句」をテーマにしたもので、「船団」の塩見恵介さんの司会のもと、おなじく「船団」の三宅やよいさん、「鷹」編集長の髙柳克弘さんと共にパネラーを務めました。これについては「船団」のホームページ「e船団」(http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub09_0901.html)の「日刊:この一句」欄で、9月7日から10日にかけて塩見さんが、また、「週刊俳句」の9月13日号(http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/09/blog-post_8675.html)では久留島元さんがレポートされていますので、そちらに譲ります。

さて、書評の代わりというのではないですが、上記「とある本」の刊行について、です。昨年末から、高山と「―俳句空間―豈」発行人の筑紫磐井、「天為」編集長の対馬康子の三名が編者となりアンソロジーの編集をすすめてきました。

今年中に達する年齢が満四十歳以下で、二〇〇〇年以前に句集出版や主要俳句賞の受賞歴が無いことを条件に、二十一人の俳句作者を選び、各人一〇〇句を寄せてもらいました。要は二十一世紀最初の新人たちの、計二千百句からなるアンソロジーということになります。題して『新撰21』。

一九八〇年代から九〇年代初頭にかけては、新人発掘のためのさまざまなシリーズ出版やアンソロジーの刊行があいつぎましたが、こうした企画はもう十五、六年にわたって途絶えており、それが俳句界の沈滞ムードの一因となってきました。これに一石を投じたのが、「澤」誌二〇〇七年七月号における「特集/二十代三十代の俳人」でした。本書はこの「澤」誌の試みにつづくものといえるでしょう。

本日(9月12日)の座談会はこの『新撰21』のためのもの。編者三人に加え、「澤」の小澤實主宰をゲストに迎え、収録の作家・作品について合評をおこないました。合評の模様は同書巻末に掲載されます。また、この合評だけでなく、個別の作家小論も四十五歳以下の中堅・若手の執筆者に書き下ろしてもらいました。座談会終了後は、版元である邑書林の島田牙城さん、記録担当の青嶋ひろのさん、装丁担当の閒村俊一さんともども飲み会となりましたが、なお熱気冷めやらず。徹夜で二千百句のゲラを読み込んできてくださったという小澤さんの鶴のひと声によって、作者の排列が逆転するハプニングも起こりました。つまり、編者・版元は、年齢の高い順に作家を並べるかたちで作業をすすめてきたのですが、これを若い順に組み替えることになったわけ。ささいなことのようですが、下に掲げる目次をご覧になれば、本としての印象がだいぶ変わることがおわかりいただけるでしょう。まだまだいろんな議論が出ましたが、まあこれはすべて余談。

さて、この座談会をもって、コンテンツが全て揃ったことになりますので、かくお知らせする次第。版元は今述べましたように邑書林、予価一八九〇円(税込)、刊行は十一月下旬を予定しております。刊行の暁には、みなさまふるってご購入願います。身びいきではなく、じつに多彩でおもしろい。俳句の未来が詰まった一冊になるでしょう。以下、目次です。

『新撰21』目次

越智友亮 十八歳
……作家小論 俳句を継ぐ者 by 小野裕三

藤田哲史 細胞膜
……作家小論 アスファルトの上の砂 by 榮猿丸

山口優夢 空を見る、雪が降る
……作家小論 叙情か屹立か by 佐藤郁良

佐藤文香 真昼
……作家小論 無人の風景を見る? by 小笠原鳥類

谷雄介 趣味は俳句です
……作家小論 自堕落詩人 by 飯田哲弘

外山一機 ぼくの小さな戦争 
……作家小論 敗北者であろうとも by 佐藤清美

神野紗希 誰かの故郷
……作家小論 違和感という魅力 by 江渡華子

中本真人 庭燎
……作家小論 堂々たる伝統俳句の道 by 林誠司

髙柳克弘 ヘウレーカ
……作家小論 未来への遊弋 by 五島高資

村上鞆彦 水に消え
……作家小論 静かなる挑戦者 by 津川絵里子

冨田拓也 八衢(やちまた)
……作家小論 伏流水の滋味 by 横井理恵

北大路翼 貧困と男根
……作家小論 カリカチュアの怪人 by 松本てふこ

豊里友行 月と太陽(ティダ)
……作家小論 沖縄のビート by 高山れおな

相子智恵 一滴の我
……作家小論 美しき諧謔 by 甲斐由起子

五十嵐義知 水の色
……作家小論 きらめきを掬う平常心 by 大高翔

矢野玲奈 風
……作家小論 !Vamos, Reina, vamos!by 阪西敦子

中村安伸 機械孔雀
……作家小論 ジオラマの外側 by 青山茂根

田中亜美 雪の位相
……作家小論 Vintage1970 by 橋本直

九堂夜想 アラベスク
……作家小論 鷹揚なる献身 by 田島健一

関悦史 襞
……作家小論 《現実界(レエル)》のほかに俳句なし by 湊圭史

鴇田智哉 黄色い凧
……作家小論 消しとられた空 by 如月真菜

合評座談会……小澤實+筑紫磐井+対馬康子+高山れおな

(*)阪西敦子氏による矢野玲奈論タイトルの頭の方の「!」マークは正しくは天地逆です。


2009年9月12日土曜日

俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也

俳句九十九折(48)
七曜俳句クロニクル Ⅰ

                       ・・・冨田拓也

9月6日 日曜日

このところ「俳人ファイル」の資料を読む作業が遅々として進まない。「俳句九十九折」の連載開始から約1年が経過し、さすがに資料を読み込みそれを纏めるという作業に対して、少々食傷気味というよりも、単純にやや草臥れてきたようである。

このままでは連載がストップしてしまう、ということで、なんとかこの窮状をごまかせないものかと思い悩んでいたところ、ある時、ふと「日記形式」なるものが思い浮かんだ。早速このアイデアを実行に移すことにしたいと思う。

タイトルは「七曜俳句クロニクル」。内容的には単なる「とある俳句愛好者の1週間」である。書いてゆく内容については特にこれといった取り決めは設けず、日々の中で目にした詩歌についての感想などを気儘に記してゆくことにしたい。


9月7日 月曜日


仏手柑放てる天つひかり盈つ  下村槐太

下村槐太没後に刊行された句集『天涯』所収の昭和25年における作である。この間、この句集を再読していた際、掲句の存在に漸く気付き、槐太にはこのような句もあったのかと思った。

内容としては、槐太の得意とする虚と実による手法が駆使された作品であり、現実の「仏手柑」と、フィクションとしての「仏掌」の発する光とが二重写しとなって作品の中に浮かび上がってくる仕組みとなっている。実際の「仏手柑」のやや不気味ともいうべき形状の異様さと、「天つひかり」に満ちた仏の手の崇高さとの対比がやはり見事というべきであろう。

この槐太における虚と実の手法というものは、一体どこから想を得たものなのであろうか、としばらく考えていたのだが、もしかすると芭蕉からの換骨奪胎なのではないか、という気がした。

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉


9月8日 火曜日

山西雅子さんの句集『沙鷗』(ふらんす堂 2009年)を読む。

山西さんは平成元年に岡井省二に師事。平成9年には第1句集『夏越』(花神社)を刊行し、現在は、同人誌「星の木」(大木あまり、藺草慶子、石田郷子)に所属。

今回の『沙鷗』は第2句集で平成9年から平成20年までの約300句が収録されている。

桃の木の脂すきとほる帰省かな

板の間に蝶の映れる極暑かな

地に硬く雨だれの跡薺花

行く春や土人形の指に爪

花びらのごとくつめたくなめくぢり

水かけりをる微塵子も梅雨のもの

山門に雨の音して蟻地獄


これらの作品から感じられる印象をひと言でいうなれば「ストイック」であろうか。その作品にはなにかしらやや尋常ではない雰囲気が漂っているものがいくつも確認できる。

様々な要素を削ぎ落とすことによって、事物そのものが眼前にせり出してくるような迫力を持つ作品群。モノクロのスナップショットの持つ凄絶さといったものに近い感触を覚えた。

このように事物の実相といったものを突き詰め、剔抉し、さらにそれを作品の上に精緻に定着させる手腕については、やはり並々ならないものが感じられよう。

無論、集中にはこのようなエッジの鋭さを感じさせる作品ばかりではなく、

石鹸玉まだ吹けぬ子も中にゐて

といった子供に材を摂った微笑ましい内容の作品の存在も多数見られる。

しかしながらここに取り上げたこの一見単純な内容の作品の背後にも、入念な工夫が凝らされていることに注意したい。

この句の中心には、石鹸玉をまだ上手く吹くことができない幼児の不器用さとそれゆえの愛らしさが描かれているということになるわけであるが、実際のところこの句においては、ただその幼児の様子が描かれているというだけではなく、よく作品に眼を凝らせば気が付くと思うが、「石鹸」を上手く吹けない子の周りには、幾人もの「石鹸玉」を「吹ける子」たちが存在しているのである。

そして、その子どもたちが空へ向かって吹き放つ数えきれないほどの沢山の石鹸玉の美しさと儚さといったものが、この句の背景には描かれているということになる。さらにもう一歩踏み込んでこの句を読むならば、この石鹸玉に仮象されているのは、人の一生といったものが宿命的に抱え込んでいる存在と時間そのものの持つ儚さであるのかもしれない。


9月9日 水曜日

杉本徹さんの第2詩集『ステーション・エデン』(思潮社 2009年6月)を再読。杉本さんは、1962年生まれ。2003年に第1詩集『十字公園』(ふらんす堂)を刊行。現在、出版社である「ふらんす堂」の『ふらんす堂通信』では「十七時の光にふれて」という俳句に関する評論の連載を続けておられる気鋭の詩人である。

この『ステーション・エデン』という詩集全体から感じられるのは、メタリックともいうべき硬質な言葉によって織りなされた堅牢で稠密な言語空間と、それを構成する1行単位において感じられる言葉同士の緊密性と密度の高さである。

「雪の舞う旧約にそって、ひとりは六十年をあるいた」
「ひとりは閃光(エクラ)の名を呼び当ててのち、残像の風を生きた」

などといった、凡庸に堕することを潔しとしない言語表現の「踏み外し」により獲得されるに至った強靭なポエジーを内蔵したフレーズの数々が、集中の随所にその姿をあらわしてくる様子は、まさに壮観である。

また、集中には、

……後ろ姿は蟬しぐれに掻き消えて見えない

などといった俳句作品から想を得たと思われる詩句の存在も確認でき、この詩集には俳句から得た表現手法が、その詩作品の上において大きく反映、活用されているのではないか、という思いがした。


9月10日 木曜日

ふと、星野石雀という俳人の作品を再読してみたいという思いに駆られた。自分が俳句を書き始めた頃、小宮山遠という俳人の作品とともに大きな影響を受けたという記憶が残っているのが、この作者の初期の作品である。

星野石雀さんは、1922年東京生まれ。1947年より句作開始。「曲水」「氷海」を経て現在では「鷹」の重鎮である。「曲水」時代は、斎藤空華とともに句作をしていたそうである。

手毬歌若者逝きて晴れつづく

鶏頭に風吹く母のみそかごと

虎落笛夢のなかには絲車

禁欲の晴夜ふつふつ麦熟るる

滴りや石美しくなるばかり

貝魚くらくら夏至の海となる

帆柱の上の旱天奇蹟なし

愛の書の背革いためり星祭

旱星あかく吾が死を司る


1948年から1955年における作である。1976年刊の句集『薔薇館』より引用した。

今回これらの星野石雀の初期の作を読み返してみて、やや意外であったのは、これらの作品が「若さ」そのものを強く抱え込んでいるという事実であった。これらの作品を見ると、紛れもなく「若者の作品」であり、それ意外のなにものでもないのである。実際、この当時の石雀の年齢は、ほぼ20代ということになる。

「若者逝きて」「夢のなかには絲車」「禁欲の晴夜」「石美しくなるばかり」「貝魚くらくら」「奇蹟なし」「愛の書」「吾が死を司る」といった語彙からも、やはり老齢とは無縁の印象を受けよう。

今回これらの作品を見て、嘗ての自分がこういった作風に強く魅かれるものを感じていたという事実について、やはり諾なるかなという思いがした。

思えば、星野石雀の作品のみならず、小宮山遠、林田紀音夫、川口重美といった作者たちの優れた作品にしても、それらは戦後の「若者」によって生み出された作品であった。

優れた作品というものは多く、作者の若いうちに早々と書かれてしまうといった側面もあるのであろうか。無論、このケースに当て嵌まらない例というものも、当然のことながら少なからず存在するのであろうが。


9月11日 金曜日

大型書店を彷徨。『金子兜太の世界』(角川書店)、堀江敏幸『正弦曲線』(中央公論社)を購入。堀江敏幸さんの本の装丁は俳人(?)でもある間村俊一さん。

鈴木しづ子関係の本が新刊として2冊出ていたのであるが、迷いつつも結局購入せず。正直なところさほど興味が湧かないのである。

鈴木しづ子が人々の耳目を集めるのは、おそらく作品そのものの価値ではなく、その境涯性が大きく作用していよう。やや不謹慎な言い方になるかもしれないが、山頭火、放哉、住宅顕信など、特異な境涯性というものは、多くの人々にとってスリリングな非日常を垣間見ることができるある種のエンターテイメントとして受容される側面がある。鈴木しづ子の俳句にしても、果たしてどこまで作品として優れたものであるといえるのか、いまひとつ判然としないものを感じてしまうところがある。

鈴木しづ子の作品といえば〈好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷〉〈コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ〉〈夏みかんすつぱしいまさら純潔など〉などであるが、こういった作品に見られる破調ともいうべき表現は、もしかしたら亜浪門特有の性質を持つものではないかということに、ふと思い至った。ちなみに鈴木しづ子の師は亜浪門の松村巨湫である。

鈴木しづ子の作品には強い定型意識を感じさせるものも少なくはないが、その作品世界を成り立たせていた基底部は<臼田亜浪のフォルム+境涯性>であるようにも思われる。

鈴木しづ子の作品を読んでいると、上村一夫という漫画家の作品の世界を思い出すところがある。


9月12日 土曜日

山西雅子さんの『沙鷗』の集中の〈封筒の中の冬日のただ遠く〉は、歌人浜田到の〈哀しみは極まりの果て安息に入ると封筒のなかほの明し〉に由来している作品なのであろうか。

浜田到の短歌といえば現在においても理解するのに困難を伴う晦渋な作品が少なくないが、自分にとってあらゆる短歌のなかで最も好きな作品は、もしかしたら浜田到の歌集『架橋』の中のいくつかの作品ではないか、という気もする。以下、『架橋』より。

ふとわれの掌さへとり落す如き夕刻に高き架橋をわたりはじめぬ  浜田到

禱られてゐること誰も知らざれば更にやさしく日没終る       〃

こよひ雪片ほどに天よりほぐれ落ちて来る死者の音信「ヒカリトアソベ」 〃

この町に敗れてゆくにあらざれど鶏頭がしきりに朱(あか)かりにけり  〃

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■関連書籍を以下より購入できます。








2009年9月6日日曜日

第55号

第55号

2009年9月6日発行

まるでその場にいるような

広渡敬雄句集『ライカ』を読む

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遷子を読む

〔24〕雪降るや経文不明ありがたし

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   →読む


髙柳克弘句集『未踏』をよむ(3)

露西亜文学的冬帽

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あとがき(第55号)

あとがき(第55号)


■中村安伸

高山さんは「船団」のシンポジウムで京都におられるため今号の「あとがき」はお休みです。

第114回現代俳句協会青年部勉強会のおしらせをアップしました。興味のある方はぜひご参加ください。私もすこしだけしゃべる予定です。

おしらせ(第55号)

おしらせ(第55号)


第114回現代俳句協会青年部勉強会のお知らせ
「写生」についてのシンポシオン
我々にとって「写生」とは何だろう?


シンポシオンとはすなわち、「共にぶどう酒を飲むこと」。古代、饗宴に集まった人々が、談論風発、朝までがやがや語り合うというものでした。飲みながらやりたいのは山々なんですが、そこはちょっと後回しにして、いつもと違う自由空間で、古代ギリシア、ローマ人の「鶏と卵はどっちが先か」とか「アルファはなぜアルファベットのはじめにあるのか」ならぬ、「私たちにとって、『写生』って何なんだ?」という話をやっていきたいと思います。

①基調報告
   青年部委員 宇井十間 上野貴子 小山森生 田島健一 中村安伸 橋本直(予定)
   ※順不同で1人5分程度「写生」について話す予定

②フリーディスカッション(参加者全員による意見交換) 司会:青年部委員

  ※①と②をあざないつつ進行します。
  ※終了後に懇親会を予定しています。

日 時:10月18日(日) 13時30分~16時30分(予定)
会 場:せたがや文化財団ワークショップ室のB(展示室)
    〒154-0004 世田谷区太子堂 4-1-1 キャロットタワー4F(最寄り駅:三軒茶屋)
参加費:500円
定 員:30名(受付順)
お申し込み、お問い合わせ: 現代俳句協会青年部
       〒101-0021 東京都千代田区外神田6-5-4 偕楽ビル7階
       TEL 03-3839-8190  FAX 03-3839-8191
       <E-mail>genhaiseinenbu@yahoo.co.jp

髙柳克弘句集『未踏』をよむ(3) 露西亜文学的冬帽・・・中村安伸

髙柳克弘句集『未踏』をよむ(3)
露西亜文学的冬帽

                       ・・・中村安伸

前回、髙柳の作品のうち「死」をとりあつかったものをとりあげて、その文学的なアプローチについて言及したのだが、文学的な傾向というのは、彼の作品において重要な特徴のように思われる。

文学的という言葉は、芸術的と言い換えることができるかもしれない。
そして、昨今の俳句実作の傾向から「文学的」に対立する概念として「ただごと的」というものを挙げることができるかもしれない。

文学的な俳句作品の特徴が、事物の深層を表現することを志向するというようなところにあるとするなら、ただごと的な俳句は、事物の表層的表現を徹底するようなものであるといえるだろう。

一見すると、表層にとどまるただごと的俳句より、深層を追求する文学的俳句のほうが困難であるように見えるのだが、文学的俳句は発想が類型化しやすいことも事実である。そのようにして陳腐化した文学的俳句へのアンチテーゼとして、ただごと俳句が登場してきたという見方もできるだろう。

髙柳の俳句作品が文学的であるというとき、もうひとつの側面がある。つまりテーマとしての文学作品や書物への言及ということである。
たとえば以下のような作品に、そうした傾向が見られる。

名曲に名作に夏痩せにけり 2003
露西亜文学的冬帽の黒さかな 2004
イカロスの羽根冬帽に挿したきは
春暁の羽音やギリシャ神話読む 2005
読みきれぬ古人のうたや雪解川 2006
死に至るやまひの蝶の乱舞かな
良夜なり長き小説長く読む

これらの作品においては、古典文学作品の世界への憧れのようなものがあらわれている。
古典とは、文学がきわめて高い地位を与えられた時代の作品である。その時代、作者もまた地位に見合う高い志をもつことができたであろう。
髙柳の作品からは、古典文学者のように高潔な志を持ち続けようという意志を感じ取ることができる。そのことはたとえば以下のような句において明らかに述べられているのである。

詩の道も黄葉の道もまつすぐに 2006

また、現代における文学の地位を非常に直接的な表現で嘆いて見せている作品もある。現代の日本ほど文学および文学者が軽んじられている社会も珍しいのではないだろうか。
水洟や詩人は滅び世は進み 2008

自嘲的な季語の斡旋がややあざとく感じられるほどである。

 *


すこしネガティブな指摘となってしまうのだが、髙柳の作品のなかには他ジャンルの文学作品の縮小再生産のように受け取らざるを得ないものが散見される。

葉桜や夜の瓦斯の火にみとれたり 2003

という句は、穂村弘の〈呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる〉という歌を思い起こさせる。テーマは類似でもアプローチは違うので倫理的な問題が無いのは無論だが、表現の深度という点で穂村の作品に比べるとやや不満が残る。髙柳の作品は葉桜と瓦斯の火のとりあわせを眼目にしているのであり、焦点がそもそも違うという弁護も可能ではあるが「みとれたり」の一語の甘さは見落とせない。
静物の果実朽ちつつ秋の昼 2006

という句は、吉岡実の「静物」という詩のエキスを俳句に置き換えたもののように見える。そして残念ながら俳句ならではの別の興趣を得たというようにも思えないのである。むしろ薄味になってしまった気がする。

他形式の作品と同じテーマを扱った場合に、俳句ならではの強度を出せるかどうかという問題であるが、私の見るところ上記二例においては、残念ながら成功しているとは思えないのである。
上記のような例はやや特殊だが、髙柳作品には、おもに概念(断定的に述べられたフレーズ)と事象(主に季語)のとりあわせという形態の句において、概念を述べているフレーズが類型的なものを越えていない、と感じられる作品が散見される。

とりあわせの巧みさによって一句として成立させているとしても、ただごと的にあえて表層的な表現を求めるのではなく、認識の深さや意外性を押し出そうとしている作品であると思われるのにもかかわらず、その部分で少し切れ味が足りないと感じられてしまう。
以下の作品はその例である。

1.光速の素質ありけり黒揚羽 2004
2.冬雲や疲労ひとしき馬と騎手 2004
3.みづうみのみづ愚鈍なり春の雲 2005
4.泉あり物理法則不変なり
5.木の実落ちダリは遠近法を無視 2007

具体的には1.の「素質」2.の「ひとしき」3.の「愚鈍」4.の「不変」5.の「無視」という語に雑駁さを感じるのである。ただし、概念の深さ浅さはともかく、何に意外性を感じるかは受け手によって差があるだろうとは思う。上記はあくまでも私にとって不満が残る作品であるということだ。

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髙柳克弘句集『未踏』をよむ(2)まつしろに花のごとく・・・中村安伸   →読む


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2009年9月5日土曜日

遷子を読む(24)

遷子を読む(24)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井



雪降るや経文不明ありがたし
    『山河』所収

中西:昭和45年、前年の冬から病んでいた父が亡くなった時の句です。

昏睡の父に庭木の霧氷咲く

この句が、暮にありますから、新年早々のお葬式だったようです。ご高齢とはいえ、親の死はいくつになっても応えるものですが、なぜかそんなに深刻に悲しさが出ている句ではありません。相馬家の菩提寺、時宗金台寺の住職がお経をあげられているのですが、経は漢文を上からそのまま音読みしていってしまいますから、何を唱えているのかわからないのです。節もありますから、聞いているとそれなりに荘厳なので、死者の身内の者にとって、お経を聞いている時間は不可思議な時間とも思います。悲しみを一時忘れさせてくれて、儀式に専念するまじないでもあり、そう思うと本当にありがたいものです。

「雪降るや」は、お葬式をやさしく包んでいるように置かれている季語です。

降る雪に悲しみはただ怺ふべし

という句が対句のように後に出てきますから、遷子は喪主として、お葬式の間悲しみを抑えていたのがわかります。悲しみの感情を抑えているのに、なまじ意味がわかって泣かされるお経より、意味不明なものの方が、返って救われる時だってあります。

今回、遷子の診療所、旧宅、お墓を巡るツアーをしましたら、かなり遷子への見方が変わりました。このお葬式も、多分相馬家の本家からも人が来て、弟の家族と、相馬一族の身内が多い大きなお葬式だったのではないでしょうか。

窪田:掲句の解釈は中西さんの言われた通りと思います。「雪降るや」がお葬式をやさしく包んでいるようというのも分かります。

ところで、信州の雪と一口に言っても、飯田と飯山では違います。ましてや、新潟の海沿いに降る雪と信州の菅平に降る雪は、全く違う雪です。私の住む東御市北御牧や佐久の雪は少しぐらいなら箒で掃けます。句会でも「雪を掃く」という句がしばしば出されます。齊藤美規さんは松本に来られた時「雪を掃くと言うのは信州らしいですね。私のところでは、とても雪は掃けません。」という事を言っていました。海沿いの水分の多い雪は重くて箒ではとても掃けず「雪掻き」をします。上越と信州の県境は「雪掻き」さえも出来ず「雪踏み」をして道を確保します。

また、三好達治は「雪」(詩集『測量船』)という有名な詩を書いています。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」です。宮沢賢治は詩「永訣の朝」(詩集『春と修羅』)で「銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの/そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・」「あんなおそろしいみだれたそらから/このうつくしい雪がきたのだ」と雪を詠んでいます。二つの詩の雪はそれぞれ違った意味合いを持って使われています。

遷子はこの時の雪をどんな心持ちで受け取ったのでしょうか。「やさしく包む雪」は確かですが、さらに造化に対する感謝のような気持ちと一方畏敬の念のようなものを感じていたのではないかと思います。掲句の下十二音は、やや深読みかも知れませんがそんなことを思わせます。掲句に続く亡き父を詠んだ次の句がそれを強くおもわせます。

暁紅や亡き父歩む雪の庭
暮れてなほ天上蒼し雪の原
降る雪に悲しみはたゞ怺ふべし

深谷:誰にとっても身内の死は辛いものです。まして、それが敬愛する父親のものであれば尚更のことでしょう。しかし息子、それも喪主ともなると、ただ嘆き悲しんでいるわけには行きません。葬儀という厳粛なセレモニーを遂行する上で、様々な役割を果たさなければならないからです。遷子も、その立場にあった一人です。その儀式のなかである種のハイライトというべきものが、読経でしょう。死者の冥福を祈る鎮魂の読経。それを聴くうちに、それまでの慌しさの中に紛れてしまっていた、亡き父への様々な想いが胸に去来した筈です。

遷子と亡父との関係が如何なるものであったのか詳細は不明ですが、以前採り上げた、

老い父に日は永からむ日短か

などを見ると、老いゆく父への眼差しは慈愛に満ちたものであったことが推察されます。


この句に関しては、(1)経文の内容を知れば尚更悲しみが増すので、それが解らなかったことが却って有難かった、と、(2)お経の内容は解らない、けれども鎮魂・供養のための読経なので、とにかく「有難い」と感じ入った、と二つの解釈を考えました。最初は(1)を思い浮かべたのですが、よく考えれば一般市民(仏教のトレーニングを受けていないという意味での)が経文の内容を知っているということはあまり考えられないので、(三段切れにはなりますが)今では(2)の方が素直かと思っています。

いずれにせよ、中西さんが御指摘された通り「雪降るや」の斡旋が的確で、しんしんと降る雪のなか死者を弔う読経が流れていく、そんな厳粛な葬儀の雰囲気がとてもよく活写されていると思います。

      *      *      *

なお、前回の小生の基調コメントに、皆様から様々な有益な御意見を頂戴し、蒙が啓かれました。ありがとうございました。とりわけ、「地を剰さざる」に関して、農民たちが寸土残らず開拓して農地に変えていく逞しさにも思いを致すべき、との筑紫さんの御指摘は肯えるものでした。確かに、「農民=弱者」という見方はやや図式的であり、生身の農民たちの強かさや逞しさを過小評価していたと思います。もちろん、彼らを取り巻く、当時の就業環境が決して恵まれたものではなかったということは事実だろうと思います(従って、「豊穣への祝福」とまで言うにはまだ多少の抵抗もあります)が、そうした環境のなかでこそ強かさを発揮する逞しさがあった筈です。そうした生身の農民たちを、遷子は暖かく、時には冷徹な眼差しで、眺めていたのだろうと思います。

筑紫:中西さんがよく選んでくれたという気がします。類例のない、面白い句です。ちょっと見たところ三段切れのようになっていますが、あまり気になりません。上五も中七も、下五も、一つの焦点(父の死)に向かって流れ込んでゆくからなのでしょう。

意味不明なのがありがたいというのが逆説的なのか、真理なのかは難しいところです。中西さんも言われているように、相馬家の宗旨は時宗ですから(こんなことまでいう必要はないのですがせっかくミステリーツアーに言ってきたので明かします)阿弥陀経が本来の所依の経典ですが、この宗派はそれでも和讃を使ったり、踊念仏をやったり(これが盆踊りの始まりだといわれています)、庶民に分かりやすい布教をしているはずなのですが、われわれ日ごろ宗教と無縁の衆生にとって見るとやはり「経文不明」である点に違いはありません。

わが宗派は真言宗智山派なのですが、この宗派の法要のクライマックスは「ひろしゃだふー、ひろしゃだふー、ひろしゃだふー、ひろしゃだふー、・・・・」の称名が延々と続くのです。後から聞くと、理趣経の「毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)」だそうですが、そんな講釈を聞くより「ひろしゃだふー」を繰り返されるほうがはるかにありがたい感じです。ちがう宗派ではよく曹洞宗の法要に出てくる「なむからたんのうとらやあやあ」はまさにその最たるものでしょう。これこそ、真言呪であって意味は分からないがありがたいという言葉となっています。

それにしても、「雪降るや」も「経文不明」も人の死をあたたかくつつんでいるイメージが湧いてきます。切迫した死のイメージとは違う雰囲気は、佐久という風土の中で培われれるものでしょうか。

      *      *      *

深谷さんの更なるコメントありがとうございます。たぶん唯一の解釈はないと思いますし、話をしているうちに新しい発想が湧くのは、すでに私も何回も経験させていただいております。こだわって何か言わなければ新しい反論も出てこないものですし、そうした緊張が次の発想も生むと思います。私が言うのもなんですが、この「遷子を読む」はずいぶん議論がずれているような気がしますが、実はそれが俳句解釈の本質でしょうし、ずれを重ね合わせることによりこのなんとも不可解な遷子という俳人をよく理解できるのではないかと思います。いや、遷子そのものが不可解というより、俳句という詩型の不可解性というべきかも知れません。

      *      *      *

今回は原さんはお休みと言うことですが、もし1行でも結構ですから、2週間の間に意見をお寄せいただければ、載せさせて頂きます。

原:今回「経文不明ありがたし」の解釈というか、語脈をどう受け取るか不分明のままでしたのでパスする積もりでしたが、不分明のまま記してみます。

経文は不明にして尊く思われる。

一応の結論としてこのように読んでみました。つまり「不明であって、しかも」と訳すことになるのですが、これは「明らかならず、ありがたし」と、漢文読み下しふうに解釈してみたせいです(正確ではありませんが)。牽強付会と謗られそうですが、遷子は軍隊経験者でしたから、漢文調文語(こんな言い方でよいものかしら)には馴れていたでしょうしね。その語調がふと出たとしても不思議はなさそうです。とはいえ、戦後教育以後の私などの言語感覚からいえば、「不明であることが」と、格助詞「が」を補って読むほうがしぜんに感じます。その辺りで迷ってしまいました。

以上は生真面目な受け取り方です。もっとくだけて言うと、「経文など何がなにやら分からぬほうがありがたいのだよ」とする庶民感情のほうに親しみを覚えるのですが。

筑紫:原さん、ありがとうございます。皆さん、夏休みで休養のさなか、いつも以上にご協力いただいているようで恐縮です。深谷さんにしろ、原さんにしろ、「分かりやすいはずの遷子のわかりにくさ」、という不思議な問題提起をしていただいているようです。後者の「わかりにくさ」とは遷子が抱えている根本的な問題(人間はなぜ生きているのかという問い掛け)の分かりにくさであるかも知れません。前者の「分かりやすい」は、にもかかわらず遷子が句を詠むに当たって持つ遷子自身の精神の明るさではないかと思えるのです。わかりにくさはみなうっすらと感じているにもかかわらず、この句を鑑賞に取り上げたくなった中西さんの気持ちもこれまたよく理解できるように思えるのです。


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2009年9月1日火曜日

広渡敬雄『ライカ』

まるでその場にいるような
広渡敬雄句集『ライカ』を読む


                       ・・・山口優夢




ゆく夏の錨のごとき寝覚かな

深い水に投げ込まれ、がっしりと水底の土に噛みついている錨のように、体全体が重くて床から離れられないような寝ざめがある。この、身体の奥底にどんよりと淀んでゆくような憂いは、春や秋のものではないだろう。滅びゆく夏の、ゆっくりとすべてが死に向かって傾斜してゆくようなひとときこそ、このような憂いにふさわしい。

「ゆく夏」は、水のイメージをも思い起こさせる。そのやわらかな語感も、水へ通じる一因だろう。もっと強い原因としては、真夏にはその中で水浴びして肌に感じた水が、秋のおとずれとともに、流れゆくものとしての本質を取り戻す、ということがあるのではないか。涼を求めて得られる、人間に利用される水は、夏の終わりとともに、元々の名もない水の流れに姿を変える。夏の終わりに、誰も泳いでいない海に訪れると、海本来のしずけさや大きさに触れる、そういったことと似ているだろうか。

「ゆく夏」によって生み出された、たゆたう水のイメージが、夢とうつつの間を行き来する寝ざめの様子につながる。やがて夢からうつつへ戻ってきた彼は、肉体というおもしにとらわれざるを得ない自分を、いやでも意識しなければならなくなるのだ。自分の体をひきずりながら生きていかなければならないという、人間の生理的感覚に密着した句だ。

寝ざめの体を錨とするならば、完全に目を覚ました時、我々の体は「意志」という名の船に引きずられ、世界へ向けて出航してゆくのだろうか。からだがあることのさびしさ、それは重い錨を引き上げるときにこそ、ひしひしと身にしみてくる。



彼の句には、このような身体感覚に訴えてくるものが多く見受けられる。

菰すこしかをりてゐたり寒牡丹
ががんぼの踏ん張つてゐて震へだす
息吸うて息ととのへて初桜
青葉冷ぶつかりあうて鯉のかほ

これらの句は、身体感覚(それは、必ずしも人間のものとは限らない)を打ち出しつつ、平易な言葉で現象をとらえており、そのぶん、実際に我々が生きている世界とやすやすとつながることのできる強みを持っている。

寒牡丹に鼻を近づけたとき、確かに寒牡丹そのものよりも、それに巻かれている菰の方が鮮やかに匂いを発している。「踏ん張つてゐて震へだす」という措辞からは肉体の緊張感がありありと伝わってくる。「息ととのへ」るときには、確かに吐く息よりも吸う息の方に意識が向くだろう。そして、一句になってみなければ意識もしなかったようなことだが、餌に群れるときなどには確かに「鯉のかほ」はぶつかりあいそうになっている。なめらかに滑るようにぶつかりあう鯉の顔を思い浮かべていると、まるで自分がそうした鯉のうちの一匹になってしまい、ぬめぬめとした鯉の顔の感触を感じているような錯覚を覚えるほどだ。

こうした句群の中でも特に注目したのが、この句だ。

霧走る疾さを頬のとらへけり

山登りの最中なのであろう。少し見晴らしの良い高原あたりに出たとき、流れゆく霧が高原のある部分を覆ってしまい、また違う部分をうすうすとあらわにしているのを見る。その、霧の疎密は、風に流されることでどんどん位置を変えてゆく。

頬に実際感じているのは、湿った空気の中を流れる風であるのに、それを「霧走る疾さ」と言ってみせたことで、まるで自分が高原にたたずんで霧に覆われた景色を目の当たりにし、その霧を体で感じているかのような気分にさせられてしまう。表現の巧妙さがそれだけ際立っているのだ。



まるでその場にいるような気分、というのは、何も身体感覚のみによって表出されるわけではない。

ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋
筍飯すこし風出て来たりけり
猪肉やまつかな炭の運ばるる
無花果食ふ少し眼鏡のずれた人


何かを食べている場面が描かれた句をいくつか挙げてみた。これらの句は、たとえば先ほどの霧の句がリアルに霧を頬に感じさせていたのとは違って、食べているものそのものが持っている匂いや味が表出されることでリアルさが浮かび出ている、という類のものではない。もちろん、「泥鰌鍋」を出す店の、ややごみごみしていて匂いのきつい感じや、「猪肉」の持つ、牛・豚・鶏のような普段食べる肉とは違った、身が硬くワイルドな味わいなどは、句の雰囲気を決定づける一つの要因となっていることは間違いないのだが、これらの句でむしろ中心としてリアルに描かれているのは、食べるという動作の行われているときの周りの状況である。

ネクタイを肩に撥ねあげているのは、少し頭の禿げかけた中年の、気のいいおじさんに違いない。すこし風が出てきた、ということは、この人は筍飯を屋外で気持ちよく食べているに違いない。真っ赤な炭が運ばれてくるようなところで猪を食べているということは、どこかひなびた場所で、しかも何人かで連れ立ってそこに旅しに来ているに違いない。少し眼鏡がずれながらも無花果を食べているということは、よほど夢中になってそれにむしゃぶりついているに違いない…。

食べているときの周りの状況のうち特徴的なある一つの事柄を選んで句に仕立て上げているため、どんな様子で食べているのかをかなり具体的に思い描くことができる。おそらく、彼にとって「食べる」という行為は誰かほかの人を呼び込み、一緒に笑ったり話したりする場を共有するということではないか。だからこそ、読者も一緒に泥鰌鍋や筍飯などを味わうことができるように、どんな場面で何を食べているのかを教えてくれる。

別姓の夫婦来てゐる芋煮会
ナース帽ふたつ桜餅みつつ

食事に関係した場面になるほど、句の中にさまざまな人が登場し、句の世界は豊穣になる。彼は、よほど食べることと人間とが好きなのであろう。



黒々と鯉が沈めり大試験
薄氷の裂け目に水や形見分
雪渓やフルートをもつ青年と

句集全体の中で数は多くないものの、上に挙げたような思い切った取り合わせの句にも注目してみたいと思う。

これらは、偶然としか言いようのないこの世界の一諸相をはっしと掴んだという手ごたえがある。それは、たとえば同じ句集中にある次の句と比べてみると良く分かる。

笹鳴きや出店に繫ぐガスボンベ

この句も切れ字「や」によって二つの景物がとり合わされた作ではあるが、この句の場合、「笹鳴き」と「出店に繫ぐガスボンベ」の組み合わせは、決して予想外のものではない。だからと言って句会でよくつかわれる評言である「近い」「つき過ぎ」という批判があてはまるわけではない(とり合わせというと「近い」か「遠い」かという尺度でしか語れないというのは、鑑賞の方法論の貧しさを露呈していることになるであろう)。

「笹鳴き」という季語は、「出店に繫ぐガスボンベ」のリアリティーを確保する役割を担っている。確かにそんな場面がありそうだ、と読者に納得させ、その場面に立ちあっているかのような感覚を与える。そういう意味で、前章までで挙げた彼のほかの句に通じるところのある作り方と言えるだろう。

しかし、「黒々と鯉が沈めり」という様子と「大試験」という状況はただちに万人の頭の中で自然なつながりとして認識されるとは、ちょっと思えない。他の二句についても同様である。これらの取り合わせは、「笹鳴き」の句やその他の前掲の句群とは異なる方法論で選ばれた組み合わせのように僕には感じられる。その「異なる方法論」というのは、おそらく、一回性とか偶然性とかいう名を冠するにふさわしいものであるようだ。

黒々と沈む鯉と大試験、薄氷に乗る水と形見分、雪渓とフルートをもつ青年。確かにこれらがそれぞれ一つの情景に収まっている場面を想像しようとすればできないことはないが、それはあまり一般的に思い浮かべやすい状況ではなさそうだ。これら、交錯しそうにないもの同士、自然や動物などのある様相と、人間生活の中のとある一断面が、まるでスロットを回したように偶然重なりあって、そのとき一回きりしかない場面を生む。あるいは、「大試験」や「形見分」や「フルートをもつ青年」は、本当は彼の目の前にはなくて、頭の中にある出来事だったり、人物だったりするのかもしれない。どのような情景を思い描くかは読者にゆだねられているが、とにかく僕が面白いと思ったのは、これらの取り合わせが、どちらかが一方の象徴になっていたり、感覚的に通じあっていたりというようなことがなく、本当に偶然、自然と人間が交差した瞬間に産み落とされたもののように感じるところなのだ。前章までの句は、我々の感じたことや見たことを、句の中の世界で追体験しているようなところが魅力だったが、これら偶然性の句の魅力は、逆に句の中の世界を今後の我々が追体験する可能性があると感じさせるところではないだろうか。

父の日やライカに触れし冷たさも

句集の表題をとったこの句も、おそらくそのような偶然性を前提して読むことができるのではないか。このライカは父のものでもなければ、昔父がそのようなカメラを使っていたという思い出があるわけでもない。ただ、偶然、「父の日」と「ライカ」とが交差しただけなのだ。そのいかにも懐古的なたたずまいのライカの冷たさの中に、父という存在のかなしみが呼び出され、一句として定着しているのだ。

ライカと父との間に必然的な関係性を見出す(つまり、このライカは父の遺品である、といったような)解釈ももちろん出来るであろうが、「父の日」に父に関係したものから父のことを思う、というのでは、少々発想が安直に過ぎるように思う。そうではなくて、父の日に偶然目にとめたものが、なぜか父のことを思わせる、そうした読み方をしたいと思うし、事実、「ライカ」の持つ重厚さは、その読みに十分答えてくれるように思える。



寒流になじむ暖流石蕗の花
陸封の水硬からむ晩夏光
雲生まる雪渓よりもまだ淡く

これらの句は、どれも句集の後半からとってきたものだが、前半にはなかった傾向を感じさせる。身体感覚に訴えてくるという点では上記で挙げたものに共通しているのだが、感覚を持つ対象が、どれも大きなものになりつつあるのだ。

寒流と暖流がまじわったというだけなら、東北地方の太平洋側にある潮目のことを詠んでいるだけであり、さして注目もしないところなのだが、「なじむ」という一語に瞠目する。まるで、自分が潮目に入って行って、温度の違う二つの水の流れを肌に感じ取ってきたような物言いだ。二句目の「硬からむ」、三句目の「まだ淡く」も、同様で、実際には感じ取れるはずのない大きさのものをまるで手に触れているかのように一句に仕立て上げている。

これは、彼の詠もうとしている世界が、身近な世界から開放されて大きくなりつつあることの表れととることができよう。食事の場面に見られるような人事の句も素敵だけれども、このような広がりを持った句にまで句境が広がっているとも言えるのではないだろうか。

みづならは綿虫の来る淋しい木

作者は広渡敬雄(1951-)。


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